父の涙?

 ぼくがギリシャ神話で一番好きな女神はヘラです。このエッセイで何度も言ってますから覚えてますよね? 忘れたなんて言わないでくださいよォ。

 さて。なんでヘラ姉さんが好きなのか? そりゃあなた、ヘラ姉さんは、世界中の美女を妻にすることができた、あのスケベ親父のゼウスが選んだ女性ですよ。どんな美女が束になってかかってもかなわないほどの美女。これで好きにならなきゃ男じゃないね。

 などと書くと、TERUさんって面食いなのね。と思われそうなので、あわてて補足しますが、やはり彼女に惹かれる最大の理由は、その性格でしょう。ぼくの小説に登場するヒロインは、快活でおてんばで、そして強い女性が多いのにお気づきでしょうか。

 そうなんですよ。ヘラ姉さんは、ぼくが好きな「キャラの性格」に、かなり近いんですよね。まあ彼女の場合、やや度が過ぎる部分もありますが、それもゼウスを愛するがゆえの行動なんですね。ゼウスのダンナも、さんざん火遊びしまくったあと、けっきょくは、そんなヘラのもとに帰って、ラブラブな夜を過ごすわけです。

 で、お話は日本神話に戻りまして、ご登場願うのはスセリさん。ヘラと並んで、ぼくの大好きな女神様です。彼女も快活で、ちょいとおてんばで、そして強い。ぼくの琴線に触れまくりであります。(しかも、お嬢様ときた日にゃあんた)

 前回、衝撃的な出会いを果たしたスセリとオオクニヌシ。って、ただ門の前で会っただけなんですが、二人にとっては衝撃的だったんですな。ビビビーッと電気が走ったわけですよ、お二人の背中に。

「スセリさん」
「いや。スセリとお呼びになって」
「ああ、スセリ」
「ああ、オオクニヌシ」
 二人は、ひしと抱き合います。
「スセリ。ぼくと結婚してくれ」
「はい。喜んで」
 二人は、熱いキスを交わします。お子様は目をつぶるように。

 なにーぃ! 出会ったばかりでか! TERUさん、あんた、はしょっちゃイカンよ、ちゃんと書きなさい。というお叱りの声が聞こえてきそうですが、そう言われても古事記に書いてあるんだから仕方ない。二人は出会ってすぐに、結婚の約束をしちゃうんです。しかも、親父(スサノオ)の留守中に。

 え~、一気にアドレナリン全開で、結婚の約束をしちゃった二人ですが、もちろん、スンナリ結婚できたわけじゃありませんよ。現実の世の中でもありがちですが(最近はそんなことないか)、二人の前に立ちはだかる最大の障害は、スセリのお父さんです。

 早くも脱線。

 スセリのお父さんは、スサノオです。イザナギの息子で、アマテラスの弟。つまり、日本神話の中では、貴族中の貴族ですな。王族公爵と言ったところか。もう一人、ツクヨミというお兄さんがいるんですが、ツクヨミさんは、イザナギに「おまえは夜の世界を治めよ」と言われただけで、このあと古事記からその姿が消えます(日本書紀には登場するらしいけど)。つまり、古事記ではしばらくの間、天をアマテラス(太陽神)が、そして地上をスサノオが治める時代が続くわけなんです。

 ええと、このスサノオは、いまからぼくが書こうとしている、スセリとオオクニヌシの時代には、もういいオッサンなんですが、生まれたばかりのときは、すでに死んでいる(というか黄泉の世界にいる)お母さんが恋しくて、わんわん泣き叫ぶ、情けないガキんちょでした。成長しても(髭が生えるような歳になっても)マザコンは治らず、今度はお姉さんのアマテラスにすがるしまつ。大丈夫か?

