お江戸ざんまい2 菜々姫救出の巻

プロローグ


 ところは大江戸。八丁堀と人形町の中間あたりに、どこにでもあるそば屋があった。名前は長寿庵。店の屋号も月並みだ。
 店の中は、昼飯どきをすぎて、二人の客しかいなかった。一人はいかにもサムライ。そして、サムライの向かい側に座っている連れの男は、いかにも浪人風の男だった。
「もう、姫はこりごりだ」
 ざるそばを食ってるサムライが言った。
「まったくだ」
 やはり、ざるそばを食ってる浪人風の男が応じた。
 ずるずるずる。二人で同時にそばをすする。
「ホントになァ」
 もぐもぐと、口を動かしながら、浪人風の男が言う。
「いまでもオレは、姫って聞いただけで、背筋がゾッとするぜ」
「姫とロザンナとか?」
 サムライが突っ込む。
 し~ん。
「なあ、輝よ。おまえも、親父ギャグの似合う歳になったな」
「うるさい。だまれ。きさまに言われたくないわ」
「はあ、それにしても平和だねえ。春うらら。いいねえ、こういうの。好きだぜオレ」
「ったく、女房をもらったぐらいで平和ボケか。そういうのは、ホントの親父になってからにしろ」
「ホントの親父?」
「子供だよ、子供。毎晩励んでんだろ」
「バーカ。ガキはまだ早ええよ。お清とはずいぶん遠回りしちまったからな。もう少し新婚を楽しむさ。いいぜえ、新婚。家に帰えると、おまえさん、おかえり~ なんて明るい声で出迎えられてよ。うひひ。たまんねえぜ」
「おまえが言うと、爽やかな新婚家庭が、淫靡なアダルトビデオに聞こえるのはなぜだ」
「なんでえ、そのアダルトビデオってのは?」
「電子からくり春画箱…… いや、なんでもない。気にするな」
「よくわかんねえが、輝之真よ、おめえも、独身主義なんてやめて、さっさと女房もらえ。なあ、お喜美」
 浪人風の男は、そば屋の看板娘に声をかけた。
「い、いやだ、邦さんったら」
 ポッと、頬を染めるお喜美。
「こらこら、勝手に人の人生を大きく左右するような発言をするな」
 サムライは、眉をひそめて、浪人をたしなめた。
 そろそろ説明しよう。
 サムライの名は、霜山佐右衛門之上輝之真。評定所詰めの、大目付。当年とって三十五歳。きりりとした顔立ちのハンサムで、剣の腕もすこぶる優秀。しかも独身。苦みばしったいい男というのは、輝之真のためにあるような言葉だ。これで江戸の女がほっておくわけがない。朝日新聞…… じゃなくって、瓦版の二十代独身女性を対象にしたアンケート調査では、現在お江戸で、結婚したい男ナンバーワンだ。
 で、浪人の名は、まあどうでもいいんだが、一応書いておくと、矢島邦四郎。いまじゃ〈たまわりてソウロウ〉なんて看板を挙げた、何でも屋だが、生まれは旗本。とはいえ、四男坊のため、家を継ぐこともなく、さらに親父と折り合いが悪くて勘当の身だ。
 本人いわく、容姿端麗武に秀でということらしいが、仮にそうであったとしても、輝之真にかなわないのは言うまでもない。ちょいと前までは、この男も結婚したいアンケートで、そこそこランキングは高かったが、最近結婚したため、現在はランキング外だ。
 さて、この二人。じつはかの名門道場、大森道場で同期だったのだ。宮本武蔵の再来と言われた輝之真と、石舟斎の再来かもしれないと言われた邦四郎。まあ、なんにしても、向かうところ敵なしの二人ではあった。
 この二人の活躍は、「たまわりてソウロウ」という、大河時代小説に詳しい。〈吉川栄治賞〉を受賞した大ベストセラーなので、ご存じの方も多かろうが、万が一、ご存じない方のために、ちょいと説明しておくと、将軍の嫡男との婚姻を嫌って逃げ出した水戸藩の琴姫を邦四郎が拾ってきて、その大騒ぎに、輝之真が巻き込まれたお話である。

 話を戻そう。

「輝之真様」
 お喜美が、輝之真たちのざるそばを下げながら聞いた。
「あれから、琴姫様はどうなったんですか?」
「うむ」
 輝之真は、うなずきながら答えた。
「先月、やっと水戸藩にお帰り願った。あのままストーカーになるんじゃないかと冷や冷やしたよ」
 実は、その琴姫。最初邦四郎にくっついていたのであるが、邦四郎とお清がいい仲なのを知ると、ころっと輝之真に鞍替えしたのだった。それで、輝之真が琴姫を口説いたと、お喜美が誤解して、大変だったのである。
「それじゃあ」
 と、お喜美が明るい声で言った。
「やっとお役御免ですね。よかった」
「まったくだ。生きた心地がしなかったよ」
「ふん。そのまま水戸藩に婿にいってりゃ、話も面白くなったのによ」
 邦四郎が、輝之真に毒づく。
「ま!」
 と、お喜美が怒った顔で言った。
「なんてこと言うの、邦さんは。悪い子ね。江戸から輝之真様がいなくなったら、みんな困るじゃないですか」
「困るのは、お喜美だろ?」
 と、邦四郎。
「もう、邦さんったら」
 お喜美は、ちょっと頬を染める。
「はっはっはっ」
 輝之真、高笑い。
「邦四郎。わたしを敵にまわすと恐いぞ。江戸中の女子(おなご)に命を狙われるかもな」
 すると。
「ま!」
 と、お喜美。
「輝之真様も、なんてこと言うんですか。江戸中の女の子ですって? ホントにもう。男の人は浮気者なんだから」
 ぷい。と顔を背けて、お喜美は店の奥に入ってしまった。
「はっはっはっ」
 と、輝之真。
「まったく、モテる男はつらい」
「よく言うよ、このバカ」
 邦四郎は、ボソッと言った。
 そのとき。店の中が、ふっと暗くなった。
「おーい、お喜美」
 と、長寿庵の親父さんの声。
「ブレーカー落ちたぞ」
「ブレーカーってなによ、おとっつあん?」
「いや、言ってるオレもよくわからん。とにかく、ローソク持って来い」
「ローソクって、まだお昼だよ、おとっつあん。なんでこんなに暗いの?」
「オレが、知るかい」
 さらに、そのとき。
 長寿庵の引き戸が、乱暴に開いて、若い男が駆け込んできた。
「停電だ、停電だ、停電だ! 違った。底辺だ、底辺だ、底辺だ!」
 邦四郎と同じ長屋に住む、〈森のくまさん〉こと、熊さんであった。
「こら、熊!」
 邦四郎が、怒鳴った。
「底辺は、てめえの脳細胞だ! いいかげん、このくだらねえギャグ、やめろ!」
「いやあ、このギャグやってみたかったんだよね」
 熊は、ポリポリと頭を掻く。
 すると、店の中の明るさがもとに戻った。
「おい熊」
 と、輝之真。
「皆既日食をともなうギャグとは豪勢だな。いったい、なにを騒いでいるんだ」
「あっ、輝之真様。いやあ、こいつは好都合だ。聞いてくださいよ、ていへん、なんですから」
「だから、どうしたってんだよ」
 邦四郎が、イライラしたようにいう。
「へい。こいつを見てくだせえよ」
 熊は、瓦版の号外を、バンとテーブルの上に置いた。

〈尾張藩の菜々姫、誘拐か!?〉

「なにい!」
 輝之真と邦四郎は、同時に立ち上がった。そして、同時に叫んだのだった。
「また、姫かよ!」





 数刻の後。
 輝之真は、逃げるように職場である評定所から屋敷に戻った。青吉の瓦版を見て、あわてて評定所に戻ったのはいいが、「おお、姫キラーの輝之真が戻ったぞ!」の一言から始まり、「やはり、姫の担当は輝之真殿だろう」「そうだ。姫と言えば輝之真」「いよっ、姫殺し! いい男は辛いね!」などと、無理やり、この一件を押しつけられそうになったのだ。
「冗談ではござらん!」
 と、輝之真が叫んだのはいうまでもなく、あわてて有給休暇の申請書を書いて上司に提出すると、まさに逃げるように職場をあとにしたのだった。

 そして、その夜。

 輝之真は、心を落ち着かせるため、名刀村正の偽物を手入れしていた。
 ポンポンポン。
 なんか、綿帽子みたいな棒の先に、白い粉をつけて、刀を叩く。でもあれって、粉がついてたっけ? まあいいか。
「まったく、なにが姫キラーだ。わたしは殺虫剤ではないぞ」
 ぶつぶつ。と、輝之真。どうやらフマキラーのことを言ってるようだが、江戸時代人が使ってはいけないダジャレであった。
「こっちの身にもなれっていうんだよ。まったく」
 ぶつぶつ。
 ポンポン。
 粉がなくなったので、棒を粉の入った箱に入れる。
「む?」
 輝之真は、箱に書かれたロゴを読んで手を止めた。そこには、ジョンソン・エンド・ジョンソンと書かれていた。
「いかん。気が動転している。ベビーパウダーを持ってきてしまった。っていうか、なんでこんなものが、わたしの屋敷にあるのか」
 それ以前に、この時代には存在しない物であった。
 そのとき。
 コツンという、小さな音が庭のほうから聞こえた。そのあと、バタッと人が倒れる音がして、〈あいたた…… また転んじゃったぁ〉と、小さな声が聞こえる。
「マヌケな賊だな」
 輝之真は、いままで手入れしていた村正の偽物を構えて立ち上がった。そして、縁側の障子を開ける。
 ガラッ!
「キャッ!」
 庭にいた人影が、見つかって驚く。そして、その影は、あわてて植木の陰にかくれた。
 が、その拍子に、その影はなにかにつまずき、植木に寄りかかると、その植木が倒れて、その反動で灯ろうを押し倒し、倒れた灯ろうが、輝之真の屋敷の壁をぶち抜いた。
 ドンガラガッシャーン、バキーッ!
 し~ん。
 輝之真、あ然。ぼう然。お目めが点。
「も、もはや賊とか言う以前の問題だな」
 輝之真は、頭痛とめまいに襲われるのをなんとか堪えながら、倒れた植木の影にうずくまって、隠れたつもりでいる賊に言った。
「頭隠して尻隠さずとはよく言うが、これほど見事な、その図を見る羽目になるとはな」
 輝之真が言うとおり、その賊の姿は、イヤって言うほど頭隠して尻隠さずだった。
「こら。隠れたつもりになってないで、とっとと、出てこい」
 賊は、もじもじ、しはじめた。
「出てこいと言っておる。さもなくば、たたっ斬ってやるぞ」
 と、輝之真が刀を構えたとたん。
「ははーっ! 恐れ入りましてござりまする!」
 植木に隠れていた賊が、輝之真の前に出てきて平伏した。くの一であった。
「さすがは、世に名高い剣豪、輝之真様。気配を消していたにもかかわらず、これほど簡単に見つかってしまうとは」
「いつ、どこで、だれが、気配を消してたと言うんだ! ああイカン。血圧上がった」
「怒るからですよぉ」
「だから、だれのせい…… いや、いい。それより、なぜわたしの屋敷に忍び込んだ?」
「はい。なにとぞ、わたくしめの話を聞いていただきたく、参上つかまつったしだいでござりまする」
「話だと?」
「いかにも」
「それで忍び込んだと?」
「はい。危険は覚悟の上でござりまする!」
「あのな」
 と、輝之真はタメ息。
「話をするだけなのに、危険を冒す必要があるのか? 忍び込まないで、表から入ってくりゃいいじゃんかよ。ごめんくださーいって。それで、すむことではないか」
「でもだって、わたし、くの一でござりますゆえ、つい習性で忍び込んでしまうのでござりまする」
「ひとんちの庭を半壊させるのが、おまえの習性かい!」
「は? いえ、これは、ちょっとした手違いで……」
「ああ、もういい。頭痛くなってきた。いったい、どこのくの一だ」
「ははーっ。わたくし、尾張藩の間者でござりまする」
「尾張藩? 菜々姫のさらわれた?」
「いかにも」
「庭を掃除して、とっとと帰れ」
 輝之真は、一言いうと、屋敷に上がって障子を閉めた。
 ピシャッ。
「輝之真様!」
 くの一が、庭から叫ぶ。
「話を聞いてくださるのではないのですか!」
「そんなこと、一言も言っておわらんわ。さっさと帰れ。庭を掃除してからな」
 輝之真は、冷たく答えると、また座ぶとんに腰かけて、刀の手入れを始めた。
「輝之真様~」
 庭から、懇願するような声。
「しつこい!」
「だって~」
「だっても、ヘチマもない!」
「わたし、話を聞いていただかないと帰れません~」
「だったら、そこで寝ろ」
「そんなぁ~、風邪引いちゃいますぅ~」
「ああもう、うっとうしいヤツだ」
 輝之真は、もう一度立ち上がって、障子を開けた。
「帰れと、申しておるのが……」
 輝之真は、言葉を切った。平伏していた、くの一が顔を上げていたからだ。
 むむ。カワイイではないか! 思わず、プレイボーイの血が騒ぐ輝之真。
「おぬし、名はなんという?」
「秋穂でござりまする」
「いい名だ」
「は?」
「いや、なんでもない。それより、危険を承知で、ここに参ったと申したな。その言葉に偽りはなかろうな」
「はい。もちろんでござりまする」
「ふむ。では、そんなところに平伏してないで、こちらへこい」
「話を聞いてくださるのですか!」
 秋穂の瞳が輝いた。
「それは…… まあ、おぬし、しだいだな」
 ニヤリと不敵に笑う輝之真。
「わたし、なんでもする所存でござりまする!」
「なんでもか。ははは。その言葉、忘れるでないぞ。上がれ」
「はい。それでは、失礼つかまつります」
 秋穂は、輝之真の屋敷に上がった。
 ど、どーなるんだ、秋穂さん! このまま輝之真の毒牙にかかるのか!
 コツン。と、秋穂はなにかにつまずく。
「あっ」
 と、秋穂は、転びぎわに、障子を突き破った。
 バリーン!
 危険なのは、輝之真なのかもしれなかった。





 そのころ。邦四郎の住む長屋。
 ガラッ。と、邦四郎の部屋の引き戸が開いた。
「おう、お清。いま、けえったぞ」
 ちょいと人形町で一杯ひっかけてきた邦四郎が、帰ってきたのだった。
「あっ。お帰り、お前さん」
 縫い物をしていたお清は、笑顔を浮かべて立ち上がると、邦四郎を出迎えた。「たまわりてソウロウ」をお読みの方はご存じだろうが、そこらの芸者が束になったってかなわない美人である。だが、ちょいとトウが立ってるので、邦四郎しかもらい手がなかった不幸な女性である。
「ちょいと。なによこのナレーション」
 お清が、ムッとした顔で言った。
「トウが立ってるってなによ。それにね、あたしゃ、邦さんが好きだから一緒になったんだよ。変なこと言わないでおくれ」
「なに、ぶつぶつ言ってるんでい」
 と、邦四郎。
「だって、いまナレーションが……」
「ナレーション?」
「ううん。なんでもないの。あんなの無視しましょ」
「なんだかわかんねえけど、ちょいと小腹が空いたなあ」
 ドカッと、狭い長屋の座敷に座り込む邦四郎。
「お茶漬けでも食べる?」
「おう。頼むぜ」
「はいよ、お前さん。ちょいと待ってておくれ。ああ、残り物の冷や飯食べてくれる人が帰ってきてよかった」
「なんか言ったか?」
「ううん。なんにも」
 お清は、にっこり笑って、お茶漬けを作り始めた。
 しかし、そこはそれ、天下のお遊び人と言われた、矢島の邦四郎。黙って待っているわけはなかった。お清に気づかれないように、そっと立ち上がると、そろ~り、そろりと、お清の背中に忍び寄る。そして、がばっと、お清を背中から抱きしめた。
「キャッ!」
 ビックリするお清。
「ちょ、ちょいと、お前さん、なにするんだい」
「ふふふ。捕まえたぞお清」
「捕まえたのはあたしの方だけどね」
「は?」
「なんでもないよ。それより、抱きつかれてると、お茶漬けが作れないんだけど」
「いいよ、あとで」
 邦四郎は、お清のうなじに、ふっと息を吹きかける。
「いやん。くすぐったいよ、お前さん」
「いつ聞いても、お清の声は、色っぽいなあ」
「もう。酔っぱらってるわね。やめとくれよ。お楽しみはあとでね」
「やだ。いまがいい」
「もう~。しょうのない人だねえ」
「ふふん。輝之真のバカ野郎には、この幸せはわかるまい」
「輝之真様と飲んでたのかい?」
「いいや。あいつは昼飯食ったら、あわてて評定所に帰っていった」
「ああ、そういえば、今度は尾張の姫さまが誘拐ですって? 輝之真様も因果だねえ」
「さっさと、身を固めねえからいけねえんだよ」
「もう。お前さんったら。自分だって、なかなかその気にならなかったくせに」
「悪かったなあ。ずいぶん待たせちまって。その分、幸せにするから、許してくれ」
「んもう。うれしいこと言ってくれるねえ。あたしゃ、待った甲斐があったよ」
 邦四郎は、お清を自分のほうに向かせた。
「江戸時代人も、キスはしたよな」
「バカねえ。接吻って言わなきゃ」
「おう。なんかエッチだなあ、接吻って言うと」
「ホントにバカなんだから」
 お清は、クスッと笑ってから、瞳を閉じた……
 だーっ。やめたやめた。こんなこと、書いてられるか!





