なんか久しぶりのエッセイ。今回は日本神話いってみましょう。そうです。古代の英雄、ナガスネヒコの悲劇。え? ナガスネヒコは英雄じゃない? まあ、そうおっしゃらず、最後までお付き合いくださいませ。
と、その前に。気がつきますと、この日本神話シリーズは、イザナギ、イザナミから始まり、スサノオ、オオクニヌシを通って、ニニギ、コノハに至っております。おおーっ、推古天皇の回は例外ですが、一応、順を追ってるじゃないか。ぜんぜん、意識しないで自由に書いてるつもりだったんだけどなァ。意外だなァ。
というわけで、いきなりナガスネヒコに行かないで、せっかくですから、そこへ至る道筋を、書きましょうね。
さて。コノハはニニギの子供を生みました。くわしくは「乙女の決意」を読んでね。そんでもって、その子供が、かの有名な海幸彦と山幸彦。双子の兄弟です。海幸彦がお兄さんで、山幸彦が弟ざんす。本当は三人生んだってことになってるらしいが、面倒くさいんで省略。(おいおい……)
この兄弟。あんまり仲がよくありませんでした。というか、兄の海幸彦の性格が悪く、隣の芝生は青く見えるっていうか、嫉妬深いっていうか、とにかく弟に意地悪をするらしい…… という話を読んだりしますけど、どーもこれ、そうじゃないと思うんですよ。弟の山幸彦の方がぜったい、悪いヤツだと思うなぼくは。うん。海幸彦いいヤツですよ。彼は自分をわきまえている。
というのは。彼らは名前のとおり、海と山に別れて暮らしていまして、さらに名前のとおり、海幸彦は「海の幸」を、山幸彦は「山の幸」を摂ることに長けているのです。それぞれ、食料を得る分担が違うわけなんですね。
で、弟の山幸彦なんですが、彼は兄が釣りをしているのを見て、自分もやってみたくてしょうがなくなります。
「ねえ、兄さん。ぼくに兄さんの釣り道具を貸してくれないかな?」
「ダメだ」
「なんで?」
「これは、オレが大事にしている仕事道具だ。おまえには、おまえの仕事道具があるだろ」
「じゃあさあ、ちょっとだけ、ぼくの猟具と交換しようよ」
「ダメだと言ってるだろうに」
「ケチだなあ。そんなことじゃ、いい嫁さんのもらい手ないよ」
「おまえに言われたかないわい!」
「ほらァ、そうやってすぐ怒る。ねえ、いいじゃない。ちょっとだけでいいからさ。兄さん、頼むよ。兄さんったらァ」
そんなこんなで、なかなか引き下がらない山幸彦に、海幸彦はついに折れます。本当にちょっとだけだぞと念を押して、弟に釣り道具(じつは針が重要)を貸しました。
さて。釣り道具を借りて、喜び勇んで釣りを始めた山幸彦ですが、所詮はシロウト。なかなか魚は釣れません。
「なんだ。つまんないな。釣りなんて」
などとボヤいているうちに、山幸彦は兄の釣り針を海になくしてしまったのでした。で、そこへ海幸彦が帰ってきます。
「やはり、オレには狩りは向いてない。一匹も動物を捕らえられなかったよ。おまえはどうだった?」
「え? うん…… 釣れなかった」
「だろうな。人にはそれぞれ、得手不得手があるんだ。自分の領分をわきまえて暮らさなきゃいけない。これでおまえも気がすんだろ。さあ山幸。オレの釣り針を返してくれ」
「うん…… それがその、じつは……」
山幸彦は釣り針を無くしたことを告げます。
「な、な、なんだとーっ! あああああ、あれが、あれが、どれだけ大事な針なのか、おまえ、わかっとんのか!」
「わーっ、ごめんなさい、兄さん!」
「ごめんですんだら、警察はいらんわーい!」
というか、警察なんかないんですけど、この時代。
