Gift - illustration
モーナとラミルス
ショートストーリー
 その日……いや、日時という概念は無意味かもしれないが、とにかくその日、ラミルスは静かに読書をしていた。ラテン語のようにも見えるが、ギリシャ語のようにも見える、人間には理解不能な言語で書かれた本だった。
 そのとき。ラミルスの部屋のドア……いや、部屋という概念も無意味かもしれないが、とにかく部屋のドアが、ドンドンと騒がしくノックされた。
「ラミルス〜。いるんだろ。あたしだよ、モーナ。モーナさまだよーん」
 ラミルスは、かすかに眉をひそめると、このまま無視して読書を続けようかと思った。だがけっきょくは、読んでいた本を閉じて立ち上がりドアを開けた。
「はーい、ラミルス。お元気?」
 ドアの外には、半透明の衣を身体に巻き付けただけのモーナが立っていた。いや、立ってはいない。浮かんでいた。ふわふわと。まあ、モーナはいつもそうなのだが。
「たったいままで元気でした」
 ラミルスは冷たい声で答えた。
「あなたに会うまではね」
「相変わらず、辛気くさい顔してるねえ。そんなんじゃ嫁の貰い手ないよ」
「前々から、あなたの頭の中身は少ないと思っていましたが、いよいよ空気だけになってしまったようね」
「あはは。うまいこと言うねえ。だからあたしってば、身体が軽いんだ」
「モーナ……あなた、酔ってるわね」
「へへへ。たまの休みだもん、ネクタルがぶ飲みよ」
「聖なる飲み物をがぶ飲みするなんて……」
 ラミルスは首を振った。
「あなたの精神構造は、わたくしの理解をあまりにも超越しています」
「あんたなんかに理解できるほど単純じゃないのさ」
 モーナはそういいながら、ラミルスを押し退けて部屋の中に入った。
「モーナ。入室を許した覚えはありませんよ」
 ラミルスは、モーナをにらみつけた。
「堅いこと言いなさんな。あら、なに読んでんの? げっ。エクスピニオンの本だ。あんたらしいわねえ。あたしなんか、一行読んだだけで眠くなっちゃうよ」
「わたくしたちの仕事に、精神世界の深い理解は重要です」
「ふん。あたしゃ生きた人間が好きなんだよ。それよりお茶ぐらい出しなさいよ」
「まったく……」
 ラミルスはため息をつきながら、モーナの目の前にお茶を出現させた。ポワンと。
「なによこれ」
 と、モーナ。
「お茶ですよ」
 と、ラミルス。
「まさか、番茶を知らないのですか?」
「けち。しみったれ」
「心外ですね。わたくしは、あなたのお好きな生きた人間の習慣に従ってみただけです。人間は、招かざる客に番茶を出すのでしょ?」
「わかってないねーっ。番茶ってのは、帰ってほしい客に出すんだよ」
「では、同じ効果があるようです」
「あんたさあ、あたしの、どこがそんなに嫌いなわけ?」
「すべて」
「そりゃ、あたしのほうが美人だし、ナイスバディだけど、そんなにひがまなくてもいいじゃんか」
「そういう、あなたのおめでたいところが嫌いなのです。出会いの瞬間からね」
「あんたも、いいかげん根に持つね。むかしのことなんか忘れなよ」
「ユーダイクスを忘れろ? 本気で言っているのですか」
「あいつが消滅したのはあたしのせいじゃない。そして、ラウムが消滅したのはあんたのせいじゃない。あたしはもう忘れたよ」
「うそです」
「うそなもんか。ラピスが滅びるのは運命だったんだ」
「心にもないことを。モーナ……いえ、トリスティシアと呼びましょうか?」
「あんた、ホントに意地が悪いよね。エクシリス」
「その名で呼ばれるのは、二千三百年ぶりね」
「あんたがはじめたんだ。いつまでも過去にしがみついてウジウジしやがって」
「遠き過去……ラピスに住まうころの自分を懐かしむことも許されないというのですか」
「あたしには懐古趣味なんてないもんね」
「ただの懐古趣味ではありません。ユーダイクスもラウムも、バーガットとよく戦った。そして、わたくしたちだけが残った。彼らに分け与えられた魂です。それを愛おしむ心を失いたいとは思いません」
「まあ……ね。あー、くそう。辛気臭いの嫌いだよ。飲もう、ラミルス!」
「番茶をお飲みなさい」
「バカ言ってんじゃないよ。ほら!」
 モーナは、自分とラミルスの前にネクタルを出現させた。ポワンと。
「あんたも飲みな。モーナさまご謹製のネクタルだよ。こいつは効くよ」
「まったく……過去を忘れられないのはどちらかしらね」
「なんか言った?」
「いいえ、なにも。まあ……たまにはいいでしょう。つきあいますよ」
「そうこなくっちゃ! おつまみ出してよ」
「ちょっと甘い顔をするとこれだ」
 ラミルスは、またため息をつきながら、モーナの前に柿の種を出現させた。
「なによこれ?」
 と、モーナ。
「おつまみです」
 と、ラミルス。
「まさか、柿の種を知らないのですか?」
「あんたってさ。もしかして、あたしより人間に感化されてない?」
「いらないのなら、無理に食べなくてもいいのですよ」
「いらないなんて言ってないわよ」
 ボリボリと柿の種を食べるモーナ。
「あら、おいしいじゃん。また腕を上げたわね」
「まったく」
 ラミルスは、思わず苦笑した。
「あなたには負けますよ」
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