 そのころ。ふたたび輝之真の屋敷。
「あっ……」
 障子の向こうから、秋穂の切なそうな声が聞こえた。
「やだ…… そこはダメ…… 輝之真様……」
「ふふ。危険は覚悟の上ではなかったのかな」
「でもだって…… あっ…… いや……」
「さあ、観念しろ」
「ダメ…… やめて、お願い……」
「ははは、もう遅いわ! それ、王手飛車取りだ!」
 輝之真は、パチンと〈歩〉を動かして、秋穂の飛車を取った。それが〈金〉に成りあがって、王手になる。しかし、〈歩〉で負けるところが、秋穂らしかった。
「あーっ、そこはダメって言ったのにぃ」
 ご期待いただいた男性読者のみなさま、ごめんなさい。そして、秋穂さんのお父様お母様、ご安心を。二人は将棋をさしていただけなのでした。
「はっはっはっ。これで三連勝だ。弱いな秋穂」
「ひどーい。輝之真様、ぜんぜん手加減してくれないんだもの」
「なにをいう。こっちは最初から飛車と角抜きだぞ。最後は桂馬まで抜いてやったではないか」
「だってぇ」
「可愛い声を出してもダメだ。さあ、約束だぞ。将棋に勝てなかったんだから、話を聞いてやるわけにはいかん。大人しく尾張に帰れ」
「こんな勝負、わたしに不利です。輝之真様のイジワル」
「ほう。では、秋穂の得意なことで、もう一回だけ勝負をしてやろうか」
「ホントですか?」
「武士に二言はない。やはり忍術…… だよな一応?」
「え~っ、わたし忍術なんか得意じゃないですよォ」
「うむ。そんな気はしたんだが、おまえ、忍者だろ?」
「はい、忍者です」
「だったら、なにが得意なんだよ」
「スノーボードです!」
「なんだそれは?」
「えっ…… 輝之真様、スノボ知らないの?」
「知らん。断じて知らん」
「あのですね。スノボっていうのは」
「バカモーン! 説明せんでいいわ! いまは江戸時代だぞ、江戸時代! スノボもローラースケートもないっちゅうの!」
「なんだ。知ってるんじゃないですか」
「ああ、めまいが…… 血圧が…… とにかく、江戸時代にあるやつにしてくれ」
「んっと…… だったら、ジャンケンです!」
 ガクッ。思わずズッコケる輝之真。
「な、なあ、秋穂」
「はい?」
「おまえ、自分で自分の存在の矛盾を感じないか?」
「ぜんぜん」
 秋穂は、キョトンとした顔で首を振った。
「ま、まあいいけど…… ジャンケンね。はいはい。わかりましたよ」
「やった!」
 秋穂は、ぴょんと飛び上がると、うれしそうに言う。
「じゃあ、輝之真様。最初はグーですよ」
「待て!」
「なんですか? 武士に二言はないんですよね?」
「うむ。もちろんだ。だが、このままでは、男性読者のみなさまに申し訳が立たん」
「読者?」
「こっちの話だ。いいか秋穂。どうせジャンケンで勝負するなら、野球拳をやろう」
「野球拳って何ですか?」
「うはははは。知らぬが仏。ジャンケンに自信があるなら、やると言え。さあ言え。いま言え。すぐに言え」
「なんか、輝之真様、目が恐い……」
「うるさい。やるのか、やらんのか?」
「なんだかわかんないけど、いいですよ。やりましょう」
「よっしゃ! 俄然やる気が出てきたぞ! うはははは。やっぱ、くの一は、脱がなきゃ嘘だよな。さっそく時代劇にお約束のお色気シーン突入だぜ!」
「じゃあ、いきますよ、最初はグー」
「こらこら。野球拳の作法を教えて進ぜよう。いいか、わたしの後に続けて歌うんだぞ」
「はい」
「野球ぅ、すぅーるならぁ、こういう具合にしやしゃんせ。アウト、セーフ、よよいのよい!」
 なんか、マヌケというか、輝之真の人格が崩壊していくような気が……





 またまた、そのころ。邦四郎の長屋。って、話がぜんぜん前に進まない気がするが、まっ、いっか。
「ん~っ」
 邦四郎とお清が、あつーい、接吻をしていたときだった。
「ごめんつかまつりますぞ」
 長屋の引き戸が、がらっと開く。
「キャッ!」
 お清は、あわてて、邦四郎から離れた。
「な、なんだよ! いいとこだったのに! だれでい、夫婦の営みを邪魔しやがるバカ野郎は!」
 邦四郎は、入ってきた男を睨みつけた。いや、それは男たちだった。見たところ、八十近いジイさんと、そのお付きの部下という感じ。
「ありゃ」
 と、そのジイさん。
「こりゃ、お取り込み中でしたか。ほほほ。お若い方は元気がよくて、よろしゅうござりまするなあ」
「やい、ジジイ! なんの用だ! いや、その前に何者だ!」
「これは、申し遅れました。わたくし、尾張藩の家老をしております、丹生雄之佑と申す者でございます。あとの者は、名もなき部下でござりまするゆえ、お気になさらず」
「尾張の家老だあ? そんなお偉いさんが、オレになんの用…… 待て。尾張藩だと? 菜々姫とかいうのが誘拐された、あの尾張藩かよ」
「さよう!」
 と、ジイさんは、わが意を得たりと、うなずいた。
「ところで、茶は出ませんのかな」
 ガクッ。と、ズッコケる邦四郎とお清。
「なにが茶だ。そーいうのは、茶菓子を持って来てから、いいやがれ!」
「もちろん、持ってきましたとも。これ、例のモノを」
「ははっ」
 丹生雄之佑は、部下からキオスクと書かれた紙袋を受け取って、中からウイロウを取り出した。
「尾張名物、ウイロウでござりまするぞ」
「ウイロウはともかく、キオスクってのはなんでい、キオスクってのは」
「ま、細かいことはお気になさらず」
「待てよ。どうも、嫌な予感がするんだが、丹生ってあんた、もしかして〈にゅう〉さんかい?」
「は? 〈にゅう〉とは、どちら様ですかな?」
「とぼけんじゃねえよ。その顔、メイクでシワ書いてるだろ。白髪頭もカツラだな」
「なんのことか、さっぱりわかりませんな。そんなことより、邦四郎殿に、ぜひお仕事をお願いしたく参上つかまつったしだいでございます。ここは、美人の奥さんに茶でも淹れていただいて、ゆっくり話を聞いていただきたいのですが。いやあ、それにしても、読むのと見るのでは大違いですな、邦四郎殿はともかく、お清さんは、本当にお美しくていらっしゃる。ほっほっほっ」
「あら、やだ。お美しいだなんて」
「丹生雄之佑、生まれてこの方、嘘とお世辞は言ったことがござりませんぞ」
「まあまあ」
 お清は、すっかり浮かれた声で言った。
「ええと、丹生様でしたっけ? 汚いところですが、お上がりくださいな。いまお茶をお出ししますわ。ちょいと、お前さん。なに突っ立ってるんだい。丹生様のお話を、聞いてさしあげなきゃ」
「女ってヤツは……」
 やれやれと首を振る邦四郎であった。





 そのころ。またまた、輝之真の屋敷。
「いやーっ!」
 秋穂の悲鳴が、障子の向こうから聞こえた。
「輝之真様のバカぁ わたし、こんなの聞いてませんよォ」
 いやんいやん。と、首を振る秋穂の陰が、障子に映っている。ああ、秋穂さんのお父さんお母さん、ごめんなさい。今度こそ、娘さんの危機です。
「ははは。ジャンケンに自信があると言ったのは、そちではないか。いまさら遅いわ」
 なんだか、悪党に成り下がっている輝之真であった。
 だが、現実は甘くなかった。
「いやーっ。ハカマを履いてください輝之真様!」
 服を脱がされているのは輝之真の方であった。
「そうはいっても、おぬしがジャンケンで五連勝したから仕方がないではないか。わたしは、あとフンドシ一枚だ。よかったなあ、秋穂。もうじき勝つぞ」
「いや~ん。殿方の裸体を見るなんて恥ずかしいですぅ。あーん。どうしよう」
「わかった、わかった。わたしも、これ以上、イメージを壊したくないからな。これで負けにしてやろう」
「ダメです!」
 秋穂が、きつ然と言い放った。
「勝負は勝負ですよ、輝之真様!」
「だっていま、見たくないって……」
「見たくないなんて言ってませんよ。恥ずかしいって言っただけ」
「同じことだろ?」
「あら。輝之真様ったら、意外と乙女心をわかってらっしゃらないのね。うふ」
「けっきょく、見たいんかい!」
「いや~ん。そんなこと、乙女の口からは言えませんわ。さあ、輝之真様。いざ勝負!」
「待ってくれ。ごめんなさい。わたしが悪かった。これで、負けにさせてください」
「いいえ。それはなりません。これも武士道。お覚悟を」
「くそっ…… なんでTERUの小説に出る女子(おなご)は、みんなこういう性格なんだ」
「なにか、おっしゃいました?」
「いいえ、なにも!」
「では、行きますわよ! 野球ぅ、すぅーるならぁ、こういう具合にしやしゃんせ。アウト、セーフ、よよいのよい!」
 輝之真はグーを出して、秋穂は、パーを出した。
「やったァ! わたしの勝ちですわ!」
「うっ…… よかったな秋穂。さて。それでは、おまえの話を聞いてやろう」
「ありがとうございます。でもその前に、最後の一枚を」
「まあ、よいではないか。勝負はついたのだ」
「輝之真様。それでも武士ですか。そうですか。お逃げになるのね」
「逃げるなどとは、言っておらんぞ!」
「ですよねえ。武士が勝負に負けて逃げ出すなんて恥ですわよねえ。それも、輝之真様のような立派な御方が。いやん、立派だなんて。わたしったら恥ずかしい。でもさぞ、ご立派なんでございましょうね」
「なにが!」
「なにがって。いや~ん。〈なに〉が、に決まってるじゃありませんか。もう輝之真様ったら、乙女になにを言わせるの。イジワルね」
「イジワルは、どっちだよ!」
「往生際が悪いですわよ」
「わーかったよ! 見せればいいんだろ、見せれば!」
「わくわく」
「こらーっ、瞳を輝かせるな!」
「だって、これは、〈すくりぷと・わん〉始まって以来の大事件ですわ。いやん。秋穂ったら、ラッキ」
「女子(おなご)は恐い……」
「わくわく」
「頼むから、その期待に満ちた目で見るのやめてくれる?」
「お気になさらず。さあ、どうぞ」
「ちょ、ちょっとだけよ」
 輝之真は、フンドシの紐をほどくと、ちらっとだけ、中身を見せた。
「はい、終わり!」
「あーっ! そんなの反則ですぅ! よく見えなかった!」
「これ以上やったら、R指定だぞ。いいかげんにせんか」
「ひどーい。輝之真様ったら」
「そんなに見たければ、ベッドの中で…… ベッドはなかったんだな江戸時代。んじゃ、布団の中で。いやいや、マジでR指定になるから、バカなことを言うのはやめよう」
「ねえ、輝之真様。庭にだれかいるような気がしませんか?」
「ん? そんな気配はないぞ」
 と、輝之真が、庭のほうを見たときだった。
「えい!」
 秋穂は、輝之真がつかんでいたフンドシを、さっと奪ったのだ。
「うわっ! なにをする!」
「キャッ」
 と、悲鳴を上げつつ、しっかり輝之真の股間を見つめる秋穂。
「こら、返さんか!」
「うふふ。見ちゃった。バッチリ」
「スケベ! エッチ!」
 輝之真は、フンドシを秋穂から奪い返して、その放送禁止部分を隠した。
「すくりぷと・わんにお越しの女性ファンのみなさま」
 と、秋穂がカメラの前で言った。
「わたし、ついに輝之真様の、例の部分を見てしまいました。うふふ。どんなだったか知りたい? だーめ。教えてあげない。でも、意外と……」
「こら、秋穂! いいかげんにせんか!」
「キャッ。輝之真様に、マジで怒られそうなので、これ以上は放送できません。みなさま、さようなら~。また来週も見てね」
 秋穂のウィンクが映ったあと、画面が切り替わった。





「いやあ」
 と、丹生のジイさん。
「美人の奥さんが淹れると、ただの番茶も一味違いますなあ。もぐもぐ」
「なんでもいいけどよジイさん」
 邦四郎も、お清の淹れた番茶をすすりながら言った。
「自分で持ってきた土産を、全部食っちまう気か?」
「早い者勝ちですな。ほほほ。もぐもぐ」
 丹生のジイさんは、ウイロウを口いっぱいにほおばっていた。
「まあいいけど……」
 呆れる邦四郎。
「んで、オレに仕事を頼みたいってのは、どういうこった」
「もぐもぐ。どうもこうも、もぐもぐ。わが姫君のことでござりまする。もぐもぐ」
「食べるかしゃべるか、どっちかにしてくれねえか?」
「では、食べちゃいましょう。もぐもぐもぐもぐ」
「おいおいおい! ホントに全部食っちまうな!」
「もう遅いですぞ。いやあ、やはりウイロウは尾張に限りますな、邦四郎殿」
「知らねえよ、一口も食ってないんだから。もういいから、とっとと話しな」
「はい。じつは…… ところで、茶のおかわりはいただけませんのかな?」
「ジジイ……」
 邦四郎は、拳を握り締めた。
「ちょっと、お前さん」
 と、お清。
「この小説に出てくる人に、マトモなのがいるわけないじゃないか。怒ったって無駄なんだから、諦めなさいな」
「お清の言うとおりだけど、なーんか釈然としねえものがあるよな」
 元祖、マトモじゃないキャラがなにを言うか。と、読者のみなさまはお思いのことであろう。いやまったく。
 お清は、丹生ジイさんの湯のみに、番茶を注ぎ足しながら言った。
「さあ話してくださいな。これ以上、くだらないギャグで話を引き伸ばすと、ホントに読者様に呆れられますよ」
「うむ。では聞いていただきましょう。わが姫君が昨晩何者かに誘拐されたことは、ご存じのとおりでござりまする」
「まあな」
 と、邦四郎。
「でしたら、話は早い」
 と、いった丹生ジイさんは、いきなり邦四郎の腕をつかんだ。
「聞いてくだされ、邦四郎殿!」
「どわっ! 聞いてるよ、さっきから!」
「ううう。わたくし丹生雄之佑、尾張藩の家老として、菜々姫様をご幼少のみぎりから、わが孫のように思って、可愛がってまいりました!」
「わかった。わかったから、その手を離して、落ち着いてくれ、ジイさん」
 だが、丹生ジイさんは、よりいっそう、邦四郎の手を握り締める。
「ああ! 邦四郎殿! わたしは菜々姫様が不憫でなりませぬ!」
「だから、なんで!」
「いや。そう言えば、話が盛り上がるかなと」
 丹生は、いきなり普通の顔に戻った。
 ガクッ。ズッコケる邦四郎とお清。
「ジジイ! そこに直れ! たたっ斬ってやる!」
「お、おまえさん、落ち着いて! ここで人殺しになっても、しょうがないだろ!」
「わははは。美人の奥様の言う通りですぞ、邦四郎殿」
 バコーン!
 邦四郎は、丹生の脳天をぶん殴った。
「いったぁ~、本気で殴るんだもんなあ」
 頭を抱える丹生。
「べらんめえ! こちとら江戸っ子でい! 気が短けえんだ、とっとと話しやがれ!」
「へいへい」
 丹生は、お清のお茶をずずーっと、すすりながら言った。
「ともかく。うちの菜々姫様が、昨晩何者かにさわられたんでございます。そこでぜひ、邦四郎殿に助けていただこうと、こうして足を運んでまいった次第」
「また、姫か……」
 邦四郎は、眉間にしわをよせた。
「そういうこたぁ、評定所の輝之真に相談しな。あいつは姫の専門だぜ」
 なんの専門だ、なんの! 姫の専門なんていわれると、妙にいかがわしく聞こえるじゃねえか! と、作者は怒鳴りたかったが、ぐっと我慢した。
「そうそう」
 と、お清。
「お琴ちゃん…… じゃなくって水戸の琴姫様も、輝之真様が、うまく水戸に返したって言うじゃありませんか。丹生様も、輝之真様にご相談なさってみたらいかがですか? うまく取り計らっていただけるかも」
 ところが、丹生のジイさんは、ふんと鼻を鳴らした。
「冗談でしょ。旗本の出の邦四郎殿ならいざしらず、かりにも徳川御三家である、尾張藩が、あんな目付ごとき、木っ端役人に相談などできますか」
 ちょっと説明しよう。邦四郎は、旗本の出である。この旗本は将軍(上様)にお目見えする資格を持っているが、目付である輝之真は、じつは、ずーっと位が低いので、将軍に会う資格は持っていない。江戸時代、将軍に会う資格を持ってるってことは、ものすごいステータスだったわけ。つまり、徳川御三家からみれば、邦四郎は将軍直属の立派なサムライで、輝之真は下っ端役人ということになるのである。以上、時代考証終わり。
「おいおいジイさん。旗本ったって、おいら勘当の身だぜ」
「それでも旗本は旗本。輝之真とかいう木っ端役人も、江戸では有名人らしいですが、尾張の家老が会うような男ではござらん」
「うーむ」
 邦四郎は腕を組んで唸った。
「そりゃ、理屈はそうかも知れねえが、あいつァ、腕は確かだぜ。あまりバカにしねえほうがいい。スケベで女ぐせが悪りいけど、剣の腕じゃ、オレと互角だぜ」
「剣の腕はともかく、お前さんより、頭はいいわよね」
 と、お清。
「こら。亭主に言うかそういうこと」
「だって、ホントだもん。でも、あたしが愛してるのは、お前さんだけだよ」
「バーカ。そんなこと、知ってらあ」
「お二人とも」
 丹生ジイさんがラブラブの二人に口をはさんだ。
「輝之真の腕が立つのは認めますが、木っ端役人のことは、もう言ってくださるな。正直言って、わが藩の一部にも、輝之真に相談を持ちかけようという輩もいますが、こればかりは御三家の沽券に関る問題ですじゃ」
「大変だねえ、お偉いさんも」
 お清は、肩をすくめた。旗本の嫁になった実感はまったくないらしい。事実、こんな長屋に住んでれば、実感どころではないのだが。
「まあいいや」
 と、邦四郎。
「で、丹生のジイさん。助けるたって、どこにさわられたかもわかんねえんだろ。やっぱり警察…… じゃなくて、奉行に相談したほうがいいぜ」
「いや。さらわれた先はわかってござる」
 丹生ジイさんは、お茶をグビッと飲んでから言った。
「わが尾張藩も無能ではござらんからな。えらく腕の立つ用心棒が、実行犯だったんですが、そやつが、日本橋の大徳屋に出入りしてるのをつかんだのでござるよ」
「大徳屋? あの、あくどい金貸しかい?」
「さよう。庶民から法外な金利を取り立てるのみならず、わが姫君を誘拐するとは、なんたる悪行! これは許しておけませぬぞ」
「単純な話だなあ」
 と、邦四郎。
「ま、複雑な話でも困っちまうから、いいんだけどよ」
「なにを悠長な! 邦四郎殿! 姫を、姫をなにとぞ、助けだしていただきたい!」
「さっきまで、ウイロウもぐもぐ食ってたジイさんがよく言うぜ。でもまあ、助けてやらねえこともねえけどよ」
「おお! さすが邦四郎殿。頼りになりますな!」
「だがなジイさん。この仕事は安くねえぜ」
「わかっておりますとも」
 丹生ジイさんは、袖の口から、たたんだ紫色の布を取り出す。
「とりあえず、五両。無事、菜々姫様を助けだしていただいたら、もう五両」
「わあ」
 と、お清が小判を見ながら言った。
「邦さんと結婚してから、小判なんて初めて見たよ、あたし」
「悪かったな、稼ぎが少なくて」
「やあねえ、嫌味で言ったんじゃないよぉ。あたしゃ、お前さんがいてくれりゃ、幸せなんだから」
「ほっほっほっ。新婚さんはいいですなあ。勝手にやってなさい。って感じですが」
 ごもっとも。