 ま、そのあと、スサノオに、ほとほと嫌気をさしたアマテラスが、岩の中にこもって、この世から太陽が消えてなくなったりとか、いろいろあって、スサノオは天界を追放されます。地上に降りたスサノオは、ここでクシナダ姫と出会います。クシナダは、ヤマタノオロチという蛇の化け物に捧げられる生け贄でした。クシナダに恋をしてしまったスサノオは、ヤマタノオロチを退治して、彼女と結婚しました。これでやっと、彼のマザコンも治り…… いやはや、それが、完全には治らなかったみたいなんですよ。

 どうも、彼は女性に母親の姿を投影してしまうところがあったらしく、娘のスセリに対しても、もうただ「カワイイ、カワイイ」と育てちゃったみたいなんですな。母親の愛情を知らない代わりに、娘を愛でてしまったわけです。変な意味ではないですよ。この子は、一生手元に置いておくぞと。だれの嫁にもやらんぞと。そんな感じ。しかし、スセリの方は、成長するにしたがい、ふつうの女の子になるわけで、いつまでも父親のところにいるわけにはいかない。というか、いたくないわけです。そんなおりに、登場したのがオオクニヌシ君だったわけです。

 さあ状況がわかったところで、話を戻しましょう。

「でも……」
 と、急にスセリの顔が曇った。
「どうしたんだい、スセリ」
「じつは、うちの父ったら、すごい子煩悩なの。結婚を素直に許してもらえるとは思えないわ」
「ゲッ」
 ここでやっと、彼女の父親がスサノオだったことを思い出すオオクニヌシ。
「うっ…… うん、そうだったね。ハハハ…… きみってスサノオ先生の娘さんだったんだよねえ」
「わたしと、結婚する気がなくなった?」
 オオクニヌシを真正面から見つめるスセリ。
「まさか!」
 オオクニヌシは、あわてて否定した。
「ぼくの心は変わらないよ」
「よかった。うれしい」
「でも、しばらく様子を見た方がいいかもしれない」
「ええ。わたしもそう思うわ。お父さん頑固だから。それにとっても強いし」
 ひえええっ。どーしよう。と、心の中で思うオオクニヌシであった。

 そうこうするうちに、スサノオが帰ってきます。もちろん、オオクニヌシは「お嬢さんをください!」なんて言えない。そんなこと言ったら、ちゃぶ台ひっくり返されて、ぶん殴られて終わりです。

 というか、もともと、オオクニヌシがスサノオの屋敷に来た目的は、兄たちの八十神から逃れるためです。だからオオクニヌシは、自分がここへ来たわけを、一生懸命スサノオに説明しました。

「というわけなんです。どうか、ぼくをかくまってください」
 オオクニヌシは、スサノオに頭を下げた。
「なるほど。事情はわかった」
 と、スサノオ。しかし、ギロリとオオクニヌシを睨んで、いかにも不機嫌そう。

 そうなんです。スサノオはオオクニヌシのそばに、ピッタリ寄り添っているスセリを見逃さなかったのです。あの目は、ぜったい、この男に恋してる目だ。ちくしょーっ! と、娘の気持ちに気づいてしまったのでした。

「お願いします。どうか、かくまってください」
 オオクニヌシは、また頭を下げた。ここでスサノオに見捨てられれば、スセリとの結婚以前に、また八十神たちに殺されるのだ。
「むう……」
 腕を組んで唸るスサノオ。
「お父様」
 と、スセリ。
「お願いです。彼を助けてあげてください。八十神たちに対抗できるのは、お父様しかいらっしゃいません。この世で一番強い神様ですもの。そうですよね?」
 うまいぞスセリ。なんだかんだ言って、スサノオはスセリには弱いのだ。
「むむむ」
 いまにも、ちゃぶ台をひっくり返しそうなスサノオではあるが、さすがに娘の前で暴れるわけもいかず、この場は仕方なくオオクニヌシを屋敷に泊めてやることにした。
「いいだろう。おまえの部屋を用意してやる。こっちへ来い」
 やったー! 助かった! と、心の中で飛び上がるオオクニヌシであったが……
 オオクニヌシが案内された部屋は、真っ暗でなにも見えないところだった。ひどい部屋だなあ。と、オオクニヌシは思ったが、泊めてくれるだけでもラッキーなのだ。文句は言うまい。
「ここで寝ろ」
 スサノオは、それだけ言って、屋敷の奥に引き下がった。
 さて、休むとするか。ここんとこ、兄さん立ちに追われて、ろくに寝てないんだよね。と、オオクニヌシが部屋の中に入ろうとしたとき。
「待って、オオクニヌシ!」
 スセリの声。
「やあ、スセリ!」
 思わず、顔がほころぶオオクニヌシ。
 だが、スセリの方は真剣な顔。
「お父様ったら、やっぱり素直にあなたを助けてくれる気はないみたい」
「え? どうして? 泊めてくれたじゃないか」
「違うの。よく聞いて。この部屋は蛇の住みかなのよ」
「蛇!」
「そうよ。毒をもった蛇が何百匹もいるの。この部屋で寝たら、すぐ蛇に噛まれて死んでしまうわ」
「ひええええ。なんでそんな部屋があるんだよォ」
「あるんだから仕方ないでしょ」
 スセリはそう言って、肩にかけていた布をオオクニヌシに手渡した。
「これは、蛇よけの布よ。蛇が襲ってきたら、この布を三回振ってちょうだい。それで襲ってこないから」
「わかった。やってみるよ」
「がんばってね」
 スセリは、オオクニヌシのほほにちゅっとキスをした。
「うわァ。元気が出てきたぞ!」
「うふふ。バカね」
 スセリは、ニッコリ笑って、屋敷の奥に戻っていった。
「よーし。スセリのためにも、がんばらなきゃ!」
 オオクニヌシは、決意を新たに部屋の中に入っていったのであった。ところで、あんた、当初の目的を完全に忘れてるだろ? スサノオの方が八十神より怖いんだぞ。

