Gift - illustration
桐島麻里
ショートストーリー
 圭介は、夕方になっても、うだるような暑さの中、アスファルトの道をトボトボと歩いていた。それはとても不思議な感覚だった。デジャビュとでもいうんだろうか。これと同じことを、ずいぶんむかしにもやっていたような気がする。
 ふと顔を上げると、そこはサラリーマン時代に住んでいた安アパートだった。さすがに木造ではなかったが、築十五年の三階建て。どこにでもあるアパートだ。
 圭介は、なんの疑いも持たずに、そのアパートの階段を上って、やはりなんの疑いも持たずに、自分が住んでいた部屋の前に立った。ズボンのポケットをまさぐると、ちゃんと鍵が入っていた。圭介は鍵を出すと、むかしやっていたように、自分の部屋に入った。
 そのとたん。
「あ、おかえり〜」
 と、台所から女性の声が聞こえた。
「ま、麻里?」
 圭介は、目をパチクリさせた。
「ど、どうしてきみが?」
「やあねえ」
 麻里は、トマトを洗っているところだった。水を止めて、エプロンで手を拭きながら台所の脇の玄関に立っている圭介の前に移動した。ここがいつもの屋敷だったら、厨房から玄関まで歩いて五分はかかるところだが、安アパートでは、麻里は、わずか五、六歩移動しただけで圭介の前に立った。
「どうしてじゃないでしょ。暑さで頭をやられちゃったんじゃないの?」
 麻里は、玄関で靴も脱がずにいる圭介のおでこを触った。
「冷たい。気持ちいい」
 圭介は、ホッとした声を出した。いままで水を使っていた麻里の手は冷たくて心地よかった。
「ホント、暑いよね」
 麻里は、にっこり笑顔を浮かべた。
「お仕事、お疲れさま、あなた。シャワーを浴びてビールでも飲んでて」
 あなた……
 圭介の脳裏に、じんわりと、その言葉が染み込んできた。そして、あわてて自分の左手を見ると、そこにはエンゲージリングがはまっていた。
「うわ! なんだこれ!」
「もう。本当に暑さでどうかしちゃったんじゃないの?」
 麻里が口をとがらせた。
「まさか三ヶ月前にやった結婚式を忘れたわけじゃないでしょうね」
「結婚式…… あ、ああ、そうか。そうだったね」
 圭介は、あやふやに答えた。そんなのやったっけ? 麻里と? いや、彼女以外と結婚式を挙げる予定はないけど、でも、そうだっけ?
「ホントに大丈夫?」
 麻里が、本気で心配する顔でいった。
「いや、あはは」
 圭介は、ごまかすように笑った。
「きみとだったら、もう一度結婚式を挙げてもいいかななんて思ったから」
「バカね」
 麻里は笑った。
「そんなお金、どこにあるのよ。さあ、早くシャワーを浴びてきて。汗でベトベトしてるわよ」
「うん」
 圭介は、部屋に上がった。
 よくよく見渡してみると、そこは自分が住んでいたころの部屋ではなかった。カーテンが麻里の好きな淡い水色になっていて、ふたりしか座れない小さなソファには、カワイイ柄のクッションがおいてあり、やはり小さなソファテーブルには、花が飾ってあった。男の独り暮らしの部屋じゃない。そこはまさに、新婚家庭だった。気のせいか、甘い香りさえするような気がする。
 圭介は、スーツを脱ぎながら、台所をふり返った。エプロンをした麻里が、料理の準備に戻っていた。トマトを切ってサラダを作っている。
 おお、神よ!
 圭介は、麻里に見られないように、胸で十字を切った。
 麻里が料理をしています。ぼくはクリスチャンじゃないけど、今日ばかりは、神さまを信じます。どうか、彼女の作る料理が、人間の食べられるものでありますように!