 ところ変わって、大徳屋。
「菜々姫様、ご乱心! 菜々姫様、ご乱心!」
 バキーッ!
「ご乱心とは、なにごとじゃーっ!」
 菜々姫が、大徳屋の手下たちをぶん殴っていた。この小説に、しとやかな女性が登場するわけはないのだが、菜々姫も例外ではなかった。
「わらわに、触るでない! 無礼者!」
 ボカッ!
「触るでないと、言っておろうが!」
 バキッ!
 みるみるうちに、大徳屋の手下どもが倒されてゆく。
「いやはや」
 と、その様子を遠目で見ていた大徳屋の主人、徳一が苦笑いを浮かべた。
「おてんばな姫とは聞いていたが、聞きしに勝るじゃじゃ馬ぶり。座敷牢に入れるだけでこの大騒ぎとは」
「シグマ2000様~」
 顔にアザを作った手下の一人が、懇願するように言った。
「わたしらの手にはおえません、なんとかしてくだせえよ~」
「バカタレ!」
 と、徳一。
「シグマ2000と呼ぶな! ここでは、わたしは悪徳商人の徳一だぞ!」
「自分で、悪徳商人とかいわないでくださいよ~、そんなこより旦那様、われわれ名もなき雑魚の身にもなってくださいよ~、なんとかしてください~」
「ったく、大の男が情けない」
 シグマ2000…… じゃなくて、徳一は、やれやれと、首を振りながら、屋敷の奥に声をかけた。
「先生! 先生、出番ですぞ!」
 すると、奥のふすまがすっと開いて、ひげ面のオッサンが出てきた。
「呼んだかい?」
「ああ、山路先生。お忙しいとこすいませんね。また、菜々姫が暴れてまして、ひとつ、大人しくさせてやっちゃもらえませんかね」
「また女子(おなご)に手を上げろと申すか」
 山路稔蔵は、眉をひそめた。
「へへへ」
 と、徳一。
「そうはいっても、山路先生。先生のバクチの借金、だれが肩代わりしたか、よーく思い出してもらいたいですな。江戸で一仕事するはずが、じつはバクチに明け暮れ、借金まで抱えこんだなんてことを、大阪のご家族が知ったら、さぞ悲しむでしょうなあ」
「徳一。どこまでも卑劣な男よ」
「へへへ。あたしゃ今回、悪役に徹しさせていただきますよ。もちろん、やっていただけるんでございましょうね?」
「致し方ない」
 山路稔蔵は、渋い顔で答えると、徳一の手下どもを、あらかた片付けた、菜々姫の前に歩み寄った。
「菜々姫」
 と、山路稔蔵。
「少々、オイタが過ぎるようですな」
「うっ。また、おぬしか!」
 菜々姫は、山路稔蔵を睨みつけた。じつは、尾張の屋敷から、菜々姫を誘拐した凄腕用心棒とは、山路稔蔵のことだったのだ。
「そんなヒゲをメイクで書いても、ぜんぜん、恐くないのじゃ。いまなら、まだ許して進ぜよう。わらわを、ここから出すのじゃ」
 山路稔蔵は、苦笑いを浮かべた。
「菜々姫。わたしにも事情がございます。大人しく座敷牢に入っていただかないと、少々、痛い目を見ていただくことになりますぞ」
「女子(おなご)に、手をあげるとは、見下げ果てたヤツじゃ!」
「うっ…… いややなあ。役とはいえ、菜々姫に見下げ果てたヤツなんて言われると、さすがに、落ち込むわぁ」
 思わず、大阪弁をしゃべる山路稔蔵だったが、大阪弁はこれ以上書けない作者だった。
「わらわだって、ホントは言いたくないのじゃ。でも役だから仕方ないのじゃ。こうしないと話が進まないのじゃ」
「オホン」
 と、山路稔蔵は、役に戻った。
「では、菜々姫。座敷牢に入っていただけますな?」
「イヤじゃ」
 ぷい。と、顔を背ける菜々姫。
「菜々姫~、いま、話が進まないって、自分で言ったばかりじゃないですか~」
「それはそれ、これはこれじゃ。わらわは、座敷牢なんか入りたくないのじゃ。お風呂に入って、美味しいもの食べて、テレビで時代劇ドラマ見て、ふかふかのベッドで眠りたいのじゃ」
「わがまま……」
「なにか申したか?」
「いいえ、なんにも。ですが姫様。よくご覧あれ。この座敷牢は、姫様専用の特別仕様ですぞ。お風呂も、一流料亭の食事も用意してあります。英語で言えば、プリンセス菜々・スペシャルバージョンでござりまするぞ。これで、いったい、なにがご不満ですか」
「テレビとベッドがないのじゃ」
「いまは、江戸時代でしょうに!」
「じゃあ、せめてビリヤード台を作るのじゃ!」
「だから、江戸時代だって言っておろーが!」
「ふん。これだから江戸時代人は嫌いなんじゃ。ビリヤードもしらんのか」
「あんたも江戸時代人でしょうに、まったく。しかし、さすが菜々姫。聞きしに勝るワガママぶり。って、感心してる場合じゃないか」
「なにを、ぶつぶつ言っておるのじゃ」
「あのね、菜々姫様。あなたが牢に入らんことには、話が進まないんですよ」
「ふん。知ったことか」
 山路は、やれやれと首を振ると、奥の手を出すことにした。菜々姫の耳元で、ひそひそと言う。
「菜々姫様。これは言いたくありませんでしたけどね、座敷牢に入れば、例の二人がやってきますぞ」
「例の二人?」
「邦四郎さんか、輝之真さんですよ。ホント、言いたかないですけどね、あたしら悪役は、どうせこの二人に斬られるんですよ。ええ、斬られますとも。時代劇なんだから」
「ホントに、あの二人が来るのか?」
「来ますとも。ゴキブリほいほいに引き寄せられる、ゴキブリみたいにね」
「わらわは、ゴキブリの餌かい!」
「やだなあ、比喩ですよ比喩。いいなあ、菜々姫様。なんだかんだ言って、邦四郎さんも輝之真さんもいい男ですもんねえ。そんな男たちに命をかけて助けてもらえるんですよ。いいなあ、うらやましいなあ。カリオストロの城のクラリスみたい。わたしも、そんな役やってみたかったなあ」
「クラリス? わらわはクラリスかえ?」
「そうですよ」
 ぜんぜん、性格は似てないけどね。と、山路は心の中で付け加えるのを忘れなかった。
「えへへ。そうか。わわらはクラリスか。薄幸の美少女じゃな」
 どこが薄幸じゃ。と、突っ込みたい山路ではあったが、話を進行させる都合上、ぐっと我慢するのであった。脇役は辛いなあ。
「わ、わかっていただけましたか、菜々姫様」
「おぬし。なんか、顔が引きつっておるぞよ。でもまあ、それなら仕方ないのじゃ。いまは言うことを聞いてやるのじゃ」
 菜々姫は、なんかウキウキしながら、自分から座敷牢に入ったのであった。どうやら、姫という立場を楽しんでいるようであった。でも、クラリスには似てないよな。と、作者も思う今日このごろなのであった。





「冗談じゃないぞ!」
 と、輝之真は秋穂に叫んだ。
「なんで、わたしが姫を助けなきゃイカンのだ!」
「だって、輝之真様は、そういうキャラじゃないですか」
 と、秋穂も食い下がる。
「邦四郎様は、お清さんと結婚しちゃったし、もうこのお話で、菜々姫を助けてカッコ良く決まるのって輝之真様しかいないんですよ」
「こら」
 輝之真も、負けずに言う。
「おぬし、菜々姫を守る忍者であろうに。おぬしが助ければいいではないか。ヤクザだか、悪徳商人だか知らんが、ちょちょっと忍び込んで助けてこい」
「え~っ、そんな怖いことできませんよぉ。わたし女の子なんですよぉ」
「くの一と言わんか! くの一と!」
「やだなあ、細かいことこだわっちゃって。日光江戸村じゃあるまいし」
「こらこらこら。日光どころか、ここは、ホントの江戸だぞ。享保八年。八代将軍、徳川吉宗の時代だ。そこんとこ、よろしく」
「知ってまーす! 吉宗って言えば、暴れん坊将軍ですよね」
「アホ。ありゃテレビの時代劇だ。ホントの将軍が、市中をウロウロするわきゃねえだろうに」
「え~っ、なーんだ。ガッカリ」
「おまえには、つき合っておれんわ。やっぱ、帰れ」
「あわわ! そんなこと言わないで、姫様を助けてください! わたし一人じゃ、ぜったい無理ですよぉ。だいたい助けられるぐらいなら、誘拐されたりしてませんって。そんなこともわかんないんですか?」
「威張って言うな! バカタレ!」
「だってほら、わたし、マヌケ忍者ですもん。うふ」
「自分でマヌケって言うなよ。ったく、おまえ、一番おいしいキャラだな。まさかここまで主役を食うとは思ってもみなかったぞ」
「そう! そうですよ。このままだと、菜々姫様と輝之真様の影がどんどん薄くなりますよ。いいんですか? いえ、『くの一、秋穂。江戸を切る!』なんて、タイトルにしてくれるんなら、このままでもいいんですけど」
「ふむ。『マヌケ忍者、秋穂のズッコケ珍道中』なら、変えてもいいかな」
「えーっ、ヤダヤダ! そんなのヤダ!」
「どうして? そのまんまじゃないか」
「ひっどーい。輝之真様ってイジワルだわ」
「なあ秋穂。こりゃひとつ提案なんだが、そろそろマジメにやらない?」
「え~っ、わたしいつもマジメですよォ」
「いつも、マヌケの間違いだと思うが……」
「なんか言いました?」
「いいえ、なんにも」
「まあね、このまま漫才やってても仕方ないんで、いいかげん話を進めましょう。というわけで、菜々姫様を助けに行ってください」
「なにが、というわけでだ。姫は、もう懲り懲りなんだよ。ちょっとトラウマってるし」
「そんなこと言わないでくださいよぉ。輝之真様に出張ってもらわなければ、わたしが丹生様の命に背いて、ここに来た意味がありません」
「丹生? だれだそれ?」
「にゅうさんですよ」
「にゅうさん? 知らんなあ。だれだそれ?」
「物語に入ってますね、輝之真様」
「おまえこそ、ほいほいとネタバレ発言するのやめろ」
「ごめんなさーい。丹生様っていうのは、尾張のご家老様です。一応、形の上では、わたしの上司ですね。わたし、丹生様に輝之真様にご相談申し上げるように進言したんですよ。そしたら丹生様ったら、あんな木っ端役人になんぞ会えるかって、はなから聞き入れてくれないんです」
「木っ端役人か…… 御三家の家老からみれば、オレなんか、そんなもんだろ」
「でもでも、江戸一番の剣豪で、江戸一番のハンサムで、江戸で一番頭がよくって、とにかく、江戸で一番カッコいいのは、輝之真様をおいてほかにおりません!」
「ほう。マヌケ忍者のわりには、真実を見抜く目を持っておるではないか」
「そう言われると反論したくなるような気もしますけど、とにかく、わたしは輝之真様しか、菜々姫様をお助けできる人いないと思ってます。なんで、丹生様はわかっていただけないのか……」
「ふっ。出る杭は打たれるのさ」
 輝之真は、前髪をかき上げながら…… いや、チョンマゲだから前髪はないのだった。
「いやん。やっぱり輝之真様ったらカッコいいわ」
「これこれ。おだてるな」
「おだててなんかいませんよ。わたし正直者なんです」
「わははは。愛いやつじゃ」
「で、輝之真様。菜々姫様を助けて下さいますよね」
「む…… それとこれとは……」
「意外と、男らしくないですね。あそこは、ご立派なのに」
「それこそ、話が違うわい!」
「じゃあ、とっときのモノをお見せしましょう」
 秋穂は、そういって、懐に手を入れた。
「こらこら、秋穂。わたしが、そういう色仕掛けに参るような男だと思うか」
「えっ? 色仕掛け?」
「服を脱ごうとしているではないか」
「えーっ、ヤダ、輝之真様ったら。わたし、そんなことしませんよぉ。エッチ。これを見ていただきたいと思ったんです」
 秋穂は、懐から、一枚の紙を取り出した。
「ちっ。なんだよ、期待させやがって」
「なんか、言いました?」
「いいえ、なんにも!」
「なに怒ってるんですか? はい。これ見てください」
 それは、菜々姫の似顔絵だった。
「えへへ。うまいでしょ。これ、わたしが描いたんですよ」
「こ、これは……」
 思わず、食い入るように、菜々姫の似顔絵を見る輝之真。
「どうです。カワイイでしょ。キュートでしょ」
「むむむ。秋穂、おまえ絵がうまいな」
「うわ。うれし。輝之真様に誉められちゃった」
「ときに秋穂。これはその、実物に忠実に描かれておるのか?」
「もっちろんですよ。でもね輝之真さま。実物の菜々姫様は、わたしの絵より、もっとカワイイですよぉ」
「そ、そうか。それはなにより」
 輝之真は、おもむろに、似顔絵を懐にしまうと、刀を腰に差して言った。
「致し方ない。可憐な少女が、わたしの助けを求めておるのに、見過ごすわけにもいかぬだろう」
「やった!」
 秋穂はピョンと飛び上がった。
「さすがは輝之真様。美女に目がないって噂は本当だったんですね!」
「どういう噂じゃ! だいたい、それのどこが、さすがじゃ!」
「まあ、いいではないですか。いざ、ゆかん! 菜々姫奪回作戦!」
 意気込む秋穂に、輝之真は言った。
「なんか、不安だなァ。ぜったい、おまえドジるよな。そんで大騒動だぜ。おいしい役だよなァ。人に迷惑かけるだけだもんなァ」
「なに、ぶつぶつ言ってるんですか。さあ、行きますよ。あっ、その前に」
 秋穂は、輝之真に手を差し出した。
「なんじゃ?」
「返してください」
「なにを?」
「菜々姫様の似顔絵」
「くれるんじゃないの?」
「だれもそんなこと言ってません」
「ちっ」
 輝之真は、渋々、菜々姫の似顔絵を返した。





「ふうむ」
 邦四郎は、大徳屋の前で腕を組んでいた。
「でけえ屋敷だな。さすが悪徳商人だぜ。庭にドーベルマンでもいそうだよな」
 江戸時代に、そんな犬がいるわけないが、まさにそんな感じの屋敷ではあった。
「ま、いっか。なるようになるだろ」
 邦四郎は、かぎ爪のついた縄をくるくる回して反動をつけ、屋敷の壁に飛ばした。

 そのころ、屋敷の反対側。

「ふうむ」
 輝之真は、やはり腕を組んでいた。
「でかい屋敷だ。さすがは悪徳商人。庭に番犬でも放していそうだな」
「わあ。わたし犬って大好き」
「番犬と言っておろうが。噛まれても知らんぞ」
「えっ。噛むんですか?」
「少なくとも、お手とお座りはしないだろうな」
「やだ。怖い~」
「んじゃ、やめるか?」
「輝之真様って、意外とイジワルですよね。そういうときは、〈心配するな秋穂。わたしが守ってやる〉って言うのが男でしょ」
「秋穂くん。オレ思うんだけどさあ、おまえ、ここで待ってたほうがいいよ。うん。そうしなさい」
「え~っ、なんでなんで?」
「わからんか?」
「わかりません」
「じゃ、キッチリはっきり言ってやろう」
「はい」
「足手まといだからだ!」
「ひっどーい。これでもわたし、忍者なんですよ」
「どこが忍者だ、どこが」
「このへんが」
 秋穂は、忍者の頭巾を指差した。
「つまり、コスプレだけなのね。そういうのはコミケでやりなさい、コミケで」
「コミケってなんですか?」
「またまたァ。知ってるくせにトボけちゃって」
「ホントに知らないもーん」
「まあいい。おまえと話してると、マジで『マヌケ忍者物語』になってしまう。ついてきたかったら、大人しくしてろよ。転ぶなよ。破壊するなよ」
「はい。努力します。たぶん」
「不安だなァ……」
 輝之真は、やれやれと首を振りながら、用意してきた、かぎ爪のついた縄をくるくる回して反動をつけ、屋敷の壁に飛ばした。カキンと、爪が引っかかる。輝之真は縄を引っ張って、ピーンと張った。
「うわあ。輝之真様、すっごーい。うまーい」
 パチパチパチと拍手する秋穂。
「静かにせんか、静かに!」
 さっそく頭の痛い輝之真であった。

 そのころ邦四郎。

「あらよっと」
 邦四郎は、身軽な動きで屋敷の壁の上にあがる。
「ふふん。ちょろいもんよ。見たとこ、番犬はいねえようだな」
 邦四郎は、やはり身軽な動きで、ひょいと壁の内側に飛び降りた。
「さあて、広い屋敷、どこから探すかね。たぶん座敷牢に入れられてると思うが」

 今度は、輝之真。

「うんしょ。うんしょ」
 秋穂が、一生懸命、縄をつたって壁をよじ登っていた。
「なあ秋穂」
 輝之真はすでに壁の上。
「やっぱ、下で待ってろよ」
「そんな、うんしょ、わたしも、うんしょ、一緒に、うんしょ。ふう。やっと登れた」
「お疲れさん。見たところ、番犬はいないようだ」
 輝之真は、ひょいと壁から飛び降りた。
「さあて、広い屋敷、どこから探すか…… ん? なにしてる秋穂。降りてこいよ」
「怖い……」
「は?」
「わたし、高いとこ怖いんですぅ。助けて、輝之真様ぁ」
「しょーがねえなあ、もう。手をついて、足から下ろせ。不本意だが、踏み台になってやるから、わたしの肩に足を乗せろ」
「ヤダ。届かないもん!」
「届くよ」
「届きません!」
「あのね」
「あーん。怖いよう」
「だーっ。わかったよ。そのまま目をつぶって飛び降りろ」
「えーっ、そんなのもっと怖い!」
「心配するな。受け止めてやるから」
「ホントに?」
「ホントだ」
「ぜったいに?」
「ぜったいだ」
「うーっ…… わかりました。わたし輝之真様を信じます」
 秋穂は、目をつぶって、えいっと壁から飛び降りた。
 ドサッ。
 輝之真は秋穂を受け止める。
「ほら。大丈夫だったろ」
 秋穂は、輝之真の腕の中でゆっくり目を開ける。
「うわあ。これってお姫様だっこですね。いやん、秋穂ったら、ラッキ」
 ドサッ。
 輝之真は秋穂を下ろした。いや、落とした。
「いったーい!」
 お尻をさする秋穂。
「輝之真様のイジワル!」
「へいへい。なんとでも言ってくれ」


10


 悪徳商人の徳一。彼にはぜひとも描写しなければならない性癖(?)があった。
「うひひ」
 徳一は自室に戻ると、襖にカンヌキをかけて、だれも入ってこれないようにした。
「やはり、あれだな。一日一回、これをやらんと気が納まらんな」
 そう言って徳一は、いそいそと、着物を脱ぎ始める。そして、いよいよ全裸になると、部屋の真ん中にぶちまけた小判の上に飛び込んだ。
「ざぶーん! うはははは! 銭風呂じゃあ! ひーひひひっ!」
 いや、なかなか立派な変質者ぶり。悪役はこうでなくっちゃイカンね。うん。
 そして、その様子を見ている男がいた。
「な、なんでい、ありゃ?」
 障子に穴を開けて、のぞいている邦四郎。さすがは邦四郎である。もう屋敷の中に忍び込んでいるのだ。
「いわゆるあれか、キ印ってヤツか? やだねえ、まだ春にもなってねえのに」
「まったくだ」
 と、邦四郎の独り言に答える声があった。
「どわっ!」
 邦四郎は、ビックリして、障子の穴から目を離す。するとそこには、やはり障子に穴を開けて、中をのぞいている輝之真がいたのだった。
「な、なんだ、輝之真! てめえ、なんでここにいやがる!」
「それは、わたしのセリフだ。おまえこそ、なぜここにいる。いや、答えなくていい。前々から、こそ泥の素養があるとは思っていたが、さもありなん」
「さもありなんたァ、どーいうこった! てめえこそ、こそ泥じゃねえか!」
「バカを申すな。わたしは致し方なくここにおるのだ」
「オレだってそうだ!」
「ほう。まさか菜々姫を助けに来たと申すのではあるまいな」
「ってことは、おめえもそうかよ。今日の昼間、ざるそば食いながら、姫は懲り懲りだとか言ってたのは、どこのどいつだ?」
「その言葉、そっくり返してやろう」
「ふん。オレだって、頼まれて仕方なくここにいるんだ」
「だれに頼まれた?」
「丹生ってジイさんだ。尾張の家老だぜ。そういう、てめえは、だれに頼まれたんだ?」
「わたしは、尾張のマヌケ忍者…… ん? 秋穂。どこにいる?」
 輝之真は、あたりを見回した。さっきまで一緒だった秋穂がいない。

 そのころ、秋穂。

「輝之真様ぁ。どこ行ったのぉ? 輝之真様ぁ。どこですかぁ? 秋穂はここですよぉ。ダメですよぉ、迷子になっちゃ」
 自分が迷子になっている秋穂であった。
「ねえ、輝之真様ぁ。隠れてないで出てきてくださーい。イジワルすると秋穂、怒りますよぉ」
 し~ん。
「輝之真様ぁ……」
 だんだん、自分の置かれた状況をごまかせなくなる秋穂。
「う…… もしかして、秋穂ってば迷子?」
 やっと、状況を認めた秋穂だった。
「やだぁ。こんな広いお屋敷、わたし、一人じゃわかんないよぉ」
 名古屋城は、もっと広くないんかい! と突っ込みたくなるが、ご安心願いたい。秋穂は名古屋城でも、毎日迷子になっているのだ。
「そ、そうよ秋穂。こんなの日常茶飯事じゃない。大丈夫よ。いつもみたいにすれば」
 秋穂は、懐から『秋穂専用、方向指南棒』と書かれた棒を取り出した。それを廊下に立ててから、適当にパタッと倒す。
「よし。こっちだわ」
 秋穂は、棒の倒れた方向へ歩き始めた。いつも、こんな方法で名古屋城を歩いてるんかい。