 さてさて。そんなわけで、なんとか蛇に殺されることなく一夜を明かしたオオクニヌシは、朝ご飯を食べているスサノオのところへ行って、元気に挨拶した。

「おはようございます!」
「む?」
 みそ汁を飲みながら振り返るスサノオ。
「お、おまえ、なんで、生きて……」
 と、言いかけたところにスセリがやってくる。
「オオクニヌシさん、おはようございます」
 父の前では、一応、オオクニヌシを「さん」づけで呼ぶ。
「やあ、スセリさん。おはようございます」
「きのうの晩は、よく眠れましたか?」
 と、スセリ。
「ええ。少し緊張しましたけど大丈夫。ぼくは元気ですよ」
「まあ、よかった」
 ニッコリとほほ笑むスセリ。
「そうか」
 スサノオがボソッと言った。
「くそっ。蛇じゃ死なんのかこいつは」
「あら、お父様。なにか言いました?」
「なんにも!」
 スサノオは、箸を置いて、どかどかと食堂を出ていってしまった。
 スセリとオオクニヌシは、そんなスサノオを見て、クスッと笑った。

 だが! 安心するのは早すぎるぞ、若人たちよ!

 スサノオはその晩、オオクニヌシをきのうとは別の部屋に案内した。
「今日はここで寝ろ」
「は、はい……」
 すでにビビッているオオクニヌシ。だって、部屋の中からは、ザワザワと、なんとも得体の知れない生き物がうごめく音がしているからだ。いよいよ、スサノオのオオクニヌシいびり(いびりか?)も本番か。
「どうした。早く、入れ」
「ええ、わかってます」
 オオクニヌシは、意を決して部屋の中に入った。そこは半分が地下室のようになっている構造だった。暗くてよく見えないが、なにかが這いずり回る音はいよいよ大きくなり、それだけでなく、耳を塞ぎたくなるような轟音までする。
 今度こそヤバイか……
 そのとき。
「オオクニヌシ!」
 またもやスセリが布をもってやってきた。
「ここは蜂とムカデの部屋よ」
「蜂とムカデだって!」
 これで音のなぞが解けた。這いずり回るのはムカデで、轟音は、何千、何万という蜂が立てる羽の音だ。
「今度は、この布を使って。これにくるまっていれば、蜂もムカデも襲ってこないわ。音がうるさいでしょうけど、我慢してね」
「ありがとう。でも、がんばるには、まだ足りないものがあるんだけど」
「なに?」
「スセリのキス」
「ふふ。いいわ」
 スセリは、オオクニヌシの唇に、軽くキスをした。
「どう? 元気でた?」
「でたでた。ファイト一発!」
「なによそれ」
 スセリはクスクス笑った。
「それより、化け物がいる部屋は、これで最後よ」
「ホント?」
「ええ。もう変な部屋はないわ。今晩を切り抜ければ、きっとお父様も諦めるはずよ」
「よーし!」
 オオクニヌシはガッツポーズ。

 だが……

 スセリのおかげで、今度も無事に朝を迎えたオオクニヌシであったが、今回はスサノオも、ピンピンしているオオクニヌシを見て、少しも驚かなかった。きのうの晩、スセリがオオクニヌシに蜂とムカデよけの布を渡しているのを見ていたからだ。

