久しぶり……という言葉が空しいほど久しぶりに、日本神話を書いてみようかと思うわけです。
そこで、過去に書いた神話エッセイを読み返してみると、二つのことに気がついた。
その1:文章が雑である。
ギャッ! ホント自分が書いた過去の文章を読むと反省することしきり。なのにその反省は生かされず、いまだに雑ぱくな文章を書き続けているわたくしって、いったい。
その2:女神に甘い。
まあ、これはその、しょうがないよね。ぼくもほら、けっこうな肉体を持つ成年男子だからさ。うはは。
しかし!
男女雇用均等法が成立してずいぶん経つし(法の精神が浸透しているとは、お世辞にもいえない現状ですが)、こーいうことではイカンだろうと、わたくし反省いたしまして、今回、久しぶりの日本神話を書くに当たり、女神ではなく男の神さまを描こうと思うのですよ。
以上、前口上終わり。
といいつつ、まだ神さまは出てこない。
そもそも日本の神話は、世界の神話の成り立ちと同じく、さまざまな信仰の集まりです。住む地域や、その食生活などによって、人々の信仰というのは移り変わる。
たとえば、山に住んでれば、山に神さまがいると思ってそれを崇めますよね。海に住んでりゃ海の神さま。農民なら豊作の神さま、遊牧民なら天の守護神を崇める。
このように、かつての人類は、己の知の及ばぬ存在に、神という概念を与えたわけですよ。
アニミズムですな。すごく乱暴ないい方だけど、とりあえず、わけがわからん「事象」に出くわしたら、神さまにしときゃいい。それがアニミズム。
するってーと、神さまの数が増える。どんどん増えます。RPGのキャラメイキングみたいなもんですよ。好きな神さまを、どんどん作っちゃう。
そうなりますとね、神さまにも親子関係が生まれるわけです。この神さまは、あの神さまが生んだことにしよう。その神さまたちは兄弟にしよう。とかとか。
で、気がつくと収拾のつかない大混乱に陥っているわけ。
混乱はよくありません。で、あるとき、頭のいいだれかが思うわけですよ。このままではイカン。神さまの世界に、つじつまが合ってないと、人間はどうしていいのかわからなくなっちゃう。
そう思う人物が現れるときって、ほぼ例外なく「国を統一しよう」という権力者が出現したときなんですよ。
もっとも古いのがメソポタミア。それぞれ土着の神さまを信仰していた民衆をまとめるため、為政者たちが神話を作って、これぞ神さまの「決定版!」だと宣言する。だからみな従え。頭が高い。ひかえおろー。とやるわけです。これを神統政治と呼ぶんですな。
世界中、どこもみんな同じ。世界最古のメソポタミアからはじまり、世界四大文明と呼ばれる、エジプト文明、インダス文明、黄河文明、これらすべてが神統政治だった。
そろそろ日本に戻りましょうか。わが日本も例外ではなく、独自のアニミズムが生まれて、そりゃもう、民間伝承が山ほどあったわけですよ。
そこで!
日本にもついに、これじゃイカンと思う人が現れた。その人の名は天武天皇。皇統譜によれば第40代天皇。時代的には7世紀後半のお方。
天武天皇は、その名のごとし、武力で日本を統一しようとした天皇です。それまで権力をほしいままにしていた豪族を、ハッキリ皇族より地位が下であると定め、親族(皇族)を政治の中心においた。しかも彼自身は、その皇族たちより、さらに上の存在として、専制君主として君臨したのだ。
どんだけ君臨したかというと、国号を「日本」と定めちゃったくらい強い王さまだったのだ。国の名前を決められるって、すごい権力だよね。
それだけ強い権力を持ったからこそ、あっちこっちで、勝手に記録されている国の歴史や、神さまの物語を、統一された文献として残そうという、大事業にも着手できたわけなのですよ。
という理解で、まあだいたい合ってるけど、ここテストに出るかも知れないから(なんのテストだよ)もうちょっとだけ補足しとこう。
時代は、天武天皇の母、皇極天皇の統治のころにさかのぼる。
彼女の統治時代は、蘇我入鹿が権力をほしいままにしていた。皇極天皇は政治のお飾りだったのだ。そんな豪族の横暴をなんとかしなきゃイカンと、息子の天智天皇(天武天皇のお兄さんで、当時はまだ皇子)と、中臣鎌足が共謀して、蘇我入鹿を殺しちゃうのだ。
これが世にいう「乙巳の変」。これに怒った入鹿の父親、蘇我蝦夷は、朝廷の歴史が記された貴重な文献が保管されている書庫ごと、邸宅に火を放って自害しちゃう。
唯一「国記」という歴史書だけは火災を逃れたとされているけど、残念ながら国記も現存していない。
まあ、そんなわけで、貴重な本がなくなっちゃったわけですよ、天智天皇の時代に。これは大問題だ。けど天智天皇ご自身は、朝鮮半島での戦争に忙しくて、歴史書どころの騒ぎじゃなかった。
じつはこのころ、朝鮮半島では「高句麗」「百済」「新羅」の三国が半島の覇権を争っていたんですよ。
倭国は百済と関係が深かったもんですからね、中国の唐と組んだ新羅と戦うことになっちゃったのだ。いま風にいえば「集団的自衛権」でしょうかね。
これが「白村江の戦い」です。ほらほら、ここテストに出るよ。
ところが……負けちゃうんだ。倭国と百済の連合軍。これで百済はあえなく滅亡。日本も唐にたてついたせいで、侵略されるんじゃないかと戦々恐々。
さあ大変だ!