 で、輝之真と邦四郎。

「ふうむ。マヌケ忍者ねえ」
 輝之真から、ざっと事情を聞いた邦四郎は、腕を組みながら言った。
「雷は怖いってことだな」
「は?」
 輝之真は、ハテナマークを浮かべた。
「なるほど。って言ったんだよ」
「邦四郎。おまえもオヤジギャグの似合うお年ごろだな」
「うるせえ。言っとくが、そいつぁ、災難だったな。と、同情してやると思ったら、大間違いだぜ。ふだんの行いが悪りいから、バチが当たったんだ。ざまぁみろ」
「ふん。おまえに同情などされたくもないわ。だいたい、バチの当たりっぱなしの男がよく言いやがるぜ」
「なんだと。オレはお清と結婚して、幸せいっぱい夢いっぱいの毎日だぞ。どうだ。羨ましいだろ」
「わかった、わかった。オノロケはお清と二人でやってくれ。いまは菜々姫の救出が先だ」
「秋穂とかいう忍者はいいのかよ?」
「あやつも忍者の端くれなら、自分でなんとかするだろう。いや、なんともならない気もするが、とにかく菜々姫が先だ。秋穂のことはあとで考えよう」
「まあ、そうだな。で、どうする? たぶん座敷牢に囚われてると思うが」
「座敷牢といえば、屋敷の一番奥まったところだろう」
「ふん。たまには意見が一致することもあるってわけだ」
「不本意だがな」
「バカ野郎。そりゃ、こっちのセリフだ」
「おぬしとは、トコトン気が合わんな」
「これがホントの腐れ縁だぜ」
「おまえとの仲が腐るのは大いにけっこうだが、いまはやるべきことをやるぞ」
「わかってらあ。指図すんじゃねえよ」
 輝之真と邦四郎は、まだ小判の海で泳いでいる徳一の座敷をあとにした。


11


 秋穂は、方向指南棒を倒していた。これで三回め。こんなことやっていて、よく見つからないものだ。
「今度はこっちね」
 秋穂は、棒の差す方へ進む。
 すると……
「うひひ。座敷牢に風呂場があるとは、なかなか豪勢でけっこう」
 という声が聞こえた。
 やったぁ。人がいるわ。道を聞こうっと。と、バカなことを考える秋穂は、声のする方へ近寄った。普通は、人がいるわ、隠れなきゃと思うところだが、そこはそれマヌケ忍者である。思考回路が違うんである。
 あ、いたいた。あの人だわ。
 秋穂は、声の人物を発見した。
 その男は、壁に穴を開けて、なにかをのぞいていた。
「おお。やはり、若い女子(おなご)は、いいのう。肌の張りが違う。創作意欲が沸くなあ。うひひ」
 男は、懐から和紙と筆を取り出して、なにかを描き始めた。
 サラサラサラ。
 軽快に筆を走らす男。それは徐々に、若い娘の入浴姿になっていく。
「わあ、うまい」
 秋穂は、その絵をのぞき込みながら言った。
「線の引き方が優雅ですてきですねえ」
「うひひ。モデルがいいから…… どわっ! だれだおまえ!」
 のぞいていた男は、いまごろビックリした。
「あ、わたし秋穂です。忍者なんですよ。オジサンは?」
「自分で忍者って自己紹介するな! だいたい、わたしは、オジサンじゃない! お兄さんと呼ばぬか、お兄さんと!」
「うふ。微妙なお年ごろの男って、繊細なのね」
 クスッと笑う秋穂。
「むむっ。カワイイ顔して、男を惑わすタイプと見た。小悪魔ってヤツだな」
「わたし悪魔じゃないですよぉ。忍者ですってば。やあねえ」
「ううむ。この微妙に、話が噛み合わん具合が、不思議と心地よいのう」
「なんだか、わたしも気が合いそうな気がしてきました。お名前は?」
「千亭と申す」
「えっ、千亭さん?」
 秋穂ビックリ。
「もしかして、もしかしたら、〈すくりぷと・わん〉で、あのきれいなイラスト描いてる千亭さんですか?」
「いやあ、そうなんですよ。初めまして秋穂さん…… じゃなくって、知らん! そんなヤツは、断じて知らんぞ!」
「やっぱり千亭さんなんだ。うわあ。わたしもイラスト描くんですよ」
「圭介と麻里のイラストでしたな。いやはや、秋穂さんも絵がおうまくて。ではなくってですな、いまは江戸時代なんで、人心を惑わすようなセリフはお控えなさりませ」
「ごめんなさーい。では、この時代の千亭さん。なにしてたんですか?」
「いやその……」
「きれいな女の人のイラストですねえ」
「江戸時代なんだから、春画と言っていただきたいですな」
「あっ、そうか。春画かあ」
「うはは。春画ですな」
「ん? 春画?」
 さすがの秋穂も、春画の意味を思い出した。言っておくが、うららかな春の風景を描いた絵ではない。どうしても意味が分からない人は、辞書を引くように。
「春画って、千亭さん、いったいなにをのぞいてたんですか!」
 秋穂は、千亭がのぞいていた穴をのぞきこんだ。
 すると……
「ふう。いいお湯なのじゃ。やっぱり湯船はヒノキに限るのじゃ」
 と、お湯につかっている菜々姫の姿が秋穂の目に映った。それにしても、ヒノキ風呂を用意させたのね、菜々姫様ったら。
「せ、千亭さん……」
 秋穂は、髪を逆立てながら、千亭を振り返った。
「わーっ、待て待て! 健全な精神…… でもないが、健全な肉体を持つ日本男児として、ごく当然の衝動じゃなくって、これはその、ほんの出来心ってやつで、だから、その、あの、ごめんなさい!」
「いいえ! わが主君の入浴シーンをのぞくなんて、許せません!」
「ひーっ、TERUさんひどいよ、なんだよこの役柄、オレがなにしたっていうの!」
「こんなときだけ、本物の千亭さんに戻っても無駄ですよ! さあ、そこに直りなさい。わたしが成敗してあげます!」
 秋穂は、持っていた方向指南棒を振り上げた。
「おーっ。秋穂さん、カッコいい」
 パチパチパチ。と、拍手する千亭。
「えへ。ホント? って、ごまかしても、だめーっ!」
「わーっ、待て、秋穂! 落ち着け、話し合おう。暴力反対。人類みな兄弟!」
 すると。
 バシャーッ!
「どわっ! あちちちちっ!」
 飛び上がる千亭。
「さっきから、風呂の外で、なにをゴチャゴチャやっておるか!」
 菜々姫が、千亭に熱湯をかけたのであった。
「熱湯かよ! 死んじゃうよ!」
 思わず熱さを忘れて叫ぶ千亭。
「うわぁ。千亭さんって丈夫。よく火傷しませんねえ」
 と、秋穂。
「むっ。その声は秋穂かえ?」
 菜々姫が、風呂場の窓からヒョイと顔を出した。
「きゃーっ、姫様! やっと見つけましたぁ! 秋穂、がんばって、お助けにまいりました!」
「そうか。助けにきてくれたのか。愛いやつじゃ。それにしても、よく一人で来れたのう。輝之真か邦四郎は一緒ではないのかえ?」
「それがぁ、輝之真様と一緒に来たんですけどぉ、輝之真様ったら、迷子になっちゃったんですよ」
「それにしては、おぬしなぜ、方向指南棒を持っておるのじゃ?」
「あっ、これはその…… あはは。いやだわ姫様ったら、目ざといんだから」
 秋穂は、あわてて方向指南棒を隠した。
「さささ、姫様。そんなことより、早くここから逃げましょう!」
「イヤじゃ」
 ぷいと、顔を背ける菜々姫。
「は?」
「わらわは、お風呂に入ってる最中じゃ。いま出たら、湯冷めする」
「またまたぁ。そんなひ弱な姫様じゃないでしょうに」
「おぬしに言われとうないわ。とにかく、イヤなものはイヤなのじゃ」
「ワガママ言わないでくださいよぉ。一緒に逃げましょうよぉ」
「イヤじゃ。おぬしと逃げたら、苦労するだけじゃ」
 うんうん。と、うなずく千亭。
「なに、うなずいてるんですか、千亭さん!」
「いや、べつに。あはは。しかし秋穂。ここで脇役のわれわれが菜々姫を救出したら、話が終わっちまうぞ。そりゃマズかろう」
「そうじゃ、そうじゃ!」
 菜々姫は叫んだ。
「わらわは、輝之真と邦四郎に助けられる、可憐なお姫様なのじゃ! 邪魔をするでない秋穂!」
「可憐?」
 秋穂と千亭は、同時に頭の上にハテナマークを浮かべた。
「なんじゃ。なにか言いたいことでもあるのかえ?」
「いいえ、なんにも!」
 やはり、同時に首を振る秋穂と千亭。
「なんか、腑に落ちん態度じゃな」
「とにかく」
 と、秋穂。
「菜々姫様の本当の目的は了解しました。そういうことなら仕方ありませんね。輝之真様が来るのを待ちましょう」
「むう。でも、わらわは、もう待ち飽きたのじゃ。お風呂も入っちゃったし。秋穂。ちょっと輝之真を呼んでまいれ」
「やだわ、菜々姫様ったら。そんなことができるなら、わたし迷子になんかなりませんよぉ。わかってらっしゃるくせにぃ」
「やっぱり、迷子かえ」
「あっ…… えへへ」
 ポリポリと頭を掻く秋穂。
「そちが、一番、自分で決めた設定に忠実なキャラじゃな。なんとなく、羨ましいが、まあよい。これ、そこの平民」
「へ?」
 平民と呼ばれた千亭が、自分のことを指差す。
「オレですか?」
「おぬし以外に、平民はおらんじゃろうが。輝之真か邦四郎を探してまいれ」
「はあ」
「マヌケな声を出すでない。尾張の姫に仕事を命じられたのじゃぞ。ありがたき幸せと頭を下げんか」
「うっ…… たしかに、本当の江戸時代ならそうですな」
「そうじゃろ? ほれ、頭を下げんか。ほれほれ」
「菜々さん、姫の役、楽しんでますなあ。もしかして地ですか?」
「もう一度、湯をかけられたいのかえ?」
「め、めっそうもない! ははーっ。熱湯をかけていただいた上に、仕事まで命じていただけるとは、ありがたき幸せに存じたてまつります」
「根に持つ男じゃな」
「熱かったんですよ、マジで!」
「丈夫な身体じゃな」
「余計なお世話です。しかし姫。こんな広い屋敷で輝之真殿を探すより、待ってた方が早いですって。邦四郎殿も忍びこんでるでしょうし。彼らもプロですから、すぐ見つけてくれますよ」
「あっ!」
 と、秋穂。
「わたし、すっごくいい方法思いつきました!」
「ほう」
 と、興味を持った千亭だが、菜々姫は、やれやれと首を振った。
「これ秋穂。おぬしがなにか思いつくと、たいていロクなことがないぞえ」
「そんなことないですってば、今度は大丈夫です」
「ダメじゃ。却下じゃ」
「そんな~、姫様ひどい~」
「そうですよ、菜々姫様。ここはひとつ、秋穂のアイデアを聞いてみようじゃありませんか」
「きゃっ。千亭さんってば優しいわ」
「ははは。同じイラスト描きではないか」
 年甲斐もなく照れる千亭であった。
「んじゃ、行きますね」
 秋穂は、千亭ににっこりほほ笑むと、いきなり大声を出した。
「であえ、であえ! くせ者だーっ! 菜々姫様の座敷牢に、くせ者がいるぞーっ! みなの者、であえ、であえ!」
 と、叫び終わり、秋穂、またにっこり。
「ね。これで見つけてくれますよ」
「バカーッ!」
 と、千亭。
「こっちが見つかっちゃうじゃないかーっ!」
「だから、ダメだと言ったのじゃ」
 やれやれと、首をふる菜々姫だった。


12


「げげっ!」
 と、邦四郎。
「まさか、見つかっちまったのか?」
「あわてるな。われわれではない」
「秋穂か!」
「秋穂だ。あの声が」
「は?」
「なにをやらかしてるんだか、あの娘はまったく」
 輝之真は、頭を抱えた。
 すると。
「いたぞ! 賊だ! 男二人だぞ!」
 わらわらと、屋敷の中から大部屋の斬られ役者たちが出てきた。
「オレたちが見つかっちまったじゃねえか!」
 邦四郎が叫ぶ。
「むう。菜々姫より先に、秋穂をなんとかするべきだったか」
「ミスったな輝之真」
「それとも、運命のどちらかだ」
「うーむ。運命の方かもな」
 邦四郎は、苦笑いを浮かべながら安物の刀を抜いた。
「まあ、どっちでもいいさ。こうなったら、大立ち回りだ」
「致し方なし」
 輝之真も、ニセ物村正を抜く。
「なんだよ輝之真。まだ、そのニセ物使ってるのかよ」
「うるさい。役人の薄給で本物の名刀が買えるわけなかろうに」
「なんか、カッコつかねえよな、オレら」
「うむ。それが運命でないことを祈るのみだ」
 輝之真は刀を構える。
「まったくだぜ」
 邦四郎も、そう答えながら、斬られ役者たちの前に対峙した。
「さあ、雑魚ども! 命が惜しくなかったらかかってきやがれ!」
「賊のくせに、ちょこざいな! 野郎ども、やっちまえ!」
 一番、斬られ役者人生が長そうな男が叫んだ。この男、必ず一言はセリフをもらえるのであるが、しょせん、それだけのことであった。
 バシュ!
「ぐわーっ!」
 セリフを言った斬られ役者は、やはり一番最初に斬られて死んだ。合掌。
 だが、それが合図だったかのように、斬られ役者たちが、一斉に襲いかかってきた。
「うひょひょひょ。時代劇はこうでなくっちゃいけねえや!」
「時代劇じゃないわ、バカタレ!」
 輝之真は、雑魚を斬りながら叫ぶ。
「おっと、そうだった。現実だったな。すまんすまん」
 そういう邦四郎も、右に左にと、雑魚を斬り倒していく。
 バシュ。カキン。バシュ。カキン。
 刀がかち合う音と肉を切る音。
「例によって、アクションシーンの描写が下手な作者だな、輝之真! ああ、すまん。おまえのことか!」
「バカ野郎! TERUと輝之真は別人だ!」
「けっ。いまさら、そんなこと信じるヤツがどこにいる。下手くそ作者さんよ」
 くっ…… 言わせておけば…… こうなったら書いてやる。書いてやるともさ、アクションシーンを!(←作者の声)
 輝之真は、見えない作者の意志に突き動かされるように、斬られ役者たちの群の中に飛び込んだ。
「あっ、バカ! 無茶するな!」
 邦四郎が言ったが、もう遅い。
「頭に血が上っちまったか。バカなヤツ」
 やれやれ。と、自分は自分で、雑魚キャラを斬るのに忙しい邦四郎だった。
 カキーン!
 輝之真は、ヒゲ面の大男と切り結んでいた。雑魚キャラのくせに、その眼にはギラギラと殺気をみなぎらせている。さしもの輝之真も、大男の怪力に、合わせた刀が、じりじりと額に近づいていく。
「くそっ!」
 輝之真は、いきなり、大男の股間を蹴り上げた。
「ぎゃっ!」
 大男は飛び上がる。
「きさまーっ! 玉蹴りは時代劇じゃ反則技だぞ!」
「バカ野郎! これは劇ではない! 殺し合いに反則もクソもあるか!」
 バシュ。
 輝之真は、ピョンピョン飛び上がって、玉の位置を直している大男の胸を切りつけた。
「ぐわーっ!」
「こ、こいつ、本気だぞ、おい」
 斬られ役者の一人が、小声で言った。
 輝之真は、すかさずそいつを斬ると、左から斧で襲いかかってきた男を蹴りたおし、脇から切りかかってきた男と切り結んだ。
 カキーン!
「甘い甘い!」
 輝之真は、そう叫びながら、刀の力をすっと抜き、相手のバランスを崩すと、倒れかかる相手から、身体をかわして、わき腹に刀を突き立てた。
「ぐわーっ!」
 輝之真は、そいつのざっくり切れたわき腹から、刀を抜く。
「さあ、つぎはどいつだ!」
「つ、強いぞ、こいつ!」
 雑魚キャラの一人が叫ぶ。
「当たり前だ! 弱くてどうする!」
 それはそうなのであった。
「くそーっ、雑魚をなめるなよ!」
 果敢に襲いかかってくる雑魚。
 輝之真は、両手で持っていた刀を片手だけで持ち、左の相手の刀を刀で受け止め、右のヤツは、顔面をぶん殴った。もはやルールはない。輝之真は、そのままくるりと回転して、左のヤツを斬り倒すと、今度は床にゴロンとでんぐり返しをしながら、集まっていた雑魚の足を、三人ほど、切り裂いた。
「ぐわーっ!」
 輝之真の動きは止まらない。
 そのまま、腕立て伏せをするように両手で身体を支えながら、腰をひねって、まだ無傷の雑魚を、二人ほど蹴り倒す。そして、曲芸師のように一回転しながら立ち上がると、呆気に取られていた雑魚の首筋に刀を突き立てた。
「ぐえーっ!」
 首から血しぶきをあげて倒れる雑魚キャラ。
「おーい、輝之真!」
 邦四郎が叫んだ。
「張り切るのはいいが、おめえ、すでに時代劇じゃねえぞ、そりゃ!」
「はあ、はあ……」
 さすがに、息が上がってきている輝之真。
「たしかに…… ふう、ふう…… 本格アクションは、しんどいぜ」
 うん。書くのも疲れました。
「お疲れのとこ悪いけどよ、輝之真! ここはオレに任せて、おめえは、秋穂をなんとかしてこいよ!」
 邦四郎が叫ぶ。
「そ、そうだった。つい大立ち回りに夢中で、秋穂を忘れておった」