「おう、オオクニヌシ。よく眠れたかね」
「はい、スサノオ先生。ぐっすり眠れましたよ」
「そうか。そりゃよかった。じゃあ、朝早くで悪いが、ちょっと付き合ってくれんか」
「はい。なんでも手伝います」
「うむうむ。いい心がけだ」
 そう言って、スサノオは、オオクニヌシを連れて、野原に出かけていきました。
「オオクニヌシよ」
「はい、スサノオ先生」
「わしがいまから野に向かって矢を放つから、おまえはそれを拾ってきてくれんか」
「はい」
 なんか、犬みたいだなあ。

 で、オオクニヌシは、スサノオが放った矢を拾いに、野原の中に入っていった。そして、夢中になって矢を探していると、なにやらこげ臭い匂いがする。

「あっ!」
 ここでオオクニヌシはやっと、自分の置かれている状況に気づいた。なんと、スサノオが野原に火を放ったのだ。
「くそーっ! 騙されたァ!」
 いまごろ気づくな。
 とにかく、このままでは、こんがりウエルダンだ。ちなみにTERUはミデアムレアが好きだ。って、関係ないか。
 途方に暮れて、焼け死ぬのを待つばかりというとき。なにやら足元で小さな声がした。
「内は、ほらほら、外は、すぶすぶ」
 なんじゃそりゃ?
 わけがわからずも、オオクニヌシは声のする方へ歩いていった。すると、足元が突然陥没し、オオクニヌシは、地中へ落ちてしまった。
「あいたたた…… こんなところに穴があいていたなんて」
 お尻をさするオオクニヌシ。
「でも、助かったぞ。ここなら焼け死ななくてすむ」
 そのとき。
「チューッ」
 と、ネズミの鳴き声。
 オオクニヌシが足下を見ると、なんとスサノオが放った矢を口にくわえたネズミがいるではないか。
「チューッ、オオクニヌシさん。はい、これをお探しでしょ」
「わォ! ネズミさん、もしかして、この洞穴を教えてくれたのもきみかい?」
「チューッ。そうです。あなたは、いい神様なので助けたかったんです」
「ありがとう、ありがとう! なんとお礼を言っていいかわからないよ」
「いいんです、チューッ。がんばって、スセリ様を幸せにしてあげてくださいね」
「うん。任せておいて!」
 以前、ウサギを助けたオオクニヌシは、ネズミに助けられた。うーむ。これはどんな教訓なのかなあ? 古代の日本人が考えることはよくわからん。

 それはさておき、そのころスサノオの屋敷では……

「うっ…… ううう」
 スセリが、泣いていた。オオクニヌシを助けられなかったからだ。
「スセリよ」
 と、スサノオ。
「いったい、なにを泣いておる」
「お父様のバカ! 人でなし!」
「なんじゃ、なんじゃ、いきなり。わしゃ神だから、確かに人でなしだが、娘にバカ呼ばわりされる覚えはないぞ」
「ウソです! オオクニヌシさんを、殺したじゃないですか!」
「おい、そりゃ誤解だよ。あいつは自分で勝手に死んだんだ。わしゃ、なーんもしとらんもんね」
「ウソつき! お父様なんて、大嫌い! 顔も見たくありません!」
「スセリや。そんなこと言わんでくれ。おまえに嫌われたら、わしゃ生きてはおれんよ」
「だったら、オオクニヌシを生き返らせて!」
「それはできない相談だなあ」
「バカバカ!」
 スセリは、スサノオの胸をポカポカと殴った。
「お父様なんて、お父様なんて、大嫌いよ! あああ、オオクニヌシ! なんで死んでしまったのー! うわーん!」
 やれやれ。と、スサノオ。ま、これも一時のことよ。時間が経てば、オオクニヌシなんて野郎のことは忘れるだろう。ひひひ。だれが、このカワイイ娘を嫁になんかやるものか。

 そのとき!