という危機感が、「大化の改新」の下地にもなるわけですよ。天智天皇が蘇我入鹿を倒した「乙巳の変」以降を大化の改新と呼ぶのです。ほらほら、ここテストに出るよ(笑)。
大化の改新では、主に四つの施策が推し進められたのはご存じの通り。
1、豪族の土地を取り上げて天皇のものとし、
2、「首都」を定めて、県や群などをしっかり決め、
3、戸籍と計帳を作って、国民に土地を貸し与え、
4、国民の労役や税の制度も改革した。
大化の改新は、豪族(蘇我家)を排除したい天皇家の思惑が強いわけですが、これらの政策を見ると、天皇を中心として国を統一し、もっと強くなろうという思いを強く感じませんか? もっとハッキリいうと、朝鮮半島のゴタゴタが、国を変えたいという機運だったのですよ。
しかし、そんな改革の途中で、天智天皇は病に倒れちゃう。彼は当然、自分の息子に天皇を譲ったのだけど、天智天皇とは仲の悪かった弟が「壬申の乱」を起こして、権力をガッツリ掌握しちゃうのだ。
はい。その仲の悪かった弟こそ天武天皇でございます。彼は天智天皇以上に、強い国作りに邁進した。国号を「倭」から「日本」へと変えたのもその一環。
という過程においてですね、国の歴史書がないのはマズいわけですよ。歴史書もない野蛮人めと、中国(唐)に笑われちゃう。そこで天武天皇が、わが国の歴史書をちゃんと編纂せよと命令して作らせたのが「古事記」であり、また「日本書紀」なのでありました。
はー、やっと古事記につながったよ。すいませんね、なかなか神話がはじまらなくて。
さあ「古事記」成立までの背景が、ざっくりわかったところで、いよいよはじめましょう。みなさん心の準備はよろしいですか?
今回のお題は「スサノオ」です。
ぼくの書いた「日本神話」では、その第一回目でスセリ姫のお父ちゃんとして、バカ親っぷりを存分に発揮している困ったオッチャンですが、今回は彼が主役なのだ。
覚えてますかね。イザナギとイザナミ。日本で最初に結婚の儀式を行った神さまたち。忘れてるなら、ぼくの日本神話エッセイ第一話を読み返してちょうだい。
えっ? 読み返すのめんどくさい?