 そのころ、秋穂たち。

「ど、ど、ど、ど、どーるんだ秋穂!」
 千亭が、どもりながら叫んだ。彼らもまた、斬られ役者たちに囲まれていたのだ。
「ど、ど、ど、どーしましょ、千亭さん」
「どーしましょって、自分でまいた種だぞ!」
「わたし、園芸って得意じゃないんですけどぉ」
「ああ、この期に及んでも、噛み合わない会話が心地よい!」
「変わった趣味じゃな、千亭」
 まだ、風呂場の窓から顔を出している菜々姫であった。
「余計なお世話です! そんなことより姫様! 見てないで、こいつらに、物騒なことしないように言ってくださいよ!」
「そう言われてものう。わらわも、囚われの身ゆえ。血に飢えたこヤツらが、わらわの言うことを聞くとは思えんぞよ」
「ぞよって、あんた…… 囚われながら、ヒノキ風呂に入ってるお人が、なにを申されますかーっ!」
「わらわは特別じゃ。ほほほ。そんなことより、しかと秋穂を守るのじゃぞ、千亭」
「わたしゃ、ただの絵描きですってば!」
「えーい!」
 と、斬られ役者が叫んだ。
「さっきから、なにゴチャゴチャ言ってやがる! 絵描きだか忍者だかしらんが、無駄口叩く暇があったら、念仏でも唱えやがれ!」
「ひええええっ」
 震え上がる秋穂と千亭。
「おおーっ。斬られ役者のくせに長いセリフじゃのう。果報者じゃ」
 菜々姫はパチパチと拍手。なんだか人ごとかも、この人。
 だが、本気の斬られ役者たちは、じりじりと、秋穂たちとの距離を詰めてきた。
「いやーっ、もうダメ。秋穂、一巻の終りだわーっ! 輝之真様のバカーッ! スケベオヤジーッ!」
 と、秋穂が叫んだときだった。
「だれがバカでスケベオヤジだって?」
 その声に、斬られ役者たちが、一斉に振り返る。
 そこには、返り血を浴びた輝之真が立っていた。
「うわっ、こいつ、時代劇なのに、返り血を浴びてやがるぞ!」
 雑魚が叫ぶ。
「ハリウッド映画と間違えてんじゃねえのか? えげつねえなあ」
 べつの雑魚も言う。
「どいつもこいつも、時代劇時代劇と言いやがって」
 輝之真は、こめかみに血管を浮き上がらせながら刀を構えた。
「もう我慢ならん。たたっ斬ってやる!」
「きゃーっ!」
 と、秋穂が黄色い声をあげた。
「輝之真様、カッコいい! ああ、この秋穂を命をかけて、助けに来てくださったのですね! すてき!」
 さっきと言ってることが違うぞ秋穂。
「あーっ!」
 と、菜々姫が叫んだ。
「秋穂ずるい! 輝之真に助けられるのは、わらわの役なのじゃ! 輝之真! 助けるのは、わらわじゃぞ! わらわを忘れるでないぞよ!」
 だが、肝心の輝之真は菜々姫の声を聞いていなかった。というか、そういう場合ではなかった。
 カキーン!
 斬られ役者たちと、刀を打ちつけ合う輝之真。
「くそーっ、いったい何人いやがるんだ、雑魚キャラども!」
 いいかげん、体力の限界が近い輝之真であった。
「がーっはははは!」
 笑い声を上げる雑魚キャラ。
「ほれほれ、息が上がってきてるぞヒーローさんよ。年は取りたくないものよのう!」
「う、う、うるせえ! わたしはまだ若い! 千人だろうと二千人だろうと、まとめてかかってきやがれ!」
「主人公だと思っていい気になるなよ! オレら、本気でやるぜ!」
「わたしは!」
 バシュッ!
「主人公では!」
 ズバッ!
「なーい!」
 カキーン!
 雑魚を切りつけながら、輝之真は叫ぶ。
「なにぃ、じゃあ、だれが主役なんだよ!」
 と、雑魚キャラ。
「今回は、菜々姫様が主人公だ! そのはずだ! たぶん!」
 カキーン! バシュ!
 輝之真は、じゃんじゃん雑魚キャラを斬っていくが、それにもまして、じゃんじゃん雑魚キャラが大部屋から供給されて、いつ終わるともしれない死闘は続くのであった。大丈夫か輝之真。あんまり無理するなよ。マジで、明日筋肉痛だぞ。と、心配せずにはいられない作者であった。

 それはそうと、菜々姫。

「ほれ、聞いたかえ、秋穂」
 得意満面の菜々姫。
「やはり、わらわが主人公じゃ。ヒロインじゃ。輝之真が認めておるぞよ」
「はいはい。わかってますよ」
 秋穂は肩をすくめた。
「あーあ。やっぱり、いい男はヒロインのモノなのね。ガックリ」
「まあ、気を落とすでない。輝之真と邦四郎はわらわのモノじゃが、おぬしも、がんばれば、いい男ゲットできるかもしれぬぞよ」
「え~っ。あの二人以外に、いい男なんか出てましたぁ?」
 秋穂が言うと、千亭が秋穂の肩をチョンチョンとつついた。
「なによ、千亭さん」
 千亭は、なにも言わず、ただ自分を指差していた。
「ほほほ。千亭も、なかなか悪くないルックスじゃぞ。どうじゃ秋穂」
 と、菜々姫。
「うーん…… そういえば、そうかもね。千亭さんでもいいか。このさい」
「このさい?」
 と、千亭。
「やっぱ、あれですか、消去法ですか、オレは?」
「あはは。男が細かいこと気にしちゃダメですよぉ」
 というかね、きみたち。この小説に登場した目的忘れてない? と、作者はキャラたちに問いかけたが、だれも聞いちゃいないのだった。
「さて、こうしてはおれんぞよ。そろそろ着物に着替えて、輝之真に助けられるのを、しおらしく待つのじゃ。ふと気づけば、わらわは、裸のままじゃったんじゃなあ。よく湯冷めしなかったものじゃ」
 菜々姫は、いそいそと風呂場から出ていった。


13


「ふいい」
 邦四郎は、汗を拭った。
「なんとか、片づいたぜ。千人近く斬ったな」
 こいつも、明日、筋肉痛になるかもしれないお年ごろであった。
「しかし、ここの雑魚どもの数が減ったのが気になるな。まさか、輝之真のほうに、集まってるんじゃねえだろうな」
 邦四郎は、ちょっと考えてから言った。
「集まってるんだろうなあ。今回、あいつ、虐められキャラだから。おいたわしや」

 そのころ、輝之真。

「だ、だれかに、はあ、はあ、同情されている気が、ふう、ふう、する」
 輝之真は、肩で息をしながら、眉間にしわをよせた。
「へへへ」
 相変わらず、ごまんといる雑魚キャラの一人が不敵に笑う。
「同情どころか、そろそろ葬式の心配をしたほうがいいぜ、ヒーローさんよ」
「むう…… 斬っても斬っても沸いて出てきおって。さすがに疲れた。おぬしらには、節操というものはないのか」
「かーっ。これだからヒーローは気に食わねえんだ。絶体絶命のピンチになっても、命乞いどころか、カッコいいセリフをしゃべろうとしやがる!」
「じゃあなにか。助けてくれと言ったら、助かるのか、わたしは?」
「んなわけ、ねーだろ」
「そりゃ、残念だ」
 輝之真は、苦笑いを浮かべた。
「輝之真様!」
 と、秋穂が叫ぶ。
「がんばってくださいよーっ。菜々姫様が待っておられますよ!」
「菜々姫か……」
 ふっ、と自虐的に笑う輝之真。
「ひと目、お会いしたかったが…… それも、かなわぬ夢か」
「なんか、ハードボイルド入ってますな、輝さん」
 と、千亭。
「これはコメディ小説だってことお忘れなく。江戸時代にはバーボンもコーヒーもございませんぞ」
 と、そのとき。
「その通りだぜ!」
 待ってましたの、邦四郎登場!
「なにブルー入ってんだよ、輝之真! おいらを忘れてもらっちゃ困るぜ。ちゅうわけで、不本意だか、助けに来てやったぞ! ありがたく思え」
「助けなどいらん! と、言いたいところだが、ちょっと助けてもらってもいいかな」
「カッコつかねえなあ、おめえもよう。やっぱコメディだな」
「うるさい。もうヘトヘトだ。千五百人は斬ったぞ、マジで」
「オレより五百人多いな。そこで休んでろ。最後はオレがカッコよく決めてやるからよ」
「勝手にしろ」
 輝之真は、その場にへたり込んだ。やはり、慣れないアクションなどやるものではないと、つくづく思う輝之真であった。ちょっと休んでもいいよね。

 だが! この世界の神様は、とーっても意地悪なのであった!

 カキーン!
「どわっ!」
「ぐわっ!」
「ぎえーっ!」
 と、雑魚をなで斬りにしていく邦四郎を、輝之真は、ぼんやり見ていた。さすがに、このままだとヒーローの座を奪われるかなあ。ヤバイかなあ。と、輝之真が思い始めたころ。
「ほう。派手にやっておるな」
 と、声がして顔を上げた輝之真は、その人物を見て驚いた。
「げっ! シグマ2000さん!」
「徳一だっちゅーの!」
 シグマ2000こと、徳一は、こめかみに血管浮き上がらせながら叫んだ。
「どうも、おこんばんは。山路でーす」
「げげっ、山路さんまで。それにしても、軽い登場の仕方ですな」
「まあ、そう言いなはんな。本来はわて、関西漫才系のキャラですねん。しかし輝さんも、えろう、しんどい小説書いてはりますなあ」
「あなたの設定にあった、関西弁をしゃべるバクチ打ちってのが、一番しんどいですよ。関西弁は書けません」
「いま、書いてはるやないですか」
「これが限界です。江戸弁に戻ってください」
「うむ。わかり申した。で、輝之真殿。ここで邦四郎殿にヒーローを譲ってもよろしいのですかな?」
「よろしかないですよ」
「だったら、立ちなはれ。わてが…… いや、わたしが相手をして進ぜよう」
「こういうのはどうですか山路さん。あんたが邦四郎を斬ってですな、その隙に、わたしが菜々姫を助けて、一件落着ってのは」
「こらーっ!」
 と、徳一。
「話が終わってしまうではないか! 輝之真、真面目にやらんかい!」
「そうですよ、輝さん」
 と、山路。
「わてが、さんざん苦労して、菜々姫様を座敷牢に閉じ込めた…… っていうか、入っていただいたんですぞ」
「あっ、そうなの?」
「いやはや、あの人、完全に姫になりきってますぞ。キッチリ助けないと、輝之真殿、菜々姫にぶん殴られますぞ。やだなあ。痛いだろうなあ。怖いなあ」
「わ、わかりました!」
 輝之真は、それまでの疲労はどこへやら、あわてて立ち上がった。
「では、山路殿。一手お手合わせを!」
「ふふふ。やっぱりコメディのキャラですなあ」
「一言多いですぞ、山路殿。いざ!」
「ふむ。では、まいる」
 山路も刀を構えた。
 すると。
「先生! 山路先生だ!」
 雑魚たちが騒ぐ。
「いやあ、さすが先生だ! いいところで登場なさる! そいつに、引導渡してやってくださいよ!」
「ふふふ」
 山路はニヤリと笑った。
「話の展開上、最後は斬られるとわかっていても、やらねばならないこの刹那。まさに悪役の美学。滅びゆく者の美しさ」
 うんうん。と、山路のセリフにうなずく、シグマ2000こと、徳一であった。さらに徳一は山路のセリフに感じ入ったのか、部下たちに言う。
「山路先生が、本気を出しなすったぞ。みなの者、拍手じゃ」
 雑魚たちが、一斉に拍手。
「悪役の鏡だぜ! カッコいい山路先生!」
「あらぁ」
 と、秋穂。
「山路さんもカッコいいわぁ。秋穂、困っちゃうぅ」
「これこれ」
 と、千亭。
「オレを忘れちゃイカンよ。ただでさえ、影が薄くなってきてるんだから」
 勝手に言ってなさい。
「輝之真!」
 邦四郎が叫んだ。
「なんだか知らねえが、雑魚は任しとけ!」
「もとより、そのつもりよ!」
 カキーン!
 輝之真は、山路と斬り結んだ。
「ほほう。さすがは、ヒーローを名乗るだけのことはある。腕が立つな」
 山路は、輝之真の刀を受けながら不敵に笑う。
「そっちこそ、元はただのバクチ打ちのくせに、なかなかやるな」
「ふん。いまでは、柳生石舟斎直伝の、剣の使い手よ。あの世に行っても、恨むでないぞ、輝之真」
 だんだん、というか、いまごろ、悪役が板についてきた山路であった。
 カキーン! カキーン!
 輝之真と山路は、見物する雑魚たちの前で、剣を交え続けた。が、この戦いは、それほど長く続かなかった。
 キーン!
 なんと、輝之真の刀が折れてしまったのだ。
「あーっ!」
 と、輝之真。
「やっぱ、ニセ物はダメだなあ。山路さん、ちょっとタンマ。おーい、大道具さん! 予備の刀持ってきて!」
「甘いわ! 大道具さんなんかいるわけないだろ!」
 山路は、輝之真の言葉を無視して、斬りかかった。
「どわっ! タンマって言ってるジャンか!」
「ジャンなんて、東京モンの言葉を使うなーっ! わたしゃ、ジャンって言われんのが、一番ムカつくんじゃーっ!」
「あらら。輝のバカ。山路さんの、スイッチ入れちゃったよ」
 邦四郎が言った。
「輝之真。がんばれよーっ。刀なしで、なんとかしろよーっ」
「みなの者!」
 と、徳一が叫んだ。
「その、スットコドッコイも捕らえよ! マヌケ忍者も、謎の春画描きも、まとめて捕まえるのじゃーっ!」
「げっ。今度はオレかよ!」
 矛先を向けられた邦四郎。輝之真と背中を合わせて立ちすくんだ。
「やべえ、やべえ。おい輝之真。ここは一旦退却だ。さすがに分が悪いぜ」
「うむ。刀もないことだし、致し方なかろう」
 ところが。
「逃げられると思ったら、大間違いやでえ、二人とも」
 山路が輝之真たちに迫る。
「うわっ。どーすんだよ、輝之真。なんとかしろよ、こいつ。おめえの責任だぞ」
「ううむ。理不尽な言われようだが、しょうがない。邦四郎、山路はなんとかするから、おまえ、秋穂を連れて、先に行け!」
「わかった。心おきなく死んでくれ」
「だれが死ぬか!」
「ははん。殺したって死なねえヤツが、怒るんじゃねえよ。じゃ、先に行ってるぜ!」
 邦四郎は、雑魚キャラたちをズバズバ斬りながら、秋穂のところまで駆け寄った。
「おう。おめえが秋穂か。お初にお目にかかるぜ」
「きゃっ。邦四郎さんだ! うれしーっ! お会いしたかったですぅ」
 カッコいい男は、みんな好きな秋穂であった。
「マヌケ忍者なんて言うから、どんなのかと思ったが、カワイイじゃねえか」
「いやん。邦さんったら」
 ポッと頬を染める秋穂。
「主役級キャラは、モテていいですなあ」
 羨ましそうな千亭。
「どうせ、あたしなんか、ただの春画描きですよ。ええ、そうですとも」
「だれでい、おめえは? なんて、世間話してる場合じゃねえな」
 邦四郎はそう言うと、秋穂をヒョイと背負って、屋敷の外に向かって、一目散に駆けだした。
「わーっ、待てくれ、オレも助けてくださいよーっ!」
 千亭も、邦四郎のあとを追い掛けた。おお。けっこう逃げ足早いぞ、千亭さん。
「逃がすな!」
 徳一が叫ぶ。
 だが、倒れた雑魚キャラから刀を拾った輝之真が、邦四郎たちを追おうとする雑魚キャラたちの前に立ちふさがった。
「そうはさせるか!」
 カキン、カキン、カキン!
 輝之真、果敢に戦う。
 だが、ただでさえ疲れているところに、山路の相手もしなければならず、さしもの輝之真も、足がもつれてくる。
「ううむ。そろそろ限界。菜々姫。申し訳ない。ここは一旦、引かせていただきますぞ」
「逃がさないと、言っておろーが!」
 カキーン!
 山路は、またまた、輝之真の刀をポッキリと折った。
「わーっ! 山路さん、そりゃないよ!」
「いまじゃ! とっ捕まえろ!」
 徳一の言葉で、雑魚たちが、一斉に輝之真に被いかぶさった。
「ぎゃーっ!」
 さすがの輝之真も、ただ叫び声を上げるだけであった。
 ああ、やっと終わったぜ、この大立ち回り。作者はホッとしたのだった。


14


「ひい、はあ、ひい、はあ」
 邦四郎は、息を切らしながら、背負っていた秋穂を下ろした。
「ここまで逃げりゃ、もう大丈夫だ。それにしても疲れたぜ。まったく」
 そこは、毎度(?)御馴染み、邦四郎の住んでいる長屋であった。
「おう。なんだい邦さんじゃないか!」
 邦四郎は、ふいに声をかけられて、ギクリとなった。だが、すぐその声の主が同じ長屋に住む熊さんだとわかってホッとする。
「なんだよ、熊。脅かすんじゃねえよ」
「へへへ。可愛い子なんか連れてるから、ビクビクすんだよ。お清さんにバレても知らねえぞ」
「こら。これには深いわけがあるんだ。変な噂広めたら、ただじゃおかねえぞ」
「へいへい。わかってるよ。で、おいらは、なにをしたらいいんだい?」
 熊さんは、ウキウキしながら聞いた。
「なにって…… 帰って寝りゃあいいだろ」
「おいおい。そりゃねえよ邦さん。プロローグで、一発ギャグかましてから、ずっと出番がなかったんだぜ。おいらにもなにかさせてくれよ」
「バカ野郎。長屋の熊さんなんて役で、なにをやらかそうってんだ」
「ひでえなあ…… まさか、おいら、これだけかい?」
「これだけだ」
 邦四郎は、シッシッと犬を追い払うように、森の熊さんこと、長屋の熊さんを追い払った。
「あの~、ここって、邦さんの長屋ですか?」
 秋穂が聞く。目の前の引き戸の隣に、〈たまわりてソウロウ〉という看板が掛かっていたからだ。
「おうよ。まあ、汚ねえとこだけど、入ってくんな」
「きゃーっ! ここが〈たまわりてソウロウ〉の舞台なんですね! 千亭さん、カメラ持ってない? 記念撮影しなきゃ!」
「おう。ちょっと待ってな秋穂」
 千亭は、懐から、使い捨てカメラを取り出した。
「ほれ、秋穂。看板の隣に立ちな」
「はーい。カワイク撮ってね」
「可愛い子はより可愛く。可愛くない子は、それなりに」
 パシャッ。
「邦さん、邦さん。一緒に入ってください」
 秋穂が、邦四郎の腕を引っ張った。
「だーっ! おめえら、観光してんじゃねえよ! ここは日光江戸村じゃねえぞ!」
 すると。
「ちょいと、表でなに騒いでんだい?」
 引き戸がガラッと開いて、中からお清が出てきた。
「わーっ。お清さんだ。美人! 初めまして。わたし秋穂です。〈たまわりてソウロウ〉楽しく読ませていただきました」
「へ? なにそれ? なんのこと?」
「ちょいと、パラレルワールドから来た、お客さんだ。気にするなお清」
「なんだかよくわかんないけど、中に入っておくれよ。寒くって風邪引いちゃうよ」
「はーい。おじゃましまーす!」
 いつも元気な秋穂。
「ごめんつかまつる」
 千亭も、あとに続く。

 そのころ、哀れな輝之真は……

 徳一は、きっちりガッチリ、輝之真を縄で縛りあげていた。
「気分はどうだ。ん、輝之真?」
「悪党め。こんなことをして、ただで済むと思っているのか?」
「うはははは。ただで済むわけなかろう! わたしゃ商人だよ。キッチリ、儲けさしていただきやす」
「菜々姫で金儲けをするつもりか? バカなヤツだ。どうせ、身代金でも要求するつもりなんだろうが、そんなことをしてみろ、尾張藩どころか、幕府も黙ってはおらんぞ」
「ちっちっちっ」
 徳一は舌を鳴らした。
「もっと手っ取り早く金を作る方法があるんだよ」
「ほう。どんな手口を思いついた?」
「聞いて驚くな…… おっとっと。その手には乗らねえよ。だれがベラベラしゃべるもんかい」
「ふん」
 輝之真は、今度は山路を睨んだ。
「こら。澄ました顔で、用心棒なんぞに納まりおって。あんた、良心の呵責はないのか」
「ふふふ。わたしは、悪に目覚めたのだ。悪役って、気持ちいいぞぉ」
「ダメだこりゃ……」
 輝之真は、やれやれと首を振った。
 徳一が、部下の雑魚に言う。
「おい。こいつを、菜々姫の牢屋に入れておけ」
「えーっ!」
 雑魚が驚いた。
「旦那様! そりゃマズイですよ!」
「なんでじゃ?」
「だって、こいつヒーローですよ。主役級キャラですよ。いま殺しとかないと、あとでやられますって。ね、だから、いま殺しましょうよ」
「バカモン! それじゃ読者が納得せんだろうが!」
「読者?」
「ゴホッ、ゴホッ。とにかく、いまは生かしとくの! それが悪役の正しいあり方ってもんだろうが!」
「いいんですか? あとで、痛い目、見させられますぜ」
「うるさい。黙れ。言うことを聞け」
「まあ、旦那様だそういうならいいですけどね。それにしても、菜々姫と同じ牢屋に入れるってのは、ご都合主義すぎやしませんかい?」
「いいから、言うとおりにしろってばよ! 時代劇は、ご都合主義以外の何モノでもねえだろうが!」
「まあ、たしかに、そうですけどねえ」
 雑魚キャラは、やれやれと、肩をすくめた。