「なんかいった?」
 麻里が振り向いた。
「い、いあや、なんにも!」
 圭介は、あわてて首を振った。
「もう、今日のあなた、どこか変よ。会社でなにかあったの?」
「いや、なにも。IBCコンピュータもチャネルも順調だよ」
「はあ? なに言ってるのよ。あなたは、アルピン精工の営業マンでしょ。なんでほかの会社の心配をするわけ?」
「ぼ、ぼくは…… あ、あれ? そうか。おかしいな、なんでだろう?」
「ねえ」
 麻里が、また心配そうな顔でいった。
「もしかして、会社が危ないの?」
「危ない?」
「うん。この不況で、どんどん会社が倒産してるじゃない。もしそうなら、隠さないで言ってね。あたしだってアルバイトするとか、パートに出るとか……」
「麻里がパートに出るだって!」
「そうよ。あたしだって、スーパーのレジ係ぐらいならできると思うの」
「まさか!」
「できるわよ、そのくらい」
 圭介は、あわてて言った。
「違う。そんな意味で言ったんじゃない。会社なら大丈夫。今日の料理はなにかと思っただけだよ。もちろん、人間が食べられるものだろうね?」
「まあ!」
 麻里は、ほっぺたを膨らませた。
「言ったわね。今夜は、あたしが一番得意なロールキャベツなのよ」
「わぉ。ホントに? すごい。ぼくの大好物だ」
「そうよ。だから、あたしの得意料理になったんじゃない」
「そうなの? いや、そうか…… そうだ。そうだったね」
「ああ。圭介」
 麻里は、圭介に抱きついた。
「あなた、今日は本当におかしいわ。本気で心配になってきちゃった」
「ごめん。なんだか夢を見てるみたいだ」
 圭介は、ほっぺたをつねった。
「痛い。これは夢じゃないんだね」
「当たり前じゃない。あなたとあたしの人生よ。それがぜんぶ夢だったなんて言ったら、あたし悲しくて生きていけないわ」
「ぼくもだよ。そうか。いままで見ていたのが夢なんだ」
「どういうこと?」
「あはは。おかしいと思ったよ。ぼくが億万長者になるなんて、そんなわけないのに。なんで、あんな長い長い夢を見ていたんだろう」
「どんな夢なの?」
「聞いたら笑うよ」
「いいから話して。お願い」
「きみは億万長者の泥棒一家の娘で、サラリーマンだったぼくが、きみのフィアンセになって、その世界に入っちゃうんだ。それでいろんなことがあって、ぼくはIBCコンピュータの会長になっちゃうんだよ」
「まあ」
 麻里は、笑顔を浮かべた。
「じゃあ、あたしは会長夫人なの?」
「いや…… それがまだ結婚してないんだ」
「あら、ひどいわね。こんなステキな娘と結婚しない夢なんて」
「ははは。本当だね。麻里。愛してるよ」
「あたしもよ、圭介。あなたがお金持ちじゃなくても」
「ありがとう」
 圭介は、にっこりほほ笑んだ。

 う〜ん……
 暑い……
 圭介は、あまりの寝苦しさに目を開けた。
 そこは、屋敷の庭にあるテラスの長椅子だった。
 重いぞ……
 圭介は、自分のいる場所を確認すると同時に、自分にのしかかっているモノにも気づいた。それは麻里だった。圭介に重なるようにして彼女も、テラスの長椅子で寝ていたのだ。
「ま、麻里」
 圭介は、麻里の肩をゆすった。
「う、うーん……」
 麻里は目を覚ました。
「あ、あら、やだ。あたしったら、一緒に寝ちゃったのね」
「そうらしいね」
 圭介は苦笑した。
 圭介と麻里は、屋敷のテラスでお茶を飲んでいたのだが、圭介は連日のハードワークに疲れていたので、ちょっと長椅子で昼寝をしたのだった。それを見ていた麻里も、つられるように、一緒に寝入ってしまったのだ。
「夢を見たよ」
 と、圭介。
「圭介も? あたしもよ」
「麻里のはどんな夢?」
「あたしはどこかの国のお姫さまで、悪いドラゴンに捕らわれているの。そこへ、白馬に乗った圭介がさっそうと現れて、あたしを助けてくれるの。それで、ふたりはめでたく結婚するのよ」
「わォ……」
「圭介のはどんな夢?」
「え、えーと…… たぶん、似たようなもんだよ。麻里の夢ほど費用はかかってなかったみたいだけどね。それはそうと、麻里。聞きたいことがあるんだけど」
「なぁに?」
「きみは、ロールキャベツが作れるかい?」
「ロールキャベツ? やあねえ、圭介ったら。あたしが、インスタントラーメンだって作ったことないの知ってるくせに」
「よかった!」
 圭介は、麻里を抱きしめた。
「きゃっ。なになに?」
「神さま。こここそ、ぼくの生きている現実の世界です。料理ができる麻里なんて、気持ち悪くてイヤです」
「ちょっと! それ、どういう意味!」
「あ……」
 しまった。口が滑った。と圭介は思ったが、もう遅かった。
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