「ただいま戻りました!」
 少しばかり服の汚れたオオクニヌシが、その手に矢を持って戻ってきたのだ。
「オオクニヌシ!」
 スセリは飛び上がった。
「ああ、オオクニヌシ。本当にあなたなの?」
「そうさ。ぼくは生きてるぞ」
 二人は、スサノオが見ているのもおかまいなしに、ひしと抱き合った。
「よかった。本当によかった……」
 ぽろぽろと涙をこぼすスセリ。
「ごめんよ。心配をかけたね」
 オオクニヌシは、スセリの美しい髪をなでながら、毅然とした態度で、スサノオを睨みつけた。
「スサノオ先生。お言いつけどおり、矢を持ってまいりました。どうぞ、お受け取りください」
「うっ…… うむ」
 さすがのスサノオも、死地を切り抜けてきたオオクニヌシの迫力に、やや気押されながら矢を受け取った。
「まあ、よくやった。おまえの努力に免じて、八十神からかくまってやろう」
「え?」
 てっきり、また何かされると思っていたオオクニヌシは、ちょっと拍子抜け。
「あ、どうも。ありがとうございます」
「ふん。どうでもいいが、スセリから離れんか、バカタレ!」
「あ、はい、すいません」
「言っとくがな、この屋敷に住むのはかまわんが、今後、スセリと会うことはまかりならん」
「そんな、お父様!」
「えーい、黙れ黙れ。ダメと言ったら、ダメ! ぜったいに許さーん!」
 もう、こうなったら、ただのだだっ子だ。

 と、屋敷に住むことは許されたオオクニヌシ君。今度は、スセリと会うことを禁止され、欲求不満が溜まりまくりの日々を過ごすことになった。

 そんなある日、スサノオがオオクニヌシを自分の部屋に呼んだ。

「お呼びでしょうか?」
「おう、来たか。さっそくだが、頭にいるノミを取ってくれんか」
「ノミですか?」
「うむ。なんか、痒くてたまらんのだ」
「わかりました」
 くそーっ、なんでこんなクソ親父にグルーミングなんかしなきゃいけないんだ。早くスセリに合わせろーっ。と、怒鳴りたいところではあるが、そこはぐっと我慢して、素直にうなずいた。
 ところが、スサノオの背中にまわり、髪の毛の中をのぞいたオオクニヌシは、ビックリ仰天。なんとそこには、何百匹ものムカデがうごめいていたのだ。

 どーいう、頭だ! と、読者としても怒鳴りたくなりますが、そこはそれ、神話ですから、いちいち突っ込んでいては、話が進みません。

 どうする? 手を入れたらムカデに噛まれるぞ。スサノオのことだから、きっと毒をもったムカデに違いない。まだ、ぼくを殺す気なんだ。と、困り果てたオオクニヌシですが、彼には強い見方がいる。

「オオクニヌシ」
 スセリが、そっと近寄ってきて、小声で彼を呼んだ。
「スセリ!」
 彼も、小さな声で応えた。
「ああ、スセリ。会いたかったよ」
「わたしもよ。父があなたを呼ぶのを見て、またなにか企んでいるんじゃないかと思ったの」
「大正解だよ」
「まだあなたを殺そうとするなんて…… もう、ほとほと父には嫌気がさしたわ」
「きみのお父さんを悪く言いたくはないけど、ぼくも、あんまり好きじゃないなこの人は」
「気を使ってくれなくていいのよ。それより、今度はこれを使って」
 そう言ってスセリは、赤土と椋の実をオオクニヌシに渡した。
「これを?」
「椋の実と赤土を口に含んで、噛み砕くのよ。そうすると、ムカデを噛み砕いているような音がするわ。それを赤土と一緒に吐き捨てれば、ムカデを捨てているように見えると思うの」
「なるほど。やってみるよ」
 オオクニヌシは、スセリに言われた通り、椋の実と赤土を口に含み、がりがりと噛み砕いて、それをペッと吐き捨てた。確かに、赤土はムカデの血のように見えて、うまくいきそうな気配。
 実際、うむ。こやつ、ムカデを噛み殺しているのか。なかなかやるな。などと、騙されるスサノオ。

 ふと、なんでだ。ふつう、騙されんぞ。とわれに返ってしまうが、そう言ったら、話が前に進まない。それにしても、神話って変だよねえ。

 そんなこんなで、しばらく椋の実を噛み砕いていると、スサノオは、すうすうと寝入ってしまった。

「スセリ!」
「オオクニヌシ!」
 二人は、スサノオが寝入ったおかげで、やっと抱き合うことができた。
「スセリ。ぼくは決意した。ここから出て行こうと思う」
「えっ…… 行ってしまうの?」
 驚くスセリ。
 だが。オオクニヌシは、笑顔を浮かべて言ったのだ。
「もちろん、きみも一緒だ。ぼくについてきてほしい」
「あっ……」
 スセリは、オオクニヌシの言葉に、思わず涙をこぼす。
「うれしい。うれしい。あたし……」
「スセリ。八十神たちのこととか、いろいろ苦労をかけると思うけど……」
「ううん」
 スセリは、涙を拭きながら首を振った。
「あなたと一緒なら、どんなに苦労したってかまわない」
 こうして、二人は駆け落ちすることとなったのである。