 んで、邦四郎の長屋。

「ふいいい」
 邦四郎は、お清の入れたお茶で、一服ついていた。
「さんざんな目にあったぜ」
「けっきょく、姫様は助けられなかったんだねえ」
 と、お清。
「まあな。でもすぐにリベンジだぜ。なあ、輝之真」
 返事はない。
「あれ? 輝之真の野郎、どうしやがったんだ?」
「えーっ、邦さん知らなかったんですかぁ?」
 秋穂が言った。
「輝之真様、捕まってましたよ」
「なにぃ! おめえ、見てたんかい!」
「ええ。おんぶされながら、振り返ったら、捕まってましたぁ」
「あちゃ~。あのバカ。てめえが捕まってどうするってんだよ」
「邦さん、そんなこと言わないでくださいよぉ。輝之真様ったら、わたしたちを追い掛けてくる雑魚キャラさんたちと戦ってくれたんですよ」
「うむ」
 と、千亭。
「口は悪いが、なかなか見上げた役人じゃ」
「あれまあ」
 と、お清。
「それにしても、輝之真様が捕まるなんて、よっほど、守りが堅かったんだねえ」
「まあな」
 邦四郎は、おもしろくなさそうに答える。
「オレは、千人近く斬って、あいつも千五百人は斬ってるな」
「すごーい。いったい、何人いるんだい、その屋敷?」
「さあな。一万人ぐれえいるんじゃねえか、あの調子じゃ。それにしても、あのバカ野郎までとっ捕まるとはなあ…… 困ったモンだぜ」
「うふふ。おまえさん、本当は心配なんでしょ?」
「はあ? だれが、あんなヤツの心配なんかするか。手間が増えて頭にきてるだけだ」
「またまた、意地張っちゃって」
 お清は、クスッと笑った。
「でもね。あたしゃ、おまえさんの、そういうカワイイところが、大好きなんだけどね」
「バカ。気持ち悪りいこと言うなって」
 とか言いつつ、まんざらでもない顔の邦四郎。
 ラブラブなのであった。新婚なのであった。
「いいなあ…… 新婚さんだぁ」
 羨ましそうな顔の秋穂。
「秋穂。わたしがいるではないか」
 千亭が、すかさず、秋穂の手を握る。
 パカーン!
 いい音がした。邦四郎が、千亭の頭を殴ったのだった。
「いった~っ」
 頭を抱える千亭。
「こら、オッサン。ひとんちで、ナンパしてんじゃねえよ」
「だれが、オッサンだ、だれが! オレは邦さんより若いんだぞ!」
「へえ。そうかい」
「だいたい、秋穂は、邦さんの管轄外だろうが! ナンパしてどこが悪い!」
「うるせえ。可憐な少女を狼から守るのも、この邦四郎様の仕事でい」
「うわっ。すっごい屁理屈」
「うるせえな。それより、てめえは何モンなんだよ?」
「うむ。拙者は謎の浮世絵師でござる」
「また、自分で謎とか言うバカが出てきたぜ」
「うっ…… あんた輝之真殿より口が悪うござるな」
「あいつより、手癖は悪くねえぜ。で、いってえ、どこが謎なんだ。え、言ってみろ」
「ふふふ。聞いて驚くなかれ。謎の浮世絵師とは、世を忍ぶ仮の姿。はたして、その実態は……」
「わたし知ってまーす!」
 秋穂が手を挙げた。
「じつは、隠密同心なんですよね!」
 ガクーッ! と、ズッコケる千亭。
「こ、これ秋穂。人のセリフを取るでない。だいたい、なぜ知っておるのじゃ」
「だって、この小説の人物設定表にそう書いてありましたもん」
「また、おぬしは、そうやってネタバレ発言を……」
 頭を抱える千亭。
「輝之真が苦労したのもわかるってもんだなァ」
 邦四郎も苦笑い。
「あら。秋穂ちゃん、カワイイじゃない。あたしゃ好きだよ」
「お清姉さん、優しいわぁ」
「うふふ。お姉さんだなんて。もっとこっちにお寄りなさいな、秋穂ちゃん」
「はい。お姉様」
「こらこらこら。二人で怪しい雰囲気かもし出してんじゃねえよ」
 邦四郎が、あわててお清と秋穂の間に割って入る。
「事あるごとに脱線しますな、この小説」
 と、千亭。
「おめえも、冷静に分析してんじゃねえよ! ああ、いかん。めまいがしてきた。こりゃ、さっさと輝之真助け出して、こいつら押しつけちまわねえと、身が持たねえ」
「わぉ! 助けに行くんですね!」
 秋穂が目を輝かせる。
「やったぁ! またアクションシーンだわ! うふふ。戦う男ってすてき」
「だとよ、千亭。おめえも戦うか?」
「いや、その、拙者は…… ははは」
 そのとき。
「ごめんつかまつる」
 ガラッと引き戸が開いて、丹生のジイさんが入ってきた。
「おお。邦四郎殿。お戻りになられましたか。なんじゃ、秋穂もおったのか」
「丹生様。今夜は大変だったんですよぉ」
「ほほほ。そうじゃろうとも。して、邦四郎殿。姫君は、無事助け出していただけましたかな?」
「いやそれが、見てのとおりだ。いろいろあって、助けたのは、この秋穂と、謎の浮世絵師こと、隠密同心(自己申告)のオッサンだけだ」
「なんと! 邦四郎殿ともあろう御方が…… はて? 謎の浮世絵師こと、隠密同心(自己申告)ですと?」
 丹生のジイさんは、千亭に視線を走らせた。
「む? むむむ?」
 じーっと千亭を見る丹生。千亭は、ギクッとなって、顔を背けた。
「あーっ! あ、あ、あ、あなた様は!」
 突然、丹生ジイさんが叫ぶ。
「わっ、バカ!」
 千亭は、あわてて丹生の口をふさぐと、そのまま台所の隅に連れていって、耳元でひそひそひそと、何事か丹生に告げた。
「なんでいありゃ?」
 邦四郎が秋穂に聞く。
「さあ?」
 秋穂は、ハテナマークを浮かべながら、首をかしげた。

 はてさて、そのころ輝之真は?

「大人しくしてやがれよ!」
 ごろん。と、輝之真は座敷牢に放りこまれた。
「いててて」
 輝之真は、縛られていた腕をさすった。
「輝之真!」
 とたん。輝之真は菜々姫に抱きつかれた。
「やっと、来てくれたのじゃ! わらわは、待ちくたびれたのじゃ!」
「わわわっ!」
 輝之真は、あわてて菜々姫から離れると、おでこを床に押し当てるぐらい平伏した。
「こ、この度は、菜々姫様のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じたてまつります!」
「これ。なにを堅苦しい挨拶しておるか。表を上げい」
「ははっ。ありがたき幸せ」
「なんじゃ、なんじゃ! 輝之真、ずいぶんやつれておるぞ! どうしたのじゃ?」
「ははっ。恐れながら、菜々姫様に申し上げます。こたびは、菜々姫様をお助けに参ったところ、不覚にもわたくしまで、捕まってしまった次第でござりまする」
 ははーっ。と、ふたたび頭を下げる輝之真。
「なんと! 輝之真も捕まったのかえ!」
「ははっ。すべては、この輝之真の不徳の致すところ。申し開きのしようもござりませぬ」
「で、秋穂はどうなったのじゃ?」
「ははっ。秋穂は、邦四郎という旗本が助けだした所存にござりまする」
「そうか。秋穂は逃げたのかえ。それならよいのじゃ」
「なんと、心優しきお言葉」
「え? わらわはただ、秋穂がここにおると、またロクでもないことが…… ゴホッ、ゴホッ。ほほほ。そうなのじゃ。わらわは、部下想いなのじゃ」
「さすがは、菜々姫様。お美しいのは、お顔だけではないようですな」
「ほーっほほほほっ! これこれ、おだてるでない。それにしても輝之真。そなたが捕まるとは、驚きじゃのう。わらわは、てっきり、このまま助けられて、大団円かと思うとったぞよ」
「わたくしも、そのつもりでござりました。不覚でござりまする」
「まあよい。話が長引くのは本望じゃて」
「話?」
「ほほほ。こちらのことじゃ。それより輝之真。もそっと、近くに寄ったらどうじゃ」
「恐れ多いことでござりまする」
「これ。輝之真。そんな堅苦しいしゃべり方もやめんか。聞いてるだけで肩が凝るわ」
「しかし……」
「いいから、普通にしゃべるのじゃ。これは命令じゃ」
「ははっ。では、失礼をば、つかまつります」
「ぜんぜん、普通じゃないのじゃ」
「わかりましたよ姫様。これでいいんでしょ」
「そうそう、それじゃ! やっと輝之真らしくなったぞえ」
 菜々姫は、うれしそに笑顔を浮かべた。
「ときに輝之真。もそっと、近こう寄れ」
「いいんですか?」
「いいと、申しておろうが」
「じゃ、失礼して」
 輝之真は、ずずいと、菜々姫に近寄った。
「うわ!」
 輝之真の顔をのぞき込んだ、菜々姫が驚いた。
「ずいぶん、殴られたようじゃな。いい男が台無しじゃぞ」
「恐れ入ります。でも平気ですから」
「強がりを言いおって。わらわのために、苦労をかけたのう。いい子、いい子じゃ」
 菜々姫は、ちょっと潤んだ瞳で、輝之真の頭を、ナデナデした。
「ど、どうも」
 複雑な顔の輝之真。
「どこか痛いところはないかえ?」
「いえ。痛みは治まりました」
「ホントかえ? ここなんぞ、青あざになっておるぞよ」
 菜々姫は、輝之真のおでこをそっと触る。
「いてっ」
 輝之真は、軽い痛みに、身体を引いた。
「あっ。ごめん」
 あわてて、手を引っ込める菜々姫。
「大丈夫です、これくらい。ちゃんと鍛えてますから」
「そうか。輝之真は強い男の子じゃのう。偉いぞよ」
「菜々姫様。もしかして、わたしを子供扱いしてません?」
「違うのじゃ。わらわのために殴られたのだと思うと、本気で嬉しいやら悲しいやらで、複雑な気分なのじゃ」
「やはり、心根のお優しい御方だ…… 輝之真。感動いたしました。この上は、命に代えましても、菜々姫様をお守りする所存でございます」
「へっ?」
 と、一瞬、目をパチクリさせる菜々姫。
「あの…… 輝之真。いまの、もう一度言ってほしいのじゃ」
「心根の優しい御方」
「そのあとじゃ!」
「はあ。えっと、命に代えましても、菜々姫様をお守りいたします」
「うわぁ」
 菜々姫は、自分を抱くように腕を組むと、くねくねと身体をくねらせた。
「ゾクゾクするぅ。一度でいいから、男にそんなこと言われてみたかったのじゃ。わらわは幸せなのじゃ。幸せ過ぎてクラクラするのじゃ」
 菜々姫は、ポワンとした顔で言った。
「な、なんと申しますか、その…… 喜んでいただけてなにより」
「苦しゅうないぞよ。もそっと近こう寄れ、輝之真」
 と、言いつつ。自分から輝之真の近くに寄る菜々姫。
「いやその、こうなったら菜々姫様。なんとか、ここを抜け出しましょうぞ」
 輝之真は立ち上がった。
「これ、輝之真。無理をしてはいかんぞよ」
「平気です」
「いかんと言ったら、いかんのじゃ。よいから、座れ」
「はあ」
 輝之真は、座敷牢の鍵を調べたかったが、菜々姫に言われて、渋々座った。
「のう、輝之真」
 急にしなを作る菜々姫。
「なんだかんだ言って、二人っきりじゃのう」
「そうですな。恐れ多いことでございます」
「これ。また、そんな言葉を使う。命令違反じゃぞ」
「すいません」
「今夜は、ずいぶん疲れたであろうな」
「まあ、それなりには。ですが、すっかり回復いたしました」
「じゃが、疲れておるじゃろ?」
「いえ、回復いたしました」
「いいや、疲れておるじゃろ。疲れておるのじゃ。疲れていると言うのじゃ!」
「は、はあ…… まあ、疲れております」
「そうじゃろうとも。うんうん。疲れたときは、身体を休めるのが一番じゃ。風呂に入るかえ?」
「風呂? 囚われの身で風呂に入るなんぞ、めっそうもない!」
「なんか引っかかる言い方じゃが、まあよい。それなら、横になって身体を休めるとよいぞよ。おや? よく見れば、布団が敷いてあるではないか!」
 菜々姫は、座敷牢の奥を見ながら言った。
「さささ、輝之真。布団で横になるのじゃ」
「い、いえ、菜々姫様、わたしは大丈夫ですから!」
「大丈夫じゃないのじゃ! 言うことを聞くのじゃ」
「しかし……」
「命令じゃ!」
「うっ……」
 輝之真といえども、天下の宝刀〈命令〉という言葉には逆らえない、悲しい小役人であった。
「で、では、失礼つかまつります」
 輝之真は、早く逃げ出さなきゃいけないのになァ。と、心の中でぶつぶつ言いながら、布団の上で横になった。
「どうじゃ。休まるかえ?」
「はい」
「寒くないかえ?」
「いえ、ぜんぜん」
「そうか、寒いかえ。それはいかんのう」
「いやだから、寒くないです」
「寒いのじゃ!」
「はい…… 寒いです」
「そうじゃろう。こんな座敷牢じゃからなあ」
「ですから、早く逃げ出しましょう」
 輝之真は、上半身を起こそうとした。
「これ。寝ておれというに」
 菜々姫は、輝之真を押し戻す。
「ああ、可哀想な輝之真。こんなに身体が冷えておる。なんとかせねば」
「あの…… 姫様。なにをお考えですか?」
「バカ。女の口から言わせるでない」
「ですがその……」
「わかっておろうに。イジワルじゃな」
 菜々姫は、ちょっとスネたように輝之真を見た。
「あああ」
 輝之真は、菜々姫のなんとも小悪魔的表情を見て、血液の循環が脳細胞から下半身に移っていくのを感じた。
「い、いかん。理性が、どこかに飛んでいってしまいそうだ」
「これ。なにを、うろたえておる」
 菜々姫は、クスッと笑った。
「冷えた身体を温めるのは、肌を重ねるのが一番じゃ。わらわの肌は暖かいぞえ」
 そう言って菜々姫は、自分の着物の帯に手を伸ばした。
「あいや、しばらく!」
 輝之真は、とっさに菜々姫の手を握る。
「きゃっ。輝之真、積極的じゃな」
「違います!」
 輝之真は、あわてて、手を離した。
「菜々姫。こんなことをやってる場合じゃないですぞ! 一刻も早くここから逃げださねば、大変なことになるような気がするのです!」
「わらわのほうが大変なのじゃ。このラブリーでピュアなハートに火がついちゃったのじゃ。ボヤどころか、大火事になりそうじゃ。輝之真のせいじゃぞ」
「あわわ。それはその、嬉しいのですが」
「うふふ。放火は重罪じゃぞ。覚悟するとよいぞ」
「あわわわ。ダメです姫様! 徳一がなにを考えているのかわからない以上、ここに留まるのは危険なのです!」
「そうかえ?」
「もちろんです! 菜々姫様。あなた様は徳川御三家の姫君なんですぞ。利用価値はいくらでもございます。徳一が金を儲けて得意になっている顔はもちろんですが、わたしは姫様の悲しむ顔だけは、見たくないのです。菜々姫様は、笑顔こそ美しい」
「ああ…… 輝之真。そちは口がうまいのじゃ」
「真実を申し上げているのみ」
「うひゃあ、よく言えるのう、そんなセリフ。でもステキなのじゃ。女心をくすぐるのじゃ。わらわはもう、なんでも輝之真の言う通りにするのじゃ。良きに計らうのじゃ」
「ありがたき幸せ」
 輝之真は、さっと立ち上がると、座敷牢の鍵穴を調べ始めた。
「むう。頑丈な鍵をつけおって」
 それは、輝之真が言う通り、丈夫な南京錠だった。
 輝之真は、懐の中を探ったが、金属製のモノは、すべて取り上げられていた。
「なにか、鍵穴にさしこめるような物は……」
 輝之真は、座敷牢の中を見渡す。
「なんじゃ。その鍵を開けたいのかえ?」
「もちろんです」
「そんなの簡単じゃ」
 菜々姫は、頭にさしているカンザシを一本抜くと、その先を鍵穴に入れて、がちゃがちゃと回し始めた。
 ピーン!
 と、数秒で南京錠が開く。
「ひ、姫様…… なんで、そんなことが、お出来になるのでござりまするか?」
「秋穂なんぞを部下に持つと、なんでも一人で出来るようになるのじゃ」
「それはまあ、なんとなくわかる気もしますが、それにしたって、ピッキングなんて」
「ピッキング?」
「いかん。つい英語が…… つまり、鍵開けのことです」
「だって、秋穂ったら、すぐに鍵を無くすのじゃ。何本、予備の鍵を作っても全部無くすのじゃ。じゃから、自然と出来るようになったのじゃ」
「ご苦労なさっておいでですねえ」
「そうなのじゃ。心根はいい子なのじゃが、ちとマヌケでのう」
 ヘックション。とクシャミをしている秋穂だったが、まあ、それはそれとして。
「なんにしても、素晴らしい芸でございました。さあ、逃げ出しましょう」
「うふふ。愛の逃避行じゃな。ワクワクするのじゃ」
「シチュエーションが違うでしょうが! 逃避行ってのは、世間の目を逃れて…… って、菜々姫様。わかって言ってますな」
「うふふ。輝之真をからかうのは、楽しいのじゃ」
 菜々姫はクスクス笑った。
「それのどこが、愛ですか」
「好きな子はイジメたくなるのじゃ」
「わたしはもう、子供じゃありませんよ」
「男なんて、女から見ればいくつになっても子供なのじゃ」
「含蓄があるような、言いくるめられてるだけのような…… などと、考えてる場合ではござらんな。ささ、姫様。逃げましょうぞ」
 輝之真はそう言って、座敷牢を開ける。
「うむ。苦しゅうない。手を取らすぞよ」
 菜々姫は、右手を差し出した。
「ははっ。ありがたき幸せ」
 輝之真は、菜々姫の手を握った。

 さてさて。邦四郎たちは?