しょうがないなあ。じゃあ、簡単におさらいしておこう。
日本で最初の夫婦となったイザナギとイザナミは、つぎつぎに神さまを生み出して、子ども増やしていったんですが、イザナミが火の神さまを生んだから、さあ大変。子どもの火に焼かれて、イザナミは大やけど負い死んじゃうのだ。
悲嘆に暮れたイザナギ。あんまり悲しいので、黄泉の国いって、亡き妻を取り返そうと決意しちゃう。ところが美しかった妻は、黄泉の国でバケモノになっていたのだ。
「ギャーッ! バケモノめー! てめえなんか、もう妻でもなんでもないわい!」
と叫ぶイザナギ。さっきまで悲しんでたのはだれ? 妻のイザナミのほうも、夫の豹変に怒り心頭。大喧嘩になって、その場で離婚。こうして彼らは、日本ではじめて離婚した夫婦にもなったのでした。
あーあ、なんだかな。
現世に帰ったイザナギは、着ているものをぜんぶ脱いで、身体を洗います。
「かーっ、汚ねえ。禊ぎだ、禊ぎ! 早く身体を洗わなきゃ」
ひでえヤツだ。愛しい妻じゃなかったのかよ。人間失格……いや神さまだからいいのか。いやよくない。けど、ここ突っ込んでると話が進まないので、不毛なことはやめときます。
イザナギが川に入って身体を洗うと、そこから神さまが生まれた。左目を洗ったとき生まれたのが「アマテラス」。右目を洗ったときが「ツクヨミ」。鼻を洗ったときに「スサノオ」が生まれたんですよ。
イザナギは、この三人に特別強い力を感じて、アマテラスには天を、ツクヨミには夜の世界を、そしてスサノオには海を治めるように命じた。
というところで、ぼくの日本神話第一話は、めでたしめでたしになっている。書いたのは2000年の6月4日だってさ。
ビックリだ。もうそんなに前なのか。なんと16年という歳月を経て、この続きを書こうじゃないか。
アマテラスとツクヨミは、とーちゃんのイザナギのいうとおり、天界と夜の世界を治めるようになったのだけど、末っ子のスサノオだけは、海を治めるどころか、ずっとビービー泣き続けているのだ。なんと、いい大人になって、ひげ面になっても、まだ泣き止まないっていうんだから、さすが神さま。
「おいこら、スサノオ。なんでずっと泣いてるんだおまえは」
と、イザナギが聞くと……
「おかーちゃんに会いたいよう!」
だってさ。イザナギの鼻から生まれたんだから、無性生殖じゃないか。よって父も母もイザナギだ。と科学を知る現代人は思うわけですが、スサノオは科学を知らない。だから黄泉の国でバケモノになったイザナミに会いたがって……
ちょっと待て。スサノオはなぜイザナミを知ってるんだ。会ったことないじゃん。彼が生まれたときはすでにバケモノになってたんだから。と神話にツッコミ入れてたら、話が進まない……以下同文。
これには、イザナギが怒った怒った。なんてったって黄泉の国で、大喧嘩して別れた妻ですからね。そんなこというヤツは息子でも何でもねえ、とっとと出て行きやがれ! なんて江戸っ子風に追い出しちゃう。
するとスサノオくん、わかりました。それではお姉ちゃんに挨拶してから行きます。なんていって、天界に上がっていっちゃった。
ちなみに古事記では天界のことを「高天原(たかあまはら)」と呼ぶのだけど、このエッセイでは天界で統一します。
おねーちゃんに挨拶に行くなんて、スサノオくん、意外に礼儀正しい?
と思ったら大間違い。これが大事件に発展するのだ。
まず、アマテラスはスサノオがやってくると知ると大あわて。きっと天界を乗っ取りに来たんだわ! と思ったんですよ。疑心暗鬼?
ということで、アマテラスさんてば、武装してスサノオをお出迎え。
「うわっ、ねーちゃん、なんでそんな物騒なカッコしてるんだよ」
「だまらっしゃい。あんた天界を狙ってるんでしょ」
「そんなまさか。ぼくは旅に出るから、その挨拶に来ただけだよ」
「ふん。信じられないわね」
「ひどいなあ。だったらぼくが本当のことをいってる誓いを立てて、子ども産んで証明するよ」
子どもを産んで証明する?
現代人……いえ古代人にだって、たぶん理解できない言動。これはどういうことなのか? 古事記には親切な説明などなく、スサノオの出産大会がはじまっちゃう。それどころかこのあと、アマテラスも対抗するように子ども産んで、子ども産み放題大会に発展しちゃうんです。
アマテラスがスサノオの剣をかじって吹いた霧からは、三柱の女神が生まれ、スサノオがアマテラスの玉の緒をかんで吹いた霧からは五柱の男神が生まれた。
「ほーら、ごらんなさい」
スサノオはその結果に得意満面。
「オレの心が清らかだから、姉さんがオレと作った子どもは、美しい女神なんだよ」
そうなの?
「わかった。あなたのいうとおりね」
納得するんかい!
