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「おうおうおう、八丁堀のダンナ。ちいと詰めてくれねえかな。狭くってかなわねえや」
と、金さん。
「うるせえな」
主水さんが答える。
「おめえの図体がデカイから悪いんだ。ただでさえ、暑苦しい顔してんだから、てめえこそ縮こまってな」
「あんだと」
金さんが、主水さんを睨んだ。
「おめえこそ、八丁堀の小役人のくせに、でかい口叩くじゃねえか、おう」
「ふん。幽霊に小役人も奉行もあるかい。だいたい、てめえは奉行なんて、堅っ苦しい役職がイヤで、遊び人なんて言ってんだろうによ」
「それとこれとは、話が違がわあ!」
金さんは、ばっと着物の袖を脱ぐ。
「てめえのような殺し屋と一緒じゃあ、この桜吹雪も泣いてらあ!」
「派手な入れ墨しやがって。チンドン屋かよ、おめえは」
「なにぃ! もう我慢ならねえ、今日という今日は、たたっ切ってやる!」
また始まったよ、この人たちは。ぼくはタメ息をついた。
すると。
「うるさーい!」
千夏が叫んだ。ちなみに彼女はぼくの恋人。
「金さん、主水さん! いいかげん仲良くしなさいよ! 順治の背中は一つしかないんだから!」
「うへえ」
金んが、肩をすくめる。
「ほれみろ、八丁堀のダンナのせいで、千夏に怒られたじゃねえか」
「もとは、てめえが、悪いんだろうによ」
「なにぉ!」
また、睨み合う金さんと主水さん。
「だから、やめなさいってば!」
と、千夏。
「いい加減にしないと、偉いお坊さんに成敗してもらうわよ」
「うわっ、チナっちゃん、それだけはご勘弁を!」
金さんは、ぶるぶると首を震わせて、ポワンと消えた。
「くわばら、くわばら。女は怖いぜ」
主水さんも、消えた。ポワンと。
「ふう」
千夏は、息をつく。
「やっと、消えてくれたわね。まったくせっかくの三連休なのに、ずいぶん、金さんたちに振り回されたわ」
「そうだね」
ぼくは苦笑い。
じつは、ぼくと千夏は、いま草津の温泉宿にいた。いい若い者が、連休を過ごすには似つかわしくない場所だ。じっさい、千夏とぼくは、いろいろデートの計画を練っていたんだけど、どうしても幽霊たちが温泉に行きたいと言うので、ここにいるってわけ。
「そう言えば千夏。ご隠居は?」
そう。ご隠居の姿が見えない。
「ああ、ご隠居さんなら、また温泉に入りに行ったわ。よっぽど好きみたいね、温泉」
「幽霊でも老人は老人なんだな」
「そうね」
千夏はクスッと笑う。
「でもさ。ご隠居さんもいないってことは、しばらく二人っきりだね」
ぼくは、笑顔を浮かべて、浴衣姿の千夏に言った。
「そうね」
千夏も、にっこり笑って、ぼくに身を寄せる。
「ねえ順治。もう、お布団ひいちゃおうか?」
「いいね」
ぼくは千夏のアゴに手をかけて、少し上を向かせた。
と、そのとき。
「うはははは!」
ご隠居が、ふすまをスーッと素通りして、部屋に入ってきた。
「仲よきことは美しきかな。愛とは素晴らしいですな!」
「うわっ!」
ぼくと千夏は、あわてて身体を離した。じつは、濃厚なキスをしている真っ最中だったのだ。
「おや? 小僧さんにお嬢ちゃん。なにをあわててるんですかな? こんな年寄りを気にせず、どうぞお続けなさい」
「出来るわけないでしょ! だいたい、部屋に入るときは、ノックぐらいしてくださいよ!」
「ノック? 横山? あれもスケベな男でしたな」
「わかってボケないでください!」
「わははは。幽霊家業は楽しいのう…… ムガッ」
ご隠居の口が、とつぜん塞がれた。千夏が、温泉饅頭を押し込んだのだ。
「おじょうひゃん、にゃかにゃか、やにゅますにゃ」
(お嬢さん。なかなか、やりますな)
「ご隠居さま」
と、千夏。
「これ以上邪魔したら、納豆ご飯抜きの刑ですよ」
「うひっ。老兵は消え去るのみ」
ご老公も、やっと消えてくれた。
まったく、幽霊のパワーにはまいるよね。千夏のパワーにも。 |
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