前回の「もっとも美しい女神」で、ヘラクレスの話を書きました。ギリシャ神話には、この手の英雄がけっこういますが、今回は、ヘラクレスのつぎぐらいに有名なオデュッセウスから始めましょう。なーんだ。女神の話じゃないのか。と、ガッカリした男性諸君。大丈夫。TERUを信じなさい。ちゃんと出てきますよ、美人の女神様。しかも今回は、人間の中で、もっとも美しい女性もご登場です。
ですが、女性の皆様には悪い知らせです。今回主役のオデュッセウス君。あまりハンサムじゃなかったみたいですね。しかも、短足だったとか。ギリシャ神話における英雄って、「ハンサム」「単純な性格」「体育会系」の三つの資質を持ってると、ぼくは思うのですが、オデュッセウスは、ことごとく、このパターンにあてはまりません。彼の場合は、「あまり見た目はよくない」「けっこう繊細で複雑な性格」「知性派」ってところでしょうか。
ちょっと、なに言ってんのよ。オデュッセウス様は、ハンサムよ!
と、女性ファンから抗議の声が聞こえてきそうですが、それはきっと、かの有名な神話作家、ホメロス先生のせいでしょう。「イリアス」と「オデュッセイア」の中の彼は、カッコいい英雄ですもんね。ホメロス先生は、オデュッセウスの英雄譚に傷がつくような話は、あえて書かなかったみたいなんですよ。たとえば、ヘレネの一件で、恨みを持っていたパラメデウスを、用意周到な手口で殺害した事件なんかは、オデュッセウスの英雄の名を、著しく損なうものなんで、ホメロス先生ってば、一言も書いてませんもんね。(あとで、ぼくがバラしましょう)
閑話休題。
えーっと、「イリアス(イーリアス)」と「オデュッセイア」をご存じない方のために、ちょっと解説します。この二つの物語は、紀元前八世紀から七世紀ごろ(正確な年代は不明なのです)、ホメロスという詩人によって書かれた神話物語です。それぞれ、全二十四巻の長編小説でございます。現存するギリシャ神話の中では、最古のものです。
イリアスの方は、アキレウス(アキレス)を主人公にした、ギリシャとトロイの戦争を描いたもので、オデュッセイアは、その後日談。こちらの主人公は、もちろんオデュッセウス。戦争が終わり、彼がギリシャに帰るまでの十年間の冒険を書いたものです。
話を戻しましょう。
さあて、オデュッセウス君。アキレウス、パラメデウスとともに、トロイ戦争でギリシャを勝利に導いた優れた武将です。戦略にも戦術にも長けていました。トロイの木馬作戦を考えたのがオデュッセウスだと言えば、彼が、どれほど重要な活躍をしたか容易に想像できるでしょう。
が。
この英雄。なかなか残忍というか、執念深いというか、単純な英雄の枠には収まりきらない男です。ハッキリ言っちゃうと、悪役で登場しても十分通用するようなヤツなんですよ。その代表的なエピソードが、パラメデウスを殺害した事件。上でもちょいと書きましたが、ホメロス先生がこの事件に触れていないので、ぼくがバラすことにします。
ことの発端は、ヘレネという一人の美しい女性です。ヘレネは、ゼウスとレダの娘(ゼウスのダンナ、あちこちで火遊びしております)。お母さんのレダも、それはそれは美しい女性だったんですが、ゼウスという、一応、全能の神の血を受け継いだヘレネは、もう、ビックリぶったまげちゃうような美女として生まれちゃいました。しかも親父に似て、けっこう好色。男好きなんですよ。傾国の美女って言うでしょ? 彼女がまさにそれですな。
というわけで、来るわ、来るわ、求婚者。われこそがヘレネの夫に相応しいと、世界中から男たちが押し寄せました。みんな、どこぞの国の王様とか王子様とか、地位の高いヤツらばっかりなので、このままでは戦争でも始めかねないという剣幕。育ての父であるテュンダレオス(スパルタの王様です)にとっちゃ、ハッキリ言って迷惑です。自分の国で戦争なんか始められた日にゃ、泣くに泣けませんぜ。
そこで、オデュッセウスの登場です。じつは彼もヘレネに求婚していた一人でして、戦争を回避するために、一つの提案をします。
「お集まりのみなさん。どうだろう。われわれが争っても無益なだけだ。ここはヘレネのお父さんである、テュンダレオス王に決めてもらおうではないか。そして、だれも王の決定に逆らわないと誓おう。さらに、ヘレネを、その夫から奪おうとするヤツが現れたら、われわれが一致団結して戦おうではないか」