人間には、これ以上ないってほど意味不明ですが、アマテラスはスサノオのいい分を信じて納得した。
ここで余談ですが、これ姉弟で子どもを作ったってコトになるらしいです。神話の世界って、よくありますよね、こーいうこと。親子や兄弟で子どもを作っちゃう。現代では近親相姦と呼ばれる行為。
ここがねえ、どーも現代人には気味が悪い。いや古代人だって、本能的に近親相姦は避けていたはずなんですけどねえ。イギリスの遺伝学者リチャード・ドーキンスによると、遺伝子は利己的であって、自身にとってよくないことは避けるはずなんですよ。
でも神さまは、近親相姦おかまいなし。自身が神そのものであると称した、エジプトのファラオは、だから近親相姦やりまくり。その結果、遺伝病が蔓延して、ファラオの血筋は滅ぶことになるほどですよ。
おそらく「純血」を守りたいという発想なんでしょうけど、タイムマシンがあったら、古代にいって遺伝子の多様性が、どれほど重要かおしえてあげたい。
閑話休題。
そんなこんなで、天界に留まることを許されたスサノオですが、許されたとたん、こんどは人が変わったように暴れまくる。もー、やりたい放題のどんちゃん騒ぎ。酒に酔って、アマテラスの大事な神殿にゲロを吐きまくる始末。
スサノオの粗暴に、天界の神々がホトホト困ってアマテラスに直訴するも……
「まあ、あの子も母がいなくて寂しいのでしょう。少しくらい騒いだって許してあげなさい」
なーんて、こんどは急に優しいお姉ちゃんぶったりして、スサノオはさらに助長して、天界を破壊しまくるようになるのだ。
そして、ついに事件は起きる。
ある日……アマテラスは神に奉じる神聖な神衣を、機織り女に織らせていたところ、なにを思ったかスサノオ、その機屋に向かって、皮を剥いだ馬を投げ入れたんですよ。
突然、天井がバリーンと破壊され、落ちてきたのは皮を剥いだ馬!
機屋は大混乱。いや混乱するだけならまだしも、壊れた織機に挟まれて、機織りの女が死んでしまったんです。ついにスサノオの粗暴は、殺人事件にまで発展してしまった。
これには、さすがのアマテラスも堪忍袋の緒が切れましてね。なにもかもが嫌になって、天岩戸に閉じこもっちゃったのだ。
こうして、この世から光りが失われたのですよ。
えっ?
悪いスサノオを罰すればいいだけじゃないですか? なのに「この世」まで道連れですか?
とばっちりを食ったのは人間ですよ。光が失われたせいで、地上には闇に巣くう凶神たちが、真夏の蠅のように満ちていくばかり。
あ、「真夏の蠅のように」という表現。これ古事記にあるそのままを使いました。動物の死体にウジが湧き、蠅がブンブン飛び回るさまを想像しますよね。恐ろしや。
で、アマテラスの機嫌を取るために、アメノウズメが逆さにした桶の上で、バブルのころのジュリアナ東京(若い人は知らないだろうなあ)みたいに踊り狂ったお話は、超有名だからみなさんご存じですよね?
でもアメノウズメが、どんな踊りを披露したかご存じ?
笹を持って(ジュリアナの扇子を思い出しますな)踊りはじめたアメノウズメ。薬でもやってきたのか、だんだんトランス状態になり、服がはだけて大事なところが丸見え。完全にストリップになっちゃったのだ。それを見ている神さまたちは、ゲラゲラ笑い転げたっていうんだから、古代人の感覚がいかに現代と違うかわかろうってもんですよ。
まあ、要するに、かなり野蛮だったわけですな。現代の感覚からすれば。それと、トランス状態になったのも、実際に「薬」の作用だったとぼくは思います。
アメノウズメは、祭りのとき、本当に踊り狂う「巫女」たちがいたから生まれた物語でしょう。彼女たちはおそらく、精神が向上するなんらかの薬草を飲んでいたか、あるいはお香のようなもので、煙を吸っていたかして、トランス状態になるんだと思います。当時の人はそれを「神がかり」と呼んだのでしょうね。
失礼。また余談を入れちゃった。すぐ横道にそれるのがぼくのエッセイの特徴ですが、何年書いてても同じですな。
本題に戻ります。
アメノウズメの活躍により、なんとか光りを取り戻した世界。当然ながら、スサノオは天界から追放です。罰として、持ってるものをぜーんぶ取り上げて、地上に追いやった。
さて、食べるモノにも困ったスサノオくん。食物を司る神さまに、なんか食わしてくれーと泣きついたんです。
その神さまの名は、オオゲツヒメ。
彼女は鼻や口、さらにお尻からも食べ物を出して、スサノオに与えました。
がっ! その様子を見ていたスサノオが怒った。
「そんな汚いモノ食えるかーっ!」
と怒りにまかせて、なんとオオゲツヒメを斬り殺しちゃうんですよ。ひどくないですか?