 スセリが、駆け落ちの準備をしている間、オオクニヌシも、策を練った。まずスサノオの髪の毛を部屋の柱に結びつけて動けないようにした。ちょっと待て。ムカデが這ってるんじゃなかったのか、スサノオの頭には。まあいい。問わないことにしよう。

 で、つぎに、スサノオが大事にしている、太刀と弓矢を持ち出した。これはスサノオ自慢の剣と弓で、これがあれば八十神たちを倒せると思ったからだ。というか、たぶん、そう思ったんでしょう。

 と、ここまでならまだ理由がわかるんですけどねえ。オオクニヌシ君、どういうわけか、神様が人間にお告げを伝えるときに使う、詔琴(のりごと)まで、持ち出してしまったのです。なんで? それを持っていったら、スサノオが怒るどころの騒ぎじゃないですぜ。なにせ、詔琴を持ってるってことは、神であることの証みたいなもんですからね。それを奪うのは、スサノオから、神の実権をはく奪するに等しい。ただでさえ、娘と駆け落ちしようって男が、そこまでするか?

 まあいい。それも問わないことにいたしましょう。

 ともかく、準備万端整った二人は、手に手を取って、スサノオの屋敷を逃げ出します。ところが、森を抜けようとしたとき、持ち出してきた詔琴が木に引っ掛かり、琴の弓が鳴り響いてしまったのです。
「しまった!」
 と、思っても、もう遅い。だから、そんなもん、持ってくるなって言ったのに。
 その音に気づいたスサノオは、ガバツと起き上がろうとしましたが、髪の毛が柱に縛られていて、立ち上がれない。
「お、おのれえ、オオクニヌシめえ! こしゃくなマネを!」
 怒り狂ったスサノオは、柱ごと引っ込むいて、部屋を破壊しながら、オオクニヌシと娘を追い掛けました。
 ガランガランと柱を引っ張りながら追い掛けるスサノオ。一目散に逃げるオオクニヌシ。いよいよ、黄泉比良坂(よもつひらざか)まで来ると、手を繋いで、懸命に逃げる娘たちの姿が、スサノオにも見えました。

「おい!」
 スサノオは、立ち止まって大声を上げました。
 オオクニヌシも立ち止まり、スサノオを振り返る。
「きさま! よく聞け!」
 スサノオは、轟くような声で、言いました。
「おまえの持っている太刀と弓矢で、八十神たちを打ち取れ! そして、そして…… ええい、くそっ! わが娘をくれてやる! 字迦(うか)の山に住まいを建て、二人で豊かな国を造るがよい!」
 なんと、突然のお許し。そう。スサノオもわかっていたんですね。娘の気持ち。手に手を取って逃げる二人を見て、もうこれ以上邪魔をしても無駄だと悟ったのでしょう。
「お、お父様!」
 スセリは叫びました。
「ありがとう! 親不孝な娘を許してください!」
「お義父さん!」
 と、オオクニヌシ。
「スセリのこと、きっと幸せにします!」
「バカタレ! 早く行かんか!」
「はい!」
 走り去って行くオオクニヌシたち。それを見て、スサノオが号泣きしたのは言うまでもありません。

 こうして、スサノオの統治の時代は終わりました。オオクニヌシは、彼から譲り受けた(というか奪った?)、太刀と弓で八十神たちを滅ぼし、地上の支配者になったのです。ついに、名前のとおり「大国主ノ命」になったというわけ。

 ひえええ。また、こんなに行数を使ってしまったァ。ちょっとした短編並みだァ。

 次回はコノハを書こうかと思ったのですが、またまたスセリとオオクニヌシのお話が続きます。いよいよ、スセリの本領発揮というか、不孝の始まりというか……

 でも、コノハにも繋げる予定です。(予定ですよ、あくまでも)

 ではまた。