「いや、失礼つかまつった」
 丹生となにか秘密の話を終えた千亭が、邦四郎の前に戻ってきた。
「なんだよ。おまえら、なんの話をしてた?」
「わはは。ちと隠密同心としての、シークレットな話なんで、追求はご勘弁願いたい。のう丹生殿。そうであるな?」
「ははーっ! おっしゃるとおりでござりまする!」
 丹生は、妙にかしこまって千亭に答えた。
「なんなんだ、おまえら?」
 邦四郎と秋穂は、ハテナマークを浮かべる。賢明な読者様は、なにかピンと感づかれたかもしれないが、詮索は無用に願いたいモノである。どうせコメディなんだから。
「まあいい」
 と、邦四郎。
「とにかく、輝之真…… じゃなくって、菜々姫救出作戦の仕切り直しだ。早速行くぜ」
「えっ、いまからすぐ行くんですか?」
 と、秋穂。
「おうよ。まさか、逃げたばっかで、すぐに戻ってくるとは、やつらも思うまい。油断しているいまがチャンスだ」
「何気に〈チャンス〉とか、英語を使ってるのに、若干の問題を感じるが、まあ邦さんの言う通りだろう」
 と、千亭も賛同した。
「よっしゃ。そうと決まったら、出かけようぜ!」
 邦四郎は、勇んで立ち上がった。


15


「菜々姫様。わたしから、離れぬように」
「うん。離れないのじゃ。安心するのじゃ。ずっと一緒なのじゃ」
 輝之真と手を繋いで、ごきげんの菜々姫。
「菜々姫のおっしゃる、〈ずっと〉の、時間の単位が気になりますが……」
 輝之真は、そこで言葉を切った。
「なんじゃ? 時間の単位がどうしたのじゃ?」
「シッ」
 輝之真は、唇に指を当てた。
 菜々姫は、あわてて口をつぐむ。
 輝之真は、人の気配を感じて、菜々姫をかばうようにしながら、物陰に隠れた。
 すると。雑魚キャラが二人、なにやら話をしながら、廊下を歩いてくる。
「いやあ、うちに旦那様も悪どいよねえ」
 と、雑魚の一人。
「まったくだ。菜々姫を、オランダ人の身売買組織に売り渡すってんだから、並みの悪党じゃねえよ」
「しかし、売れるのかね、菜々姫?」
「見た目はカワイイから、大丈夫だろ。日本人の娘は肌のきめが細かいってんで、普通でも高く売れるけどよ、それが高貴な出となりゃ、相当な値段がつくらしいぜ」
〈菜々姫様〉
 輝之真が、ひそひそと言った。
〈ここで、じっとしていてください〉
〈なにをするつもりじゃ?〉
 菜々姫も、小声で答える。
〈あやつらを締め上げて、もっと詳しい情報を聞き出します〉
〈わかったぞよ。気をつけるんじゃぞ〉
〈お任せください〉
 輝之真は、雑魚たちが通り過ぎるのを待って、物陰から音もなく出ると、雑魚たちの首筋を空手の手つきで、ビシビシっと殴った。
「うっ……」
 と、軽いうめき声を上げただけで、雑魚たちは床に崩れた。輝之真は、雑魚の一人から刀を奪うと、着物を脱がして、猿ぐつわにする。そして、廊下の縁側の下に一人を隠し、もう一人は、菜々姫の待つ物陰に引きずっていった。
「さすがじゃのう、輝之真。頼りになりおるわ」
「このぐらいで、誉められても困りますな」
 輝之真は、苦笑いを浮かべながら、気絶している雑魚の背中のツボを、ぐいと押した。
「うっ」
 雑魚の意識が戻る。
「うわっ!」
 と、叫び声を上げようとした雑魚の口を、輝之真はとっさに押さえ、奪った刀を片手で器用に抜くと、雑魚の股間に押し当てた。
「大事な息子をちょん切られたくなかったら、静かにしろ」
 と、輝之真。
 雑魚は、うんうんとうなずいた。
 輝之真は、そっと、口から手を話す。
「いまさっき話していた内容を、もうちょっと詳しく聞かせてもらおうか?」
「わ、わたしら、ただの雑魚なんで、詳しいことはしりませんよ」
 輝之真は、袴を刀で切り裂いてゆく。
「わわわ。言います、言いますから!」
「オランダ人の人身売買組織とはなんだ?」
「ユ、ユージンってヤツですよ。表向きは貿易商で、江戸にも屋敷を持ってます」
「オランダ人の貿易商が、江戸に屋敷だと?」
「で、出島が遠いもんで、江戸に秘密の屋敷を持ってるんですよ、そのオランダ人」
「ほう。それはどこだ?」
「人形町にオカマ三兄弟がやってた、反物の問屋があったでしょ?」
「まさか、あの屋敷を買い取ったのか?」
「そうです。表向きは、うちの旦那様が買ったんですが、使ってるのは、そのオランダ人なんですよ」
「ふむ。信用できそうな話だ」
「全部ホントのことですよ。あっしだって、自分の息子は大事でさあ」
「自分がオカマになるもんな。おまえなら似合うかもよ」
「か、勘弁してくださいよぉ」
「ほかに知ってることは?」
「いま、旦那様と山路先生が、そのオランダ人に会いに行ってます。菜々姫様を売り渡す算段をしに行ったんです」
「そうか。もう聞くこともないようだな。もう少し寝ててくれ」
 輝之真は、また雑魚の首を殴ろうとした。
「待つのじゃ」
 と、菜々姫が、輝之真を止める。
「わわらにやらせて欲しいのじゃ」
 菜々姫はそう言うと、雑魚の顔面にバコーンっとストレートパンチをお見舞いして、気絶させた。
「ふう。少しスッキリしたのじゃ」
「さすが菜々姫。武術にも通じていらっしゃる」
「武術? 違うのじゃ。秋穂を守ってやらねばならぬゆえ、自然とケンカも強くなったのじゃ」
「健気だなあ、菜々姫様って!」
 ヘックション。と、クシャミをしている秋穂であったが、以下同文。


16


「ヘックション!」
 秋穂がクシャミをした。
「なんだ秋穂、風邪か? さっきからクシャミ二回目だぞ」
 邦四郎が聞いた。彼らはいま、菜々姫と輝之真の救出に向かっていた。
「違います。なんか鼻がムズムズして」
「気をつけろよ。風邪は引き初めが肝心だぞ」
「平気です。わたし、風邪って引いたことないんですよね。なんででしょう?」
 思わず、邦四郎と千亭と丹生の三人は絶句した。なんでって、そりゃ…… ああ、これ以上は書けない。
「それはそうと」
 と、邦四郎。
「なんで、丹生のジイさんまでついてくるんだよ」
「いやその……」
 丹生は、千亭をちらっと見ながら答える。
「邦四郎殿を信じてないわけじゃないのですが、わたしも菜々姫様の爺やとして、なにかお手伝いをしようかななんて、思ったりしたわけなんですわ」
「ふ~ん」
 と、疑惑の目を向ける邦四郎。
 すると。
「わかったわ、丹生様の本心!」
 秋穂が叫んだ。
 ギクギク! となる丹生。
「一緒に行った方が、自分の出番が多くなると思ってるんでしょ!」
 大きな誤解に、ホッとする丹生。
「わはははは。そーなのだよ秋穂! 見抜かれたかぁ。わははは」
「やだなあ、丹生様たら、年甲斐もなく。ぎっくり腰になってもしりませんよ」
「わははは。じつは若いから大丈夫じゃ」
「ふん」
 邦四郎は、丹生と千亭を交互に見ながら鼻を鳴らした。
「まあいいさ。そういうことにしといてやらあ」

 さてさて、輝之真と菜々姫。

「輝之真」
 菜々姫は、あたりを警戒しながら進む輝之真の背中に向かって言った。
「わらわは、ユージンとかいうオランダ人が許せんぞえ」
「わたしもです。ここを逃げ出しましたら、奉行に相談の上、引っ捕らえますゆえ、ご安心を」
「バカを申すな」
 と、菜々姫は厳しい口調で言った。
「われらが逃げ出したことは、すぐに、そのオランダ人に知れるぞよ。そうしたら逃げられるぞえ。役人のとろくさい仕事を待っている暇はないぞよ」
「心配めさるな。大岡殿なら、迅速に動いてくれます」
 この時代の奉行は大岡越前である。
「ウソじゃ。大岡とて役人じゃ。出島のオランダ商人を捕まえるには、上様にお伺いを立てねばならぬはずじゃぞ」
「むむっ」
 輝之真。思わず足を止め、菜々姫を振り返る。
「菜々姫様。するどいご指摘ですな」
「バカにするでない。そんなこと、子供でもわかる道理じゃ。輝之真。ここを出たら、すぐヤツらを退治しに行くのじゃ」
「わたしひとりで、なにが出来ましょうか」
「わらわもまいるぞよ」
「な、なにを申されますか! 姫様を連れてゆくなど、それこそ言語道断!」
「では、邦四郎も呼ぶのじゃ。そなたと邦四郎のコンビなら、無敵じゃ」
「そんなことはござりません。現に、わたしは捕まりました」
「こうして、わらわを助けてくれたではないか」
「逆に、姫様に助けられてるような気がするんですが。鍵開けとか」
「輝之真。そちも謙遜するのう。わらわが手を出さなくても、輝之真なら、自分でなんとかしたはずじゃ」
「姫様は、わたしを買いかぶっておられる」
「そんなことはないぞよ。のう、輝之真。悪党退治に行くのじゃ。いますぐに」
「いいえ。こればかりは聞けませぬな」
「なぜじゃ?」
「ですから、姫様を、そんな危険な場所に連れていけるわけがないでしょうに」
「危ないことはしないから」
「ダメです」
「見てるだけじゃから」
「ダメったらダメ」
「命令するぞよ」
「命令でも聞けませぬ」
「うーっ…… 輝之真は頑固じゃ」
「頑固はどっちですか」
「お願いじゃ、輝之真。悪党を退治するのじゃ。お願いじゃ」
 菜々姫は、うるうると、潤んだ瞳で輝之真に懇願した。
「な、な、菜々姫様。その目は、反則ですぞ!」
「わかってやっておるのじゃ」
「こ、小悪魔ですな……」
「なんと言われてもよいのじゃ。お願いじゃから、わらわの願いを叶えておくれ」
「いや、しかし……」
「聞いてくれないと、泣いちゃうぞよ」
「待ってください! それだけは、なにとぞ、ご勘弁を!」
「ダメじゃ。もう遅いのじゃ」
 ついに、菜々姫の瞳から、涙がこぼれた。
 ポロリ。
「ああ、いかん…… 理性が」
 その、あまりの可憐さに、思わず立ち眩みがする輝之真だった。
「お願いじゃ、輝之真……」
 ポロ、ポロリ。
「ダメです…… ダメなのです……」
 輝之真は、ぐっと堪える。
「嫌いじゃ。そんなこと言う輝之真なんか嫌いなのじゃ」
 クスン。と、鼻を鳴らす菜々姫。
「だーっ! わ、わかりました! 菜々姫様の言う通りにします! だから、もう泣かないでください!」
「やった!」
 菜々姫は、ニコッとほほ笑んで、輝之真に抱きついた。
「やっぱり輝之真は、ナイスガイなのじゃ。大好きなのじゃ」
 菜々姫は、輝之真のほっぺたにチュッとキスをした。
 ポワワワワ~ン。
 と、これが漫画なら、輝之真のバックに花びらが舞い散ったのはいうまでもない。
 だが、輝之真の幸せは長く続かなかった。
「大変だーっ!」
 雑魚どもが騒ぎ出した。
「菜々姫様と、輝之真が脱走したぞーっ!」
「捕まえろーっ!」
 輝之真と菜々姫は、顔を見合わせた。
「菜々姫様。どうやら、悪党退治より先に、ここから逃げだせるかどうかが問題のようですな」
「そのようじゃ。期待しておるぞよ輝之真」
「ははっ。お任せください。ですが……」
「なんじゃ?」
「もう一回、ほっぺにキスしてくれると、がんばれるような気がするのですが」
「うふふふ。ホント、男っていくつになっても子供じゃな」
 菜々姫は、笑いながら、さっきと反対側のほっぺたに、チュッとキスをした。
 ポワワワワ~ン。
 って、そりゃもういいって言うの!

 そんなこととはつゆ知らない邦四郎たち。

「はーい! 着きましたよぉ、丹生様! 右手をご覧くださーい! こちらが悪徳商人、徳一の屋敷でございまーす!」
 今回は大人数なので、妙に浮かれている秋穂。子供によくいるタイプだ。
「おめえは、はとバスのバスガイドかよ!」
 邦四郎が、お約束のツッコミを入れると、秋穂は楽しそうに言った。
「じゃあ、邦さんが運転手さんですね!」
「バカ。もう、つき合ってらんねえぜ」
 頭を抱える邦四郎。
 だが千亭は、そんな秋穂を見ながら、ポッと頬を染めた。
「か、かわいい……」
「どこが! これのどこが、かわいいんだ!」
 邦四郎は、千亭の胸ぐらをつかんで問いただした。
「わーっ、これ、やめぬか、邦四郎殿!」
 丹生のジイさんが、あわてて邦四郎を止める。
「なんだよジイさん、さっきから!」
「とにかくやめるのじゃ! わしの立場も考えてくれい!」
「ははは。これこれ、丹生殿」
 千亭は、笑いながら言った。
「気にせんでよいから、おぬしは黙っておれ」
「ははーっ。ありがたきお言葉」
 丹生は、千亭に言われると、すぐに引き下がった。
「なんだかなあ、もう」
 邦四郎は、やれやれと首を振ると、投げ縄を屋敷の壁に投げた。
 カクン。かぎ爪が引っかかる。邦四郎は、ピーンと縄を張った。
「わぉ。邦さんもお上手!」
 パチパチパチと、拍手する秋穂。
「ほら、千亭さんも丹生様も、拍手拍手!」
「おーっ」
 と、千亭たちは拍手した。
「だ、だから……」
 ピクピクと、こめかみに血管を浮き上がらせる邦四郎。
「静かにしねえか! バカタレども! 見つかっちまうじゃねえか!」
「いやん。そういう邦さんの声が、一番大きいですよぉ。見つかっちゃいますよぉ」
「うははは。この噛み合わない会話が、なんとも心地よいぞ」
 一人で受けてる千亭。
「輝之真…… おめえのせいでオレは、オレは…… このやり場のない怒りをどうしてくれようか」
 輝之真を助けたら、一発ぶん殴ってやろうと、心に誓う邦四郎であった。古来より、そういうのを逆恨みという。
「ともかく。いまは、ヤツを助けねば」
 邦四郎は、張った縄を使って、壁をよじ登った。
 そのとき。
 バーンと屋敷の門が開いた。
 そして。
「大変だ、大変だ! 旦那様に知らせなきゃ!」
 と、大騒ぎしながら、雑魚が屋敷から出てきて、そのまま人形町の方へ走り去った。
「な、なんでいありゃ?」
 壁の上で、ポカンと口をあける邦四郎。
「邦さーん!」
 と、秋穂。
「さっきの人、門を開けっ放しにしていきましたよぉ。わたしたち、こっちから入りますねぇ」
「ああ、そうかよ。そうしてください。ええ、そうしてくださいとも」
 なぜかスネる邦四郎であった。

 そんでもって、輝之真。

「輝之真! がんばるのじゃ! ゴールは近いのじゃ!」
「ひい、はあ、がんばってます! ひい、はあ!」
 輝之真は、菜々姫を、お姫様だっこしながら、屋敷の中を駆け回っていた。本気で追い掛けてくる雑魚から、懸命に逃げているのである。背中に背負った方が楽だと思うが、菜々姫が、おんぶなんかイヤじゃと言ったので、お姫様だっこなのであった。ほっぺにチュッの代金は、意外と高いのであった。
「くうう。なんかこの、冷静なナレーションがムカつくぜ!」
 輝之真は、理不尽なセリフを叫びながら走り続けた。
「輝之真、追いつかれるのじゃ!」
「わかってます!」
「わーっ、右からも来たのじゃ!」
「見えてます!」
「左からも来るのじゃ!」
「ひーっ、それは聞きたくなかった! 姫、ちょっと降りてくださいませ!」
 輝之真は、一旦、菜々姫を降ろす。
「なにをするのじゃ?」
「このままではラチが明きませぬ。ちょいと雑魚の数を減らしましょう」
「わあ! 立ち回りじゃな! がんばれ輝之真!」
「姫! わたしから、離れてはなりませぬぞ!」
 輝之真は、そう叫びながら、刀を抜いて、ズバズバと雑魚を斬っていく。
「すごい、すごい! まるで豆腐を切ってるみたいじゃ!」
 菜々姫、輝之真の立ち回りに大喜び。目の前で見てるんだから、そりゃ迫力があるだろう。
「見た目ほど、簡単じゃないんですってば!」
 輝之真は、菜々姫をかばいながら叫ぶ。
 ズバッ。カキーン。バシュッ!
 雑魚が半分ぐらいに減る。
「よっしゃ! 逃げますよ、菜々姫様!」
「待つのじゃ。わらわも、二、三人倒すのじゃ」
 バコッ、バコッ!
 菜々姫も、雑魚にパンチを浴びせる。
「はあ、爽快なのじゃ!」
「それはなにより」
 輝之真は、ヒョイっと菜々姫をだっこすると、またまた走り始めた。

 そして、邦四郎。

 屋敷に忍び込んだ(?)邦四郎たちであったが、すぐに、異様な雰囲気に気がついた。
「なんか、屋敷の中が騒がしいと思いませんかぁ?」
 秋穂が言う。
 邦四郎は、ニヤリと笑った。
「ふふ。まあ輝之真のこったから、大人しくしてるとは思わなかったけどよ。あの野郎にしちゃ、派手にやってるようじゃねえか」
「輝之真様が暴れてるんですか?」
「うはは! 暴れてるって言うか、無理やり働かされてるんだろうな!」
 邦四郎は大笑い。だが、その笑い顔も、すぐに凍りついた。
 ドドドドドドド。という、大音響とともに、屋敷の中から、雑魚どもがドーッと、まるで暴れ馬のように出てきたのだ。
「ぎゃっ。なんでい、ありゃ!」
「あっ! 輝之真様と菜々姫様!」
 秋穂が指差す。
 そう。雑魚どもの先頭には、菜々姫をお姫様だっこした輝之真が走っていたのだった。
「あ、暴れるにも、程があるぜ、あの野郎!」
「どけどけどけ、邦四郎!」
 輝之真が叫びながら、全速力で走ってくる。
「やべえ! こっちも逃げるぞ!」
 邦四郎は、秋穂をお姫様だっこすると、回れ右で走り出した。
「わーっ!」
 と、千亭たちも、邦四郎の後に続く。
 輝之真が、邦四郎に追いつく。
「輝之真! こりゃ、どういうこった!」
 と、邦四郎。
「どうもこうも、見りゃわかるだろうが!」
「そりゃそうだけどよ! いったい、どこに向かってるんだよ、おめえは!」
「人形町の反物問屋だ!」
「なぬーっ? あのオカマ三兄弟がやってた店か?」
「そうだ!」
「なんで?」
「説明はあと!」
 と、男どもが叫びながら走っているところで、だっこされてる菜々姫と秋穂は、きゃっきゃっと、子供のようにはしゃいでいた。
「のう、秋穂。こういうのも悪くないもんじゃな」
「ですね、姫様。わたしもお姫様になった気分ですぅ」
「そうであろう。だから、お姫様だっこはやめられぬのじゃ」
「女の子の夢ですよねえ。守られてるって感じ」
「うふふ。わらわなんか、輝之真にすごいこと言ってもらったのじゃ」
「えーっ、なになに?」
「命に代えてわらわを守ると、輝之真が誓ったのじゃ」
「きゃーっ! すごい! 菜々姫様、羨ましい!」
「にゃはは。照れるのう」
 ポリポリと頭を掻く菜々姫。
「で、で、姫様、なんと答えたんですか?」
「うふふ。なんでも輝之真の好きにせいと言ったのじゃ。ほっぺにチュッって、キスもしてあげたのじゃ。きゃっ」
「うわあ。姫様、だいたーん」
「にゃはは。照れるのう」
 命の前に、体力の方が燃え尽きそうな気がする輝之真であった。