すると……斬り殺されたオオゲツヒメの頭から、蚕が生まれたんです! さすが女神さま。ただ殺されやしない。さらに目からは稲が生まれ、耳から粟が、鼻から小豆が生まれ……あとちょっと書きにくいんですけど、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれたのでした。陰部を隠さないところも、古代人の感覚。
よーするに、オオゲツヒメから五穀が生まれたわけですよ。
知ってます? 縄文時代から弥生時代へ切り替わる要素。それは「農業」ですよね。木の実や自然に生える食物を取るだけの生活だった縄文人。自然と調和していた時代として、近年世界の考古学者から注目をされている縄文ですが、素朴だった時代は、渡来人が持ち込んだ農業によって終わりを告げるのです。オオゲツヒメの下りは、そんな古代の出来事を反映しているのかも。
「農業」は、人類が文明を築く上で、きわめて重要な要素です。農業以前は、みんな自分の食い扶持を、山や海に出て取ってこなきゃいけなかった。ところが農業がはじまると、文字どおりの意味で、全員が「食うために働く」必要がなくなった。たとえば、土器を作るのが得意な人は、土器作りに専念できるようになったわけですよ。
そしてもう一つ。古今東西どの国の文明でも、農業と必ずセットで発明されるのが「戦争」です。農地は固定されていますから、その土地を奪うために、必ず戦争が勃発するのですよ。これはもう人類の宿命。
またまた余談が入っちゃった。
ともかく、親(イザナギ)に勘当され、姉(アマテラス)のいる天界も追われ、オオゲツヒメも斬り殺しちゃったスサノオくん。食べるモノもなく、行く当てもない。さぞ途方に暮れているかと思いきや……この人に(神だけど)、そんなデリカシーはカケラもない。
「ま、なんとかなるんじゃねーの」
と呑気なもんです。つくづく性格破綻者です。これが現代の映画なら、ヒーローにコテンパンにやられる大悪党ですよ、スサノオくんって。こんなヤツが社会にのさばっていたら、ぼくら善良な市民は、安心して暮らせません。
しかし、のさばるんだよなあ、古代だから。やれやれ……
追放されたスサノオが降りた先は、出雲の国の肥河(ひのかわ)のほとり。すると肥河に箸が流れてきた。ゴハンを食べるときに使う「箸」です。それを見たスサノオくん。ははーん、上流に人が住んでるなとピンときた。どれ、行って食い物にありつくとしよう。悪党はこういうところ頭が回るから困る。
案の定、川の上流には民家があって、そこでは年老いた夫婦が、娘さんを前に嘆き悲しんでるじゃありませんか。
「おいこら、そこの平民。なにを泣いている」
とスサノオが聞くと――
「わしゃ、平民じゃないわい! オオヤマツミの息子じゃ!」
と老人が怒ったかどうかは知らないが、彼は山を守るオオヤマツミという神さまの子で、名をアシナヅチという。奥さんはテナヅチ。そして彼らの娘さんがクシナダヒメ。
「ああ、そうかいそうかい。で、なんで泣いてるんだ」
「はい、じつは……」
老夫婦がいうには、このあたりには、ヤマタノオロチという、一つの胴体に八つの頭と八つの尻尾のついたバケモノが出るんだそうですよ。そいつの目はほおずきのように真っ赤で、腹はいつも血がにじんでおり、体からはカズラやヒノキ、さらに杉などが生えてるそうです。木が生えるってどんだけ大きいんだよ。なんとその長さは、八つの峰と谷を渡るほどだそうです。
マジか!
八つの峰と谷を渡る長さだって? ウルトラマンに出てくる海獣もビックリの大きさ。そこまでデカイと、もう生物とは思えない。なにかの自然現象じゃないですか?