このあと山幸彦は、自分の十拳剣を砕いて、五百個の釣り針を兄に送りましたが、ぜんぜん許してもらえない。そんじゃ今度は、千個の針を送りましたが、またまた許してもらえない。まあね。金じゃ解決できない問題もあるってこってすよ、世の中。
さあ困った。
さすがの山幸彦も、兄のものすごい剣幕に、ほとほと困り果て、海を見つめながらタメ息なんぞをついておりました。
するとそこへ、シホツチノというジイさんが通りかかる。
「おや、山幸彦さま。いかがなされた?」
山幸は、地上を支配する神様である、ニニギの息子だから、じつは偉いのだ。お坊っちゃま…… というか王子さまなんだよね、じつは。
「やあ、シホツチノ。じつは、かくかくしかじかで」
と、事情を話す山幸。するとジイさん、うむ。とうなずいて、山幸にいう。
「でしたら、この竹で編んだ船に乗って、海に出なされ。さすれば自然と沖に流されて、魚のウロコで作った宮殿が見えてくるはずですじゃ。そこの門のところに、桂の木がありますから、そこに座りなさい。あとは野となれ山となれ、じゃなくって、うまいこといきますじゃろ」
「本当?」
「ジジイを信じなされ」
「うん。わかったよ」
ちゅうわけで、船に乗って沖に出る山幸。この突拍子もない展開が、古事記というか神話のいいところ。理屈もへったくれもあったもんじゃない。信じる者は救われる。
ジイさんのいう通り、宮殿が見えてきました。門に到着した山幸は、桂の木に腰をかけて待ちました。すると、それを見ていた宮殿の侍女が、山幸に声をかけます。
「あの、なにかご用でしょうか?」
「うむ。水をくれ」
は? いきなり水ですか? なんで? いやだから、ここが理屈もへったくれもない神話の醍醐味ですな。ふう…… 付いていくの大変よ、わけわからん展開に。
侍女は水を持って戻ってきました。山幸はそれを受けとり、ごくごくと飲み干すと思いきや、なんでか知りませんけど、自分の首飾りを解いて(古代のお偉い人は、男も玉を首からさげていたんですな)、その玉を自分の口い入れた。なんで? まあいい。今度はその玉を口から出して、侍女の持ってきた水の入った器に入れる。すると、玉は器にくっついて離れなくなった。
「まあ、すごい!」
驚く侍女。さっそく、姫様に報告しなくっちゃと、宮殿の中に戻っていったのでした。なんだかなあ。山幸彦って、マジシャン?
でもって、報告を聞いたトヨタマ姫は、さっそく外へ出て、山幸に会いました。すると、どうよ、すんごいハンサムじゃないのさ。トヨタマ姫は、山幸に一目惚れ。山幸も、出てきたトヨタマ姫を見てビックリ。うわあ、すごい美人じゃん! こっちも一目惚れ。おまえらな。いいかげんにしろよ。世の中なめてるんじゃないのか?
トヨタマ姫は、山幸彦を宮殿に向かい入れ、父に会わせました。すると、トヨタマ姫の親父さん、すぐ山幸の素性に気づく。
「あ、あなたは、もしやニニギさまのご子息、山幸彦さまでございますか!」
「うん。そーだよ」
「うわあ、よくぞお越しくださいました! さささ、どうぞ、こちらへ!」
親父さん、山幸をすごく豪華な座ぶとんの上に座らせます。そして、部下たちに言う。
「おい、なにをしておるか、宴席の用意をせんか、ご馳走を作れ、レミー・マルタン持ってこい!」
つまり、山幸を最高の料理と最高のお酒でもてなしたのでした。
そんなこんなで、気分のいい山幸。トヨタマ姫は、絶世の美人だし、もう言うことないってんで、トヨタマ姫と結婚し、この海の宮殿で、幸せに暮らしましたとさ。
なに? 無くした針はどうなったんじゃ?
月日は流れて、三年後。
トヨタマ姫は、ふうとタメ息をつく夫を見てしまったのでした。なにやら、思い悩んでいるご様子。ああ、ダーリン。どうなさったのかしら? わたくし心配だわ。
現代なら、「ちょっと、あなた。どうしたの?」と、直接聞けば済む話ですが、そこはそれ古代だし、お姫様だし、神話だし、ってわけで、トヨタマ姫は父親に相談します。
「お父さま。山幸彦さまが、夜な夜な、タメ息をついているんです。わたし心配で夜も眠れません。お父さま。山幸彦さまから、わけを聞いてはくれませんか?」
この部分、古事記の中でも、とっても文学性の高いところで、夫を心配する妻の心情が詩的に表現されていると言うのですが…… はい。読んでもよくわかりません。なんだかねえ、なんでこう、古代人は回りくどいかね。と、ぼくなんか思っただけだもんね。
トヨタマ姫のオヤジは、そうか。うむ。わかった。と承知して、山幸にタメ息の理由を問いただします。もしや、わしの娘に飽きたんじゃなかろうな? とは、いいませんでしたけどね。
「いや、お義父さん。じつはぼく、兄の針を無くしちゃったんですよ。それで思い悩んでいるのです」
と、山幸はタメ息のわけを話します。
バカタレ! だったら、三年もなにをしておったんじゃ、おまえは! いまごろタメ息なんかつくな!
はい。お怒りはごもっとも。でもね。これが古事記。いちいち、怒っていたら先が進まない。けど、怒るよねふつう。こんなの現代の小説で書いたら、作者はアホだと思われるでしょう。
そんなこんなで、そりゃ、えらいこってすな。と、トヨタマ姫の親父さんは、海の魚を集めて、だれか、海幸さんの針を知らんか? と、尋ねます。すると、そういえば最近、赤鯛(あかだい)が、針が喉に引っ掛かって、食事がノドを通らないと言ってます。きっと赤鯛のノドに刺さってるんですよ、という情報が得られた。
待ってよ。その赤鯛くん、三年間も食事がノドを通らなかったわけ? はいはい。そういうこと気にしちゃいけないって言うんでしょ。わかってますよ、まったくもう。
はたして、針は赤鯛のノドに刺さっていました。トヨタマ姫のオヤジは、それを取り出して、きれいに洗い清め、山幸に返します。
「うわあ、ありがとう、お義父さん! これでやっと兄に会えるよ!」
「よかったですなあ。しかし山幸彦さま。ただ返してはなりませんぞ。これを返すとき、その針に呪いをかけるのです」
「呪い?」
「そうです。こう言うのです。『この釣り針は憂鬱になる釣り針、心のすさむ釣り針、貧しくなる釣り針、愚かになる釣り針』と。そして手を後ろに回してお渡しなされ」
「へえ。そいつはいいや」
「さらに念を入れましょうぞ」
「うん、入れよう」
「兄上が高いところに田畑を作ったな、あなたは低いところに作りなされ。低いところに作ったら、あなたは高いところに」
「なんで?」
「ふふふ。わたしは水を司っておるのですよ、山幸彦さま。兄上が田畑を作られたところに、今後三年間、雨が降らないようにして差し上げましょう」
「ああ、それで、ぼくは別の場所に田畑を作るんだね。でも、それじゃあ兄の土地は凶作で大変なことになるよ。戦争になるかも」
「そうです。きっと戦争になるでしょう。しかし、大丈夫。津波を起こして溺れさせればいいのです。そして、許しをこうたところで、水を引いて助けてやればいいでしょう。さしもの兄上も、一生、山幸彦さまに頭が上がらなくなることでしょうて!」
「ふふふ。お義父さん。そちも悪よのう」
「うははは。お代官さまには、かないませぬわ」
えっと…… もはや、わたくし言葉もございませんが……
山幸彦くん。きみは、嫌がる兄の釣り針をむりやり借りて、それを無くし、今度は針を探すと称して、じつは三年間、美人の奥さんと遊びほうけただけ。その上、兄に呪いをかけると言うのかね? きみの兄が、なにか悪いことをしたのかね? 呪われなければならないような? しかも、やけに用意周到と言うか、念の入った呪いじゃないか。ここまで徹底的に、ここまでネチっこい呪いも、そうそうないぞ。
なんだか、信じがたい話ですが、山幸は、このとおり実行して、兄に呪いをかけ、そして堪え切れなくなった兄が攻撃してくると、津波で溺れさせ、許しをこうたところで助けてやったのでした。こうして、哀れな海幸彦は、弟の奴隷…… いやまあ、一応、護衛役ということになっとりますが、とにかく、一生コキ使われる身分になったのでした。
教訓。この世はやっぱり、悪党が勝つ! 正直者は泣きましょう。さめざめと。夢も希望もねえな。
さて。悪の秘密結社みたいな、山幸彦ですが、こいつにも、ちょっとは痛い目を見ていただきましょう。
陸に戻り、みごと兄を奴隷にした山幸彦くん。彼のもとに、トヨタマ姫がやってきます。そう。奥さんですね。
「山幸彦さま。お会いしとうございました」
「うん。元気だった?」
「ええ。元気なんですけど、わたくし妊娠しております」
「はい?」
「山幸彦さまの子供がお腹にいるんです」
「ええっ、聞いてないよ、そんなこと!」
「そうでしょうね。いま初めて言ったんですから。で、天津神の子供を海で産むわけにはいきません。そこで、わたくし陸にやってきました。こちらで産ませてください」
「はあ…… わかったよ。好きにしなさい」
「ありがとうございます。でも、一つだけ約束してください。絶対に、わたくしが子供を産む姿をご覧にならないで」
「わかった」
「では、そろそろ産まれますんで、失礼します」
といって、トヨタマ姫は産屋に入っていった。
まあ、古今東西、見るな、言うな、と言われれば、その正反対をするのが物語の常。当然、山幸彦もトヨタマ姫が子供を産むところを覗き見します。
すると! なんと産屋には、巨大なサメが、陣痛に苦しんでのたうち回っていたのでした。そうなのです! トヨタマ姫の正体は、サメだったのです!
ざまみろ、山幸! おまえ三年間も、サメとよろしくやってたんだぜ!
「ギャーッ!」
山幸は、妻の正体を見て、逃げ出します。
正体を知られたトヨタマ姫。
「ううう…… このまま海と陸を行き来して、山幸彦さまと暮らしたいと思っていましたが、正体を知られて、それもできなくなりました」
と、泣きながら、産まれたばかりの子供を残して海に帰っていったのでした。
うっ…… ごめんなさい。サメなんて言って。トヨタマ姫さま。あなたは心の美しい人です。でも山幸彦のことは忘れなさい。いや、だからこそ忘れなさい、あんな悪党。
しかし、トヨタマ姫は、海に帰ってからも、ずっと夫のことが忘れられず、その想いは募るばかり。そこで妹のタマヨリ姫に頼んで、夫のために作った歌を贈ります。
『赤い玉は、それを貫いた緒までも光るほどに美しいものですが、それにもまして、白玉のような、あなた様のお姿が、けだかく立派に思えるのです』
なんじゃそりゃ。山幸が気高い? 立派? 冗談だろ? まあいい。これを読んだ山幸も、さすがに元妻を不憫に思ったのか、まあ、おまえのことは忘れないよ。という内容の歌を返したのでした。本当に忘れないんだったら、サメでもなんでも気にしないから、陸に来て一緒に暮らそうって、歌ってやりゃあいいじゃねえか。まったく。
そんなわけで、山幸彦は、サメとの間に子供を作ったわけですが、この子が、「アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズノ命」という、まあジュゲムジュゲムみたいな、へんてこな名前。
しかも、このジュゲムくん…… じゃなくて、アマツヒコくん、なんと自分のお母さんの妹と結婚します。姉の歌を運んできた、タマヨリ姫ですな。叔母さんと結婚するとはねえ…… よーやるわ。
そんで、アマツヒコとタマヨリ姫の間に生まれたのが、まあ、たくさんいるんですけど、その中に、「カムヤマトイハレビコ」がいました。このイハレビコこそ、初代天皇として大和朝廷を打ちたてた、後の神武天皇なのです。
ん? ということは、神武天皇って、サメの孫? だよね。お婆さんがトヨタマ姫なんだから。待て、違うよ。神武のお母さんは、トヨタマ姫の妹じゃん。ってことは、お母さん自体が、サメじゃねえか! サメ一家だ。うわあ。神武天皇って、さぞやサメ肌だったでしょうな!
というわけで、ナガスネヒコと、戦争をすることになる神武はこうして生まれたのでした。しかし、そこはそれ、サメ一家というか、ニニギや山幸彦の血を引く神武くん。こいつがまたクセ者で、力じゃかなわない、大和の英雄ナガスネヒコを、汚い手段で殺すことになるのでした。