17


 人形町、ユージンの屋敷。
「では、ユージン殿。菜々姫は二万両ということで」
 徳一は、ニヤリと笑いながら言った。
 すると、首のところにヒラヒラがついた、ヘンテコな服を着たオランダ人が答える。
「わーっかりました。菜々姫なーらば、二万両でーも、やっすい、もんでーすね」
 いわゆる、外人訛りの日本語だと思っていただきたい作者であった。
 そのとき。
「旦那様!」
 徳一の部下が、飛び込んでくる。
「大変です! 菜々姫と輝之真が脱走しました!」
「なにい!」
 徳一は、椅子から飛び上がった。
 ユージンも、ガタッと椅子を倒しながら立ち上がる。
「なーにを、やってる、ザーマすか! 菜々姫に、逃っげられたーら、わったしの、計画が、おっジャーン、では、なーいですか!」
 書いてて、イライラする話し方であった。
「山路先生!」
 一緒にいる山路に、徳一が叫ぶ。
「ここは先生の出番ですぜ!」
「うむ」
 と、山路は懐に入れている腕で、アゴをなでる。どうやら黒沢映画を見て、用心棒の仕草を研究したらしい。
「いよいよ。輝之真と、決着をつけるときがきたようだな」
「さすが、山路先生。落ち着いていらっしゃる」
 徳一が感心したとき。
 ドドドドドド! という、大音響とともに、輝之真と邦四郎が、例によって菜々姫と秋穂をだっこしながら、飛び込んできた。
「ギャッ!」
 と、徳一たちが驚く間もなく、通り過ぎる輝之真たち。そのあと、雑魚たちが、ドーッとなだれ込んできて、徳一と山路、そしてユージンが、踏みつけられた。
 一瞬作者は、このまま、こいつら圧死したことにすれば、話が早くて楽だな。という誘惑に駆られたが、そういうわけにもいかなかった。
 ドドドドドド。と、音が戻ってきて、輝之真たちが、ふたたび登場。
「ひい、はあ、思わず、通りすぎちまったぜ。ひい、はあ」
 全身汗だくの輝之真が言った。
「ひい、ふう、まったく、なんでオレまで、こんな苦労を。ひい、ふう」
 邦四郎も、汗びっしょりだった。
「きさまらーっ!」
 徳一復活。
「いくらコメディだからって、こんな大騒ぎをするんじゃなーい!」
「ちょ、ちょっと待て、徳一」
 輝之真は、菜々姫を降ろした。
「ふう、ふう。ちと、息が上がってるんで、呼吸が整うまで待て」
「まったくだ。ひい、はあ。あー、しんどい」
 邦四郎も、秋穂を降ろす。
 戻ってきた、大量の雑魚たちも、床にへたり込んで、安月給じゃ、やってらんねえよとか、ぶつぶつ言いながら、休み始めた。
「大丈夫かえ、輝之真」
 菜々姫は、輝之真の背中をさすった。
「はあ。なんとか」
「あれぇ?」
 秋穂が、辺りを見回して言った。
「千亭さんたちがいないわ? どこ行っちゃったのかしらぁ?」
 そのとき。
「ひい、ひい」
 と、息を切らした千亭と丹生が入ってきた。
「やっと追いついた。ひい、ひい、輝之真殿、足が早すぎますぞ」
「なんだ、こいつ?」
 輝之真は、千亭を指差した。
「ああそうか!」
 秋穂が、ポンと左手を右手の拳で叩いた。
「輝之真様は、座敷牢に捕まっていたから千亭さんと初対面ですね。謎の浮世絵師こと、じつは隠密同心の千亭さんです」
「隠密同心? また、変なのを引き連れてるな、邦四郎」
「うるせえ。オレのせいじゃねえよ」
 そのとき。
「ふふふ」
 と、ユージンが笑った。
「どうやーら、役者がそーろった、みーたいですね!」
「バカも増えてるし……」
 輝之真は、頭を抱えた。
「バーカとは、なーんですか! わーたしは、オーランダでも、ゆーめいな、貿易しょーでーすよ!」
「そして、人身売買組織のボスか」
 輝之真が言う。
「なに?」
 邦四郎は、眉間にしわをよせた。
「そうか、読めたぜ輝之真。こいつが菜々姫誘拐の黒幕だったわけだ」
「そういうことだ。徳一も山路もいることだし、ここで最後の幕を引くとしよう」
「そうだな」
 邦四郎はニヤリと笑い、輝之真の隣にすっと立った。
「きゃああああ!」
 菜々姫と秋穂が胸の前で手を合わせながら叫んだ。二人とも目の中がハートマーク。
「菜々姫様! いよいよ最後の戦いですよ! 見逃せませんわぁ!」
「うんうん。カッコいいのじゃ~。この小説の二大ヒーローが揃い踏みなのじゃ~」
「黄色い声援が飛び交ってるぜ、輝之真」
「わたしに対してな」
「言うと思ったぜ」
 輝之真と邦四郎は、刀を抜いた。
「先生! 山路先生!」
 徳一が叫ぶ!
「やっちゃってください!」
「うむ」
 山路も刀を抜く。
「おぬしらに恨みはないが、わたしが相手だ。どちらからでも掛かってまいれ」
「悪党が、でかい口叩くんじゃねえよ!」
 邦四郎が、山路と切り結んだ。
 カキーン!
「むむ」
 思わず唸る邦四郎。
「やるな、オッサン」
「おぬしこそ、元主人公だけのことはある。輝之真にも劣らぬ剣の腕。だが、わたしの方が上だ」
 カキーン、カキーン、カキーン!
 だんだん、押されていく邦四郎。
「くっ…… 悪党のくせに、やるじゃねえか」
「減らず口はそこまでだ!」
 キーン!
 邦四郎は、すんでのところで、山地の剣をよけた。
「やべえ。こいつ、マジで剣が立つぜ」
 邦四郎が輝之真に言う。
「ううむ」
 輝之真も唸った。
「ヤツの剣はかなりの名刀。その辺のなまくら刀では、また折られるのが関の山だ」
「げっ、ホントだ!」
 邦四郎は、自分の刀を見て驚いた。刃がボロボロ。
「ふふふ。どうしたかな? 怖じ気づいたのかね、主人公諸君」
 山路は、不敵に笑った。
「くそう。どうする輝之真?」
 そのとき。
「輝之真」
 と、千亭が、どこかから刀を取り出して、輝之真に渡した。
「これを使え。おぬしなら、使いこなせるはずじゃ」
「は?」
 輝之真は、不審に思いながら、千亭から渡された刀を抜いた。
「な、な、な、なんと!」
 輝之真ビックリ。
「これは、正真正銘、本物の村正!」
「なにい?」
 邦四郎も驚く。
「千亭! きさま何者だ?」
「そんなことより、早く悪党どもをなんとかせい!」
 千亭が叫んだ。
「その通りだ」
 輝之真は、村正を構えながら、山路に対峙した。
「山路殿。先ほどのようにはまいらんぞ」
「ふふん。望むところ!」
 カキーン!
 輝之真と山路の刀が火花を散らす。
 輝之真は、山路を力で押し返し、そのわき腹に村正の刃先を走らせた。だが、山路は器用に刀で受け止める。
 カキーン!
 輝之真は、すぐさま村正を逆手に持ち替えて、山路の腹に村正を突き立てた。
「ぐわっ!」
 山路は、血が流れる自分の腹を見る。
「な、なんじゃこりゃーっ!」
「あのな」
 と、邦四郎。
「今度は松田優作かよ」
「えへ。この演技で死にたかったんですよねえ」
 山路は、ネタをバラされて照れ笑いを浮かべた。
「いいから、死になさい」
 輝之真は、刀の柄で、カポンと山路の頭を叩いた。
「あいた!」
 パタン。
 山路は倒れた。
「わーっ、先生が、先生がやられた!」
 うろたえる徳一。
 そのとき。
「きゃーっ!」
 菜々姫の悲鳴が響き渡った。
「動くんじゃ、あーりません!」
 ユージンが、菜々姫を人質にとったのだ。しかも、菜々姫のこめかみにピストルを当てている。
「ほーほほほ! ヨーロッパには、ピストルという、文明の利器があーるのです!」
「むむ。しまった!」
 さすがの輝之真も、足が止まった。
 だが。
「菜々姫様!」
 秋穂がユージンに飛び掛かる。
「うわっ。動くんじゃあーりませんと、言ってるじゃ、あーりませんか!」
 バーン!
 ユージンが、秋穂に向かって引き金を引く。
「いまだ!」
 輝之真は、その隙を逃さず、ユージンに斬りかかった。
 ズバーッ!
「ぎゃーっ! わーたしは、これだけでーすか!」
 ドサッ。
 ユージンが倒れる。
「秋穂!」
 撃たれた秋穂を、菜々姫が抱き起こした。
「ああ…… 菜々姫様。ご無事だったのですね」
「バカモノ。秋穂がご無事ではないのじゃ。死んだら承知せんぞ。最後の最後で、カッコいい役をさらっていくなんて反則じゃぞ」
「ごめんなさい、菜々姫様…… でも、最後にお役に立ててよかった……」
「こ、これ、秋穂。ダメじゃ。死んだらダメじゃぞ。秋穂!」
「待て待て」
 邦四郎が、秋穂の傷の具合を見た。
「こういう物語じゃ、たいてい、胸の中になにか入ってて、それに弾が当たって無事でしたってオチなんだよ」
 だが、秋穂の胸から赤い物が流れているのを見て、ぎょっとする邦四郎。
「げっ、マジかよ。し、死人が出るのか? この小説で?」
「あーん、秋穂! 死んだらイヤなのじゃーっ! わらわを、一人にしないでおくれー!」
「なにを申されますか」
 秋穂が力なく言う。
「菜々姫様には、輝之真様がついていらっしゃいます。わたしの役目はもう、ございませんよ」
「イヤじゃ! 秋穂がいないと、わらわは、寂しいのじゃ! 死んではダメなのじゃ!」
「それにしては」
 と、丹生が言った。
「なかなか死なないな秋穂。おぬし、本当に撃たれとるのか?」
 一同の視線が秋穂に集中。
「あの、えっと」
 秋穂が、てへへと笑った。
「ん?」
 菜々姫、泣きやむ。
「やっぱり、無事みたいですぅ」
 秋穂は、弾が突き刺さった方向指南棒を胸から取り出した。
「で、でも、この赤い物はなんじゃ!」
「えへへ。おやつに食べようと思って入れてたイチゴが潰れちゃいましたぁ」
「だーっ!」
 全員ズッコケ。
「秋穂! わわらは、泣き損じゃぞよ!」
「えへへ。菜々姫様にも、カワイイとこあるんですねえ」
「わーん!」
 菜々姫は、輝之真に抱きついた。
「秋穂に虐められたのじゃーっ! 輝之真、わらわを慰めるのじゃーっ!」
「はいはい。いい子、いい子」
 輝之真は、菜々姫の頭をナデナデした。
「ううっ。輝之真。わらわを子供扱いしておるな」
「それは、お互い様でしょ」
 輝之真は苦笑いを浮かべる。
「男が女を子供扱いしてはいけないのじゃ。輝之真も、まだまだ女心がわかっておらんのう。修行が足りないのじゃ」
「すいません、姫様」
「でも、わらわも、まだまだ女の修行が足りないのじゃ」
「ははは。姫様は、すでにステキな女性ですよ」
「なんだよ、なんだよ」
 邦四郎が、輝之真のわき腹を突く。
「いい雰囲気じゃねえか。かーっ、焼けるねえ。黒幕も倒したことだし、ここらでお開きにしようぜ。おいらも、お清の待ってる、熱いスウィートホームに戻るとすらあ」
「そうはいかんぞ!」
 と、叫んだのは徳一であった。
「こうなったら、わが最強の雑魚軍団で、おぬしらを皆殺しじゃ!」
「まだ、こいつがいたか」
 邦四郎は、眉をひそめた。
「おう輝之真。どうやらラブラブタイムには、まだ早いようだぜ」
「そのようだ」
 輝之真は、抱きついている菜々姫の腕をそっと押しやる。
「みなの者、立つのじゃ! こやつらを八つ裂きにせい!」
 徳一が叫ぶと、休んでいた雑魚キャラたちが、ゾンビのように立ち上がる。
 だが、そのとき。
「控えよ! 控えおろう!」
 突然、千亭が叫び出した。
「みなの者、頭が高い! この紋所が目に入らぬか!」
 千亭は、懐から、印篭を取り出して振りかざした。
「これ、丹生。この先は、そちが言わんか」
「ははーっ!」
 丹生のジイさんは、千亭に頭を下げると、声を張り上げる。
「こちらにおわす御方をどなたと心得る! 先の副将軍どころか、現在の将軍、徳川吉宗公なるぞ! みなの者、頭が高い!」
「えーっ!」
 輝之真たちは、一斉に、驚きの声をあげた。
「マ、マジっすか?」
 邦四郎が、恐る恐る聞く。
「マジじゃ!」
 と、丹生。
「邦四郎殿! 頭が高こうござるぞ! 平伏なさらんか!」
「へへーっ!」
 一同。あわてて、床に伏した。
「コホン」
 と、千亭こと、徳川吉宗。
「悪徳商人、徳一。表を上げい」
 ギクッと、なりながら顔を上げる徳一。
「可憐な少女を誘拐し、オランダに売りさばこうとしたその所業。まことにもって許しがたし。その罪、斬罪に値する」
「う、上様! 聞いてくださいまし! わたしゃ、ユージンに脅されて、仕方なくやったことでございます!」
「悪党は、必ずそう言う」
「ひえええ。本当ですってば!」
「バカモン。だれが信じるか。だが、その悪役精神で、輝之真をすぐには殺さず、この最後の舞台を用意したことは、なかなかもって潔し。よって、島流しで許してやろう」
「ははーっ!」
 徳一は、おでこを床に押しつけながら平伏した。
「つぎに、邦四郎」
「オレ?」
 邦四郎は、キョトンとして、自分を指差した。
「そうじゃ邦四郎。まさか、余の頭を殴ったことを忘れたわけではあるまいな」
「げーっ! だってあれは……」
 ふだんの調子でしゃべろうとした邦四郎だが、さすがに相手が将軍だと思い出す。
「いやその、へへーっ。なにとぞ、お許しを!」
「ふむ。そちも打ち首獄門と言いたいところじゃが、今回の活躍は、愛でるにやぶさかではない。よって、一切の罪を問わないこととする」
「ふいいい。助かったぜ。じゃなくって、ありがたき幸せ」
「つぎに、輝之真」
「えっ、わたしも、なにかしましたっけ?」
「勘違いするな。そちは、なかなかようやった。三十過ぎと思えぬ活躍じゃ」
「うっ。いまいち素直に喜べない誉められようですが……」
「ははは。そちには、褒美として、先ほど渡した村正を与える」
「えっ! こんな高価な物をですか!」
「よいよい。どうせ徳川には必要ない物じゃ。というか、因縁の刀じゃ。そちが使うのが一番よいじゃろう」
「ははーっ! ありがたき幸せに存じたてまつります!」
「うむ。つぎに秋穂」
「はい、上様!」
「おぬしも、よう、がんばったのう」
「ありがとうございまーす!」
 秋穂は、嬉しそうに手を挙げた。
「これ、秋穂!」
 丹生が叫ぶ。
「上様を前に、手を挙げるとは何事じゃ!」
「よいよい」
 千亭は、丹生をいさめた。
「秋穂は、こういうキャラじゃ。だからこそ、この物語もおもしろうなった。秋穂の功績は大きいぞ」
「わくわく」
 秋穂の目が輝く。
「なんじゃ、その目は?」
「上様。ご褒美は?」
「ははは。まったく、困った娘じゃ」
 千亭こと、吉宗は苦笑い。
「そうじゃな。では、もしこの話の続編が書かれることがあったら、そのときは、秋穂も登場させるように、作者に言い含めておこう。これでどうじゃ?」
「わーい! ありがとうございまーす!」
「うむ。最後に菜々姫」
「わらわ?」
「まさか、熱湯をかけたこと、お忘れかな?」
「あわわわ。こ、困ったのじゃ。あれは、ちょっとしたジョークなのじゃ」
「ははは。冗談じゃ。怒っておらんよ。この物語をよくぞ、盛り上げてくれた。作者に代わり、わたしからも礼を言うぞ」
「わあ。ありがとうございます、上様。嬉しい言葉なのじゃ」
「うむ。そちのおかげで、余も大好きな時代劇に出れたし、しかも将軍じゃからな。礼の言いようもない。そちには、時代劇らしく、十万石を与える」
「十万石も!」
「そうじゃ。ちょっとした大名じゃぞ。これだけあれば、おぬしの父親、尾張大納言も、そちに、望まぬ婚姻をさせるわけにもいくまい。たとえば、江戸の役人と結婚したいといっても反対は出来んじゃろう。意味はわかろうな?」
 千亭こと、吉宗は、輝之真と菜々姫を交互に見ながら言った。
「はい!」
 菜々姫は、瞳をうるうるさせながら答えた。
「上様。ありがとうござりまする。菜々。このご恩は、一生忘れませぬぞ」
「ははは。どうやら、治まりが良いようじゃ」
「あのう」
 丹生が、小さな声で言った。
「わたしは、どうなるんでござりましょうか?」
「アホ。おぬしは、なにもしとらんではないか」
 ガーン。とショックを受ける丹生。
「さて!」
 千亭こと、吉宗は一同を見回した。
「では、みなの者。最後の一言を行くぞ」
「ははーっ」
 と、全員が答えるのを待って、千亭こと、吉宗は言った。
「うむ。これにて、一件落着!」
 最後に決めた千亭であったが、彼の後ろで、秋穂がVサインをしていたのには気づかないようであった。


 エピローグ


 例によって、そば屋長寿庵。ここに、元ネタ〈たまわりてソウロウ〉のキャラたちが、輝之真をのぞいて、勢揃いしていた。
「冗談じゃ、ねえっスよ」
 いきなり文句を言ったのは青吉だった。
「最初の〈ていへんだ〉で登場するのは、あっしの役っスよ。熊さんとかいうのに取られて、立場ねえっスよ」
「まあまあ、青吉ちゃん」
 お清が慰める。
「こうして、エピローグに出れたんだからいいじゃない。今回は特別バージョンなんだから、許しておあげよ」
「そうよ、青吉ちゃん」
 お喜美が言った。
「あたしだって、万年、そば屋の看板娘だもん。贅沢言っちゃいけないよ。今回のお話で、輝之真様とラブラブになるのも、もう無理みたいだし」
「その点」
 と、お清は邦四郎に言った。
「おまえさんは、相変わらずキッチリ物語に食い込んで、なかなか美味しい役やってたじゃないかい」
「まあな」
 邦四郎は、ざるそばを、ずずーっとすすった。
「今回は、ちと輝之真にカッコいいとこ譲ってやったけど、次回はそういうわけにはいかねえぜ」
「うふふ。がんばっておくれよ、おまえさん。なんだかんだ言って、時代劇じゃ、おまえさんが一番さ」
「そういやあ」
 と、邦四郎。
「輝之真の野郎は、どこ行きやがったんだ?」
 と、そのとき。ガラッと引き戸が開いて、輝之真が入ってきた。
「輝之真様!」
 お喜美が驚く。
「ど、どうなさったんですか?」
 輝之真は、これ以上はないってぐらい落ち込んだ顔をしていた。
「はあ……」
 輝之真は、ふらふらと、店に入ってきて、ストンと力なく腰かける。
「おいおい」
 と、邦四郎。
「なんだよ、その顔は。いまごろ菜々姫とラブラブだったんじゃ…… まさか、おめえ、さっそくフラれたのか?」
「バ、バカを申すな!」
 輝之真が怒鳴る。
「じゃあ、どうしたってんだよ?」
「じつは……」
 輝之真は、ガックリ肩を落として言った。
「菜々姫が、尾張にお戻りになられたのだ」
「ほう。でも、すぐ帰ってくるんだろ?」
「それが…… しばらく、わたしとは会わんというのだ」
「なんで?」
「もっと女を磨いてから、江戸に戻ってくるそうだ。いつになるかわからんそうだ」
「あれま。菜々姫も健気だねえ」
「ふう…… 菜々姫に会えんと思うと、この胸にポッカリ穴が開いたようだ」
「ってことは、輝之真。この物語、次回作を書かなきゃならねえってこったな」
「なぬ?」
「そうですよ、輝之真様!」
 お喜美が、輝之真の腕を抱いた。
「まだまだ、わたしにも、チャンスがあるってことですよね! よーし、菜々姫がいない間に輝之真様のハートをゲットよ!」
「こら、お喜美。勝手に話を進めるな」
 後ずさる輝之真。
「おいも、おいらも!」
 青吉が叫ぶ。
「今度は、ちゃんと役をくだせえよ!」
「あら」
 と、お清。
「あたしだって、もう脇役はイヤだよ。邦さんと二人で、またヒーローとヒロインやりたいわあ」
「だーっ! いいかげんにしろ! わたしは、作者じゃないと言っておろうが!」
「だから」
 と、一同が、声を揃えて言った。
「そんなこと、だれも信じないっちゅーの!」

 悪徳商人徳一の、仕組んだカラクリ暴き出し、姫の悩みも晴れ晴れと。天下太平、小春日和の江戸の空。今日もお江戸は大騒ぎ。

 ちゃん、ちゃん。(終わり)