現代人はそう思いますが、神話というのはおおむね、話が盛られるものです。空を覆い尽くすとか、海が干上がるほどとか、誇張表現は枚挙にいとまがない。
まあ、それはともかく。じつは、ここにおもしろい説がある。現代の日本語変換は「おろち」と打つと「大蛇」と変換しますよね。ヤマタノオロチは「八岐大蛇」と変換する。八つに分かれた蛇という意味で。
でもね、古事記の原文に「蛇」の文字は使われていないんですよ。古事記では、ヤマタノオロチは「八俣遠呂智」と書かれている。
というのは、老夫婦が恐ろしいバケモノの話をするときは「八俣遠呂智」と、なにやら得体の知れぬ怪物を連想させるように、わざと蛇の文字を使わなかったというんですね。
だって、正体が蛇だとわかっちゃえば、いくらデカイといわれても、あんまり怖くないでしょ?
古事記には、スサノオが八俣遠呂智を倒したとき、はじめて「なんだ、蛇じゃん」というセリフが出てくるんです。
そう。老夫婦が誇張して表現した「八俣遠呂智」は、じつは巨大な蛇だった……と、あとでわかる仕掛けになっている。だから古事記を編纂した人は、わざと蛇の字を使わなかったのだ。という説があって、ぼくもその説に賛成です。
そんなわけでぼくも、ヤマタノオロチを退治するまで「蛇」とは書きません。
では神話の続き。
老夫婦から事情を聞き終わったスサノオ。こいつ性格破綻者だから、へー、そうなんだ。大変だね。でもオレの知ったこっちゃないね。娘なんかどーでもいいから、飯を食わしてくれや。ってなりそうなのに、彼は意外な返答をするのだ。
「よしわかった。じゃあオレが退治してやるよ。そのバケモノ」
えーっ! いままで人に迷惑をかけることしか(それどころか何人も罪のない人を殺してる)能のなかったスサノオが人助けぇ? マジで?
マジなんです。でも、その代わりと、スサノオは老夫婦に条件を出す。ほらな。性格破綻者だから、タダで仕事をするわけがない。
はたしてスサノオの出した条件とは?
「娘さんを、オレにちょうだい」
これを聞いた老夫婦は、びっくり仰天。どこの馬の骨ともしれない野郎に娘をやるわけにはいかない。あんたはだれなんだと、当然聞きますわな。するとスサノオが答えた。
「オレはアマテラスの弟スサノオだ。さっき天界から追放……ゲホゲホ……降りてきたところなんだよ」
それを聞いた老夫婦。こんどこそ、腰を抜かさんばかりに驚いた。そりゃそうだ。アマテラスといえば、天界で一番偉い神さま。その弟なら、王子さまじゃん。ヤマタノオロチなんかいなくても娘を嫁がせたい相手。超玉の輿。親は左うちわ。
いやまあ、スサノオの破壊的性格を知ってればそんなこと思わないだろうけど、老夫婦はスサノオの本性を知らないのだ。だからもう、諸手をあげてよろこんだ。
おっと、よろこんでる場合じゃない。その前にヤマタノオロチをやっつけなくちゃイカン。そこでスサノオ。クシナダヒメを、文字どおり櫛に変えて自分の髪に挿すと、老夫婦にある準備をさせた。
「最初に強い酒を造ってくれ。ふつうの人間なら、一口飲んだだけで酔いつぶれるほど、とびきり強い酒を。つぎに屋敷の周りをぐるっと垣根を作って、門を八つ作ってくれ。そうしたら、門ごとに桟敷を作って、そこに最初に作った酒をたっぷり入れた酒桶を置いておくんだ」
なんですって?
わたくしいま耳を疑っております。粗暴、野蛮、残虐。こういう単語が似合う……いえ、こういう表現しかできないスサノオが、いきなり、まるで諸葛亮のような軍師に変貌。いったいスサノオになにがあったんだ?
彼の変心の理由はまったくわかりませんが、とにかく老夫婦はスサノオにいわれたとおり準備した。
そしていよいよ、ヤマタノオロチが現れた。しかも予定調和とはこのことで、ヤマタノオロチは、渡された台本どおり演じる役者のように、八つの門に、八つの頭を突っ込み、そこに置いてある酒を飲みはじめたんですよ。そして台本どおり、酔っ払ってひっくり返っちゃう。
「よし、いまだ!」
と、飛び出したスサノオくん。身につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)でヤマタノオロチをズタズタに切り裂いた。このへんは残虐な性格のなせる技。
すると、巨大なバケモノだと思っていたヤマタノオロチは、蛇の化身だったのだ。
「なんだ、蛇じゃん」
と、スサノオ。いやまあ、蛇なんだけどさ。そんな露骨にいうことないじゃん。その蛇の尻尾を切ると、なにか固いものが入っていた。なんだべ? と皮を剥いでみると、そこから見事な剣が出てきたんですよ。これが世に名高い、草薙の剣なのだ。
スサノオは、こないだ迷惑をかけた姉のアマテラスに、この草薙の剣を献上してごきげんを取ったんだってさ。
えっ? そうなの? 天界で暴れ回っても、なーんにも、悪びれてなかったくせに、いったい、どうしちゃったの?
古事記の読者としては、疑問が山ほど浮かんできますが、そんなことスサノオくんは知ったこっちゃない。櫛に変えたクシナダヒメを元に戻し、老夫婦との約束どおり妻に迎えて、こんどは新居を作る場所を探しはじめた。
すると、とてもすがすがしく感じる場所を見つけたのだ。
「うーん。ここはいい。気分がすがすがしくなるぞ!」
そこでその場所を「須賀」と名づけ、クシナダヒメと暮らす新居、「須賀の宮」を建てましたとさ。
ここでスサノオは、日本最初の和歌といわれる、有名な歌を詠んだ。
「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁」
古事記にはこう書かれている。なんか茨城のヤンキーが書く「夜露死苦」と似てるなあ。ヤンキーのは「よろしく」だけど、スサノオの歌はサッパリ意味わかりません。
なんて冗談めかして書いたけど、じつは古事記の編者はヤンキーを笑えない。なぜなら古事記も、けっこー漢字の「当て字」が多いんですよ。
なぜなら、伝承の多くは日本古来の「言葉」で語り継がれてきたので、外来語である「漢字」の訓では、意味が変わってきちゃうことが多かったのです。じゃあ、音で当て字にしちゃえとなると、表意文字である漢字を使う意味がないし、第一、やたら長くなっちゃう。
そこで編者たちは(ちなみに総監督は太安万侶です)、訓と音を組み合わせて使うことにしました。漢字でも意味の通るところは訓で、それ以外は音をたよりに当て字にしちゃったのだ。おかげさまで、現代人は古事記の原文を読むのが、ひじょーに難しい。告白すると、ぼくも原文は読んでません(読めません)。ところどころ、重要な箇所以外は。
またまた余談が長くなった。
スサノオの和歌を現代ふうに訳したのがこちら。
「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠に、八重垣作る、その八重垣を」
(やくもたつ、いずもやえがき、つまごみに、やえがきつくる、そのやえがきを)
えっ、まだ意味がわからない?
では、わたくしTERUが、TERU風に意訳しておきましょう。
「新妻と暮らす新居。ああ、ぼかぁ幸せだなあ」
ノロケかい!
はい。そーです。ただのおのろけでございます。これが日本最初の和歌とは……
それにしても、あの粗暴乱暴残虐の三拍子揃ったスサノオくんが、いったいどうしちゃったんでしょう。そんなにクシナダヒメにメロメロになっちゃったんでしょうか?
そうだと答えられれば、多少はロマンもあるってもんですが、じつのところ、スサノオの性格は、キチンと定まっていないんです。
最初は泣き虫、つぎに乱暴者、最後は軍師のように頭のいい英雄。しかも日本最初の和歌まで詠んじゃう。
これを多重人格と呼ばずして、なんと呼ぼう。なぜこんなに性格が変わるのか諸説ありますが、わたくしは明らかに、それぞれべつの物語だったものを、むりやりスサノオの話にしちゃったからだと思う。
ぼくがそう思う根拠は、古事記と同時代に書かれた「日本書紀」です。こちらの書物では、天界で暴れるのはスサノオではなくツクヨミなんですよ。そう、イザナギから夜の世界を治めよと命じられたスサノオのお兄さん。
日本書紀では、ツクヨミは「月」の神さまとして、アマテラスと同じ天界にすんでました。ところが、このツクヨミが乱暴者でね。怒ったアマテラスが、この世を昼と夜に分けて、二度とツクヨミと会わずにすむようにしたんだそうです。
このように、古事記は(日本書紀も)、いろんな伝承の寄せ集めなので、スサノオの人格が(神格というべきか)、物語ごとにガラッと変わってしまう……と思うのですよ。
ま、なんにせよ、最後はマトモな人格(神格)を与えられ、クシナダヒメと幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。