というオデュッセウスの提案に、テュンダレオス王はもちろん、求婚者全員が同意しました。で、オデュッセウスが選ばれた…… わけではなく、選ばれたのは闘将アガメムノンの弟、メネラオスという男でした。え~っ、なんでこんな男が? って感じの目立たないヤツなんですが、テュンダレオス王は見る目があった。こいつ、ホントにいいヤツなんですよ。ヘレネと結婚して、スパルタの王位を受け継いだんですけど、超のつく美人な奥さんと、戦争好きの兄貴という、個性的な人たちに囲まれて、いつまでたっても影が薄い。でもね。そんなこと彼は気にしない。彼にとっての幸せは、国の平和。
う~ん、話がそれるけど、メネラオス君、有名じゃないから、ちょっとぼくが紹介しちゃおう。
ヘレネと結婚し、スパルタの王様にもなって、メネラオス君は、けっこう幸せな生活を送っておりました。が、ここで「黄金のリンゴ事件」が発生。トロイの王子、パリスがヘレネを奪いに来ます。(前回のエッセイ「もっとも美しい女神」を読みましょう)
メネラオス君は、ヘレネを守るためにパリスと決闘します。ここでなんと、メネラオス君、パリスを倒してしまうのです。ところが、パリスはアフロディーテに守られているので、けっきょくヘレネを連れ去られてしまうのです。ヘレネはヘレネで、元からの男好きに加え、アフロディーテから、男を誘惑する技を教えられたりして、すっかり夫のことなんか忘れてパリスについていっちゃう始末。メネラオス君ったら、踏んだり蹴ったり。
このあとトロイと戦争になるわけですが、メネラオス君、もちろん戦いましたとも。しかも、自ら船を操り、嵐に苦しめられ、怪物と戦いながら、みごと、兵士たちを国に帰したのでした。
さあ戦争にも勝った。奥さんも戻ってきた。メネラオスは、「あのバカ。奥さんを寝取られてやんの」という中傷の声にも、一切耳を貸さず、トロイで、さんざん浮気してきたヘレネを許し、王妃の座に戻しました。これ以外にも、母殺しの呪いをかけられた甥っ子を、わざわざ、面倒に巻き込まれることもないでしょうという、部下の反対を押し切ってかくまってやったりと、親切で勇敢で公正な王として、生き抜いたのです。おかげで彼は、この時代の、どんな英雄よりも長生きしました。彼の死後、黄泉の国の神様ハーデスは、メネラオスの功績を愛で、黄泉の国でふたたびヘレネと結び合わせてあげたそうです。女性のみなさん、結婚するならメネラオスのような男を探しましょう。けっして、オデュッセウスみたいな詐欺師に騙されちゃいけませんぜ。
さて、話を戻して、オデュッセウス。
ヘレネが、トロイの王子、パリスに連れ去られた! この一報が、彼のもとにも届きました。思い出していただきたい。ヘレネを奪うヤツがいたら、求婚者全員で戦おうと提案したのは彼です。もう、真っ先にトロイと戦わなければならない。
ところが。オデュッセウスは、もしトロイと戦争を始めたら、二十年間は帰ってこれず、しかも帰ってきたときには、ただの貧乏な男に成り下がっているだろうという予言を受けていたのでした。だから「え~っ。オレ、イヤだよ。だれが戦争なんか行くもんか」と、こう考えたわけです。そこで、パラメデウスとアガメムノン(こいつはメネラオスの兄さんですな)が迎えに来たとき、なんとオデュッセウス、気が狂ったフリをして、徴兵を免れようとしたんですな。この時点で、すでに見下げ果てたヤツなんですが、彼の演技をパラメデウスが見破ってしまう。そこで仕方なく、オデュッセウスは戦争へ行くことにしました。
で、もともと英雄の素質十分の男ですから、戦争では大活躍したわけですが、自分の演技を見破ったパラメデウスを、ずっと恨んでいやがったのです。パラメデウスも優秀な武将で、オデュッセウスに並んで大活躍したんですけど、オデュッセウスは、パラメデウスが軍の金を横領しているという噂を流し、ご丁寧に、彼の屋敷に金塊を隠しておいたのでした。当然、パラメデウスは無実を主張しましたが、いかんせん、名声ではオデュッセウスの方が上。人々は、オデュッセウスを信じて、パラメデウスを死刑にしてしまいました。
なんとまあ、オデュッセウス。自分の手を汚さずに、パラメデウスを殺害したばかりか、彼の名声をも地に落としたのでした。これを策士といわずして、なんと呼べばいいんでしょうか。すごくイヤなヤツ。これだけじゃありませんぜ、アキレウスの持っていた黄金の鎧も、アイアスからだまし取ってるんですから、始末に負えない悪党です。アイアスは、そのせいで自害してます。
あの~ もしかしてTERUさん、オデュッセウスが嫌いなのでは? と思われたあなた。とんでもございません。好きですよ彼。ホントですってば。もしかしたら、ギリシャ神話の英雄の中で、一番好きかもしれない。ヘラクレスなんて、ただの体力バカですもんね。オデュッセウスぐらい、変わり者というか、個性的じゃなきゃ、読んでいておもしろくないですよ。
だからオデュッセウスの話を進めましょう。
彼の冒険譚の中で、ぼくが一番好きなエピソードは、「キルケ」との出会いです。キルケは、太陽の神「ヘリオス」の娘です。太陽の神様はアポロンだろ。っていう疑問は、いまは持たないでくださいな。その辺、複雑なんですよ。
そうだ、忘れてた! オデュッセウスは、嘘つきと盗賊と賭博師の守り神「ヘルメス」の曽孫ざんす。どーりで。
キルケ。この女神は、あまり知られていませんが、上に書いたように血統はいい。ヘリオスは太陽の神様として、人々にすごく慕われていましたからね。そんないいとこの家に生まれたキルケさん。魔法と魔法の薬草に精通してました。なんて書くと、眼鏡をかけた学者タイプを想像しがちですが、さにあらず。彼女はすばらしい歌声と、それ自体が魔力だなんて言われるぐらい、肉体的美しさも兼ね備えていました。
ですが……
なんですかねえ。いい家に生まれるとグレたくなるんですかねえ。キルケさんったら、そりゃあもう、性格の悪い女に育っちゃいました。ちょっといい男がいるとですね、そいつとアバンチュールを楽しみまして、飽きるとポイっと捨てる…… なら、まだいいんですが、彼女は男を捨てることはしませんで、そいつの容姿や性格にあった動物に変えちゃって、自分のペットにしちゃうんですよ。
そんな、猛烈な悪女ぶりを発揮していたキルケと、な、な、なんと、あのオデュッセウスが出会うことになるのです。いったい、どーなっちゃうんだ! ドキドキ!
オデュッセウスは、予言された通り、トロイ戦争が終わったあと、世界をさ迷っておりました。そんなある日。キルケの住む島に、船の錨を下ろしたのです。オデュッセウスは、乗員の一部を、島の探検隊として送り込みました。
それを見ていたキルケさん。「あらあ! オデュッセウスを、わたくしのコレクションに加えられるなんて、すっごいじゃない! ちょっと足が短くてむさ苦しいけど、なんてったって、超有名な英雄ですもんね。彼はどんな動物に変えてあげようかしら」
うーむ。やっぱり波乱の予感。
さてキルケさん。探検にやってきた乗員を城に向かい入れ、ご馳走を振る舞って油断したところを豚に変えちゃいます。こうすればオデュッセウスが、乗員を助けに、のこのこやってくるだろうって計画。あのオデュッセウスが、部下なんか気にかけるわけないじゃん。と、思うのですが、英雄になって改心したのか、部下を助けにキルケの城に乗り込みます。
さあ、キルケとオデュッセウス、世紀の対決!
「待っていたわよ、オデュッセウス。お会いできて嬉しいわ」
「魔女め。オレの部下になにをした」
「ああら、見た通り豚にしてやっただけよ。どうせ豚みたいな連中なんだから、どっちでも同じでしょ」
「そりゃそうだが…… 違う。なにを言わせる。すぐに部下を元に戻せ」
「うふふ。なんか、あなたとは気が合いそうね。ねえ、動物に変えられる前に、わたくしと楽しいことしない?」
「楽しいこと?」
「ベッドの中で天国に連れていってあげるわ」
「ワォ。そりゃいい。こっちこそ、可愛がってやるぜ」
「楽しみだわ。こっちよ。きて」
「待て。その前に部下を元に戻せ」
「あなたもわからない人ね。わたくしの力を甘く見ると、痛い目にあうわよ」
「ふん。どうせ遊んだ後に動物に変えるんだろ。だったら、いまやってみろよ」
「ずいぶん自信たっぷりじゃない」
「そうかな? 普通だよこれで」
「英雄って、イヤミな人種ね。いいわ。わたくしの力を、思い知りなさい」
キルケは、オデュッセウスに魔法をかけた。
が! オデュッセウスになんの変化もない。
「あ、あら? おかしいわね」
「どうした。おまえの力はこんなもんか?」
「待ちなさい。もう一度!」
キルケは、精神を集中して、今度こそ最大級の魔法をオデュッセウスにかける。
といころが変化なし。
じつは、オデュッセウス。キルケが自分を狙うだろうという予言を、曾ジンさんのヘルメスから聞かされ、彼女の魔法を無効にする「逆の魔法」を、あらかじめヘルメスにかけてもらっていたのだった。だから、部下を助けに来たのか。なるほど。
そうとは知らないキルケさん。
「やだ…… どうして、どうして、わたくしの魔法が効かないの?」
生まれて初めての敗北に、動揺するキルケ。
「ふん。オレに魔法をかけようなんてバカな女だ。今度はこっちの番だぞ」
「あ……」
キルケは、脅えた顔で後ずさる。殺される。
「待って。あなたの部下を元に戻すわ。お願い、命だけは……」
「ダメだね」
キルケもこうなったら、ただの女。まがりなりにも英雄とうたわれた男に、力でかなうわけがない。
オデュッセウスは、キルケの腕をぐいとつかみ、自分の方へ引き寄せた。
「いや…… やめて……」
つぎの瞬間。
オデュッセウスは、キルケの唇を奪ったのだった!
「うっ!」
予想だにしなかった事態に驚くキルケ。
だが…… オデュッセウスのキスのうまいこと! なんだか、とろーんとしてくる。
長いキスが終わった。
「あ……」
キルケは、名残惜しそうにオデュッセウスを見つめた。
「キルケ。オレは、ヘレネと結婚できなかったことを、今日初めて幸運だったと思った。そのおかげで、おまえに巡り合えたんだからな」
さすが英雄。臭いセリフも堂々と言ってのけられる。
「オデュッセウス。それ本気で言ってるの?」
「オレはいつだって本気だ」
「あ、ああ…… オデュッセウス様……」
こうしてキルケは落ちた。
オデュッセウス! おまえってやつは、おまえってやつは、なんて、おいしいキャラクターなんだ! 一度、ぼくの小説に出演してみないか!
と、どこかのアマチュア小説家が叫びたくなるほど、うまいことやったオデュッセウス。もともとキルケは、マジで美女だったわけなので、オデュッセウスも、彼女を本気で愛しちゃいました。
片やキルケの方は、もう「愛した」なんてもんじゃなくて、オデュッセウスにメロメロ。いままで悪女だったのがウソみたいに、愛らしい女に変わり、一途にオデュッセウスに尽くしました。
「どう? おいしい?」
キルケは、自分の手料理を食べるオデュッセウスに聞いた。
「ああ。うまいよ。でも……」
「でもなあに?」
「おまえ、魔法が得意なんだろ。料理なんかパッパッと魔法で作っちゃえばいいじゃないか」
「そうだけど…… あなたに手料理を食べてもらいたかったんだもん」
なーんて会話があったかどうか知りませんが、猛女の深情けとはよく言ったもので、キルケは、本当にオデュッセウスによく尽くしました。やがて二人の間には、「テレゴノス」という息子が生まれます。
しかし。彼らの蜜月は三年で終わった。オデュッセウスは、ふたたび海に出る決心をしたのだ。彼もキルケを本気で愛していたのだが、海に対する情熱が、それを上回ってしまったのだ。(と、ホメロス先生は書いていらっしゃる)
「行ってしまうのね…… わたしを捨ててまで」
「すまん。オレはどうしても、もう一度海に出たいんだ」
「そう……」
瞳に涙をためるキルケ。彼女にはもう、悪女だったころの面影は微塵もない。
「いいの。あなたをとめても無駄だってわかってる。それに、いつかこんな日が来ることも覚悟していた」
「キルケ……」
「なにも言わないで」
キルケは、涙を拭いてほほ笑んだ。
「最後に。これからあなたが遭遇する危険を占ってあげる」
キルケは、こののち、オデュッセウスが遭遇するであろう、数々の危険をきわめて正確に予言し、彼に教えました。そして、愛する男が自分の元から去っていくのを、じっと耐えたのでした。
ううむ。キルケ。なんていい女だ。ぼくの小説に出演…… 以下同文。
さて。こうしてオデュッセウスは、ふたたび海に出たわけなんですが、キルケは彼の遭遇するだろう危険の中で、最大級のモノを彼に教えなかったのでした。
時は進み、十数年後。ギリシャに戻ったオデュッセウスは、すでに年老いていました。そんなある日。海岸に一隻の船が現れました。何日も海を漂流していたらしく、船の男たちは飢えていて、上陸するや否や、牛の群れを追い始めました。その牛は、オデュッセウスの持ち物だったので、彼は馬にまたがり、男たちを追い払おうとしました。
が。この老いた英雄は、船に乗っていた若者に殺されてしまうのです。その若者の名はテレゴノス。なんと、キルケとの間にもうけた、自分の息子でした。
ちゃんちゃん。これでオデュッセウスの生涯は終わりです。
ふう。また長くなっちゃった。このギリシャ神話のお話。もしおもしろいと思っていただけたら、掲示板かメールでお知らせくださると嬉しいです。シリーズ